前回 最終回


 

───PM6:53。

聖志は取りあえず自宅に戻る。

速攻でキッチンに入り,右腕の鎮痛剤を開ける。

「お帰り,お兄ちゃん」

「美樹か,帰れなくてすまなかったな」

「ううん,仕方ないよ。さっき舞ちゃんから電話があったけど」

「分かった,電話しておくよ」

そう言って水を口に含むが…

「お兄ちゃん,先に何か食べた方がいいんじゃない?」

その言葉に聖志はその口に含んだ水だけを飲んだ。

「…そうだな」

「わたしが作るから,向こうで待ってて」

美樹はそう言いながらエプロンをつける。

「悪いな」

「言いっこなしだよ」

彼女は微笑んで返した。

いつもの装備を寝室で外した後,リビングで右腕の包帯を交換することにする。

包帯をほどくとまだ出血が時々あるようで,患部に当てたガーゼが赤く染まっている。患部に染みる止血剤を塗ってから新しいものをつけ,長い包帯を巻く。院長も言っていたが,思ったより長引きそうだ。

ぷるるるる…

電話だ。

「はい」

「もしもし? 聖志?」

「…どうした?」

電話の相手は舞だった。

「謙太郎が,明日遊びに行こうって」

「…またか?」

「そうみたい。どうする?」

「どこへ行くんだ?」

「それが,佐紀ちゃんの家だって」

あの葉麻隆文氏の家のことだ。

「…そうか」

聖志は少し悩んだ…が。

「…わかった」

口が勝手に答えていた。何故かは分からないが,右脳がそういう判断を下した。

「じゃ,明日は10時に高津駅ね」

「OK」

この忙しいときにどうしてかは分からないが,そう言ってしまった以上,行かなければならない。

その後,美樹の手料理を平らげた。

「さすがに上手いな」

「そうかな?」

彼女は照れ笑い。

「ああ。…それに,久しぶりにまともな食事にありつけたしな」

その言葉に,彼女は複雑な表情をした。

「…大丈夫だよね?」

美樹は幾分心配そうな顔で,聖志に尋ねた。

「…お前を一人にするようなことをするつもりはないよ」

夕飯がすむと,ずっと気になっていた藤堂の父親について調査を開始した。JSDOのデータベースにアクセスする。

『本名:藤堂強。年齢:41歳。学歴:岩手大学経済学部卒業後,大田商事を経て,現在サテラシステムの経理部長になる。既婚。妻:藤堂由美子。長男:藤堂康広。長女:藤堂霞織』

───サテラシステム経理部?

偶然か否かは分からないが,聖志はこの情報に興味を持った。確か,秋本千枝もサテラシステム所属だった。そして,サテラシステムはJCSの派生会社。最初に事件が発生したのもJCS。一本の糸で繋がっていることは間違いないだろう。

 

───8月25日。

高津駅改札には少し早く着いた舞と高倉,飛島が来ていた。

「聖志,どうしたのそれ?」

舞が聖志の右腕を見て言う。

「ああ,ちょっとドジって」

「ふーん」

「それよか,早く行こうぜ」

飛島が急かす。奴もとうとう葉麻の家に突入することになったのだ。夏が終わるまでには決着が付きそうだ。

太陽の光と熱が降り注ぐ中,一同は彼女の家に向かって歩き出した。

10分後,彼女の家に到着した。何回見ても周りの家とは違う。

高倉が玄関の呼び出しを押すと,葉麻夫人が出た。

「皆さんいらっしゃい。どうぞ上がって下さい」

夫人は笑顔で迎えた。玄関口に揃えられた靴を見ると,黒い革靴があった。

───葉麻社長はご在宅か。

それを横目に,リビングに通された。

「みんな,いらっしゃい」

葉麻佐紀が出迎えた。

「久しぶりー」

やはり高倉は我が物顔でソファに座り,テレビをつける。

「あのな,少しは遠慮しろ」

「いいじゃん,少しぐらい」

飛島の言葉に高倉は答えた。既に少しのレベルを超越しているが,葉麻も特に何も言わないので放っておくことにしたようだ。

「それで,今日はどんな名目で集まったの?」

「あ,そうか。先輩に言ってなかった。今日は,佐紀の誕生日でーす」

「え…そうだったの!?」

舞の驚きに,

「…はい」

彼女は少し照れながら返事した。

「それならそうと言ってくれないと」

「でも,佐紀に止められてて」

「そうだったのか?」

「はい。先輩たち優しいから,気を遣わせちゃいけないと思って…」

葉麻は少しはにかんでそう言った。これを少しでも高倉に見習わせたいものだ。

「そんな,いいじゃない。私達は友達でしょ」

「そうそう,お前,肝心なことを言わないんだからな」

「いえ,いいんです。私はみんなでこうしているだけで嬉しいんです」

「おおっ,いい話じゃねーか」

葉麻の言葉に飛島も感動した様子だ。

「誰かにも見習って欲しいものだな」

「先輩,誰かって誰?」

葉麻らしいと言えば葉麻らしい。社長令嬢であるだけでなく,両親のしつけも行き届いている。

そんなわけで両親共々参加して,葉麻夫人の豪勢な料理を囲み,葉麻佐紀の誕生会は行われた。聖志はこんなにも嬉しそうな葉麻の笑顔を見たことはなかった。

その後,一同は葉麻の部屋に案内された。玄関の前にある階段を上がり,2階の踊り場を挟んでまた上がり,その廊下を右に突き当たりまで行くと,彼女の部屋がある。

「へぇ,和室なんだ」

舞が言うとおり,畳が敷かれた6畳間。畳のにおいが部屋全体を包んでいる。部屋は完全な和室で,奥には押入,北側と南側に窓があり,カーテン代わりの障子がある。部屋の中央にテーブルが置かれ,押入と反対側の壁に木製の巨大な本棚が据えられている。彼女のことだろう,全て読破しているかも知れない。南側の窓の下には一応オーディオセットとテレビがあるが,あまり使った形跡はない。

「佐紀,ゲームしようよ。先輩,持ってきてくれた?」

「ああ」

飛島はそう言って大きな鞄の中から某ゲーム機を取り出してテレビに接続する。その後はそれでみんなが遊んだ。

───今のうちか…。

端で状況を見ていた聖志は,

「ちょっと失礼」

と,その部屋から出た。

1階のリビングに降りると,葉麻夫人が片付けをしていた。

「あら,どうかしましたか?」

夫人は笑顔でそう言った。

「葉麻隆文さんと少しお話ししたいのですが」

「分かったわ。少し待っててね」

何故かは分からないが,夫人はすんなりとそれを受け入れてくれた。

「どうぞ,この部屋です」

「ありがとうございます」

聖志は頭を下げてから,彼の部屋に入った。

「さきほどはどうも」

「いえ…娘がお世話になっているそうで。誕生会にも来て頂いて,あれも喜んでいたようです」

はっきり言って彼女の誕生会だとは知らなかったが,否定する必要もない。

「学校では私の方が世話になりっぱなしで…」

聖志は少しバカ面になる。

「寂しがり屋なんですよ。あなた方のような友人に恵まれて良かった」

さすがに彼女のこととなると,一企業の社長といえども親の顔になる。

「…それで,今日はどうされたんです?」

真剣な表情で彼が尋ねる。

「ええ。ご存知とは思いますが,サテラシステム社長代理の秋本千枝が逮捕されました」

「…」

「会社の経営状態は私の関与するところではないので割愛しますが…あの会社の経理部に,藤堂という男がいますよね」

「藤堂…はい」

「この件と直接結びついているかどうかは調査段階ですが,実は…」

聖志は説明した。

藤堂強には長女がいる。即ち藤堂霞織のことだが,彼女がストーカーに狙われていた。そして,別件の調査でそのストーカーと秋本千枝が繋がっていたこと。

「…ストーカーというのは,中槻という男ですね」

「その通り。…あなたはその中槻と会ったことはないのですか?」

「はっきりと顔を見たわけではないのですが,秋本の部屋から出たのは目撃しました。彼女はただの知り合いだと言っていましたが」

その言い分は間違っていない。確かに秋本と中槻はただの知り合いだった。

「つまり,秋本と中槻が繋がっていたことは気付いていたと」

彼は頷く。

「…では,藤堂強が最近不穏な動きをしたことはありませんか?」

「不穏な動きですか…会社での行動を見る限りでは特に」

「そうですか…」

聖志はその言葉を脳に焼き付ける。

「…中槻と藤堂が繋がる可能性があると…?」

「今のところ何の証拠もありません。私の勘です。動きがあれば分かるでしょう」

「そうですね。…私も彼を少し調べてみましょうか?」

「いえ,その必要はありません。逆に不審に思われる可能性もありますから,こちらが動きます」

「分かりました」

「では」

聖志は軽く頭を下げて部屋を出た。

その後,葉麻夫人の薦めで豪華な昼食をご馳走になった。見てくれだけでなく,味の方も下手なレストランよりイケてた。

聖志は取りあえず理由を付けて,みんなより先に葉麻の家を出た。高津駅に到着すると聖志の携帯が震えた。

「はい」

「聖志か。取りあえずあのマンションの電話のテープは聴いた」

昨日頼んだ,藤堂の前のマンションの留守電のテープだ。

「どんな内容だ?」

「一言,『夜は出歩くな』って」

「それだけか?」

「ああ。時間は21日の午後5時12分だった」

「そうか…」

「藤堂の方はどうだ?」

「今のところは動きはないらしい。社長の言だ」

「OK。では」

「ああ」

聖志は携帯を切ると,取りあえず自宅に戻ることにする。…が,切ったはずの携帯がまた鳴っている。

「はい」

「西原さん,棚丘です」

「どうした?」

「署の方に来てもらえますか?」

「…分かった」

彼は理由を聞かずにそう答えた。署に来いということは,何か動きがあったはずなのだ。

───PM4:16。

突如棚丘の呼び出しによって聖志は高崎署刑事課へ足を運ばざるを得なくなった。

刑事課に入ると,課長池和の周りに刑事が集まっていた。聖志が入ると,

「お呼び立てしまして申し訳ありません。実は…」

棚丘が,秋本を事情聴取していた星野に振る。

「実は,秋本の犯行動機に不審な点が見つかりまして…」

「というと?」

「彼女が言ったように,寺岡の融資に対する見返りとこちらも考えていたのですが…,彼女の会社での様子を調べたところ,秋本は会社資本を私的に利用していたようなんです」

「…何だって?」

棚丘は事情聴取の際に取った記録を聖志に手渡す。示されたところを見ると,それを示唆するような返答が書かれている。

───1000万か…。

恐らくこの金を寺岡に融資していた。そして,最近羽振りがいいことにも納得がいくのだが…。

「そこまで金に困ってたのか?」

「我々もその辺が分からないのです」

棚丘は言った。秋本はサテラシステムの社長代理であるから,それなりの収入があるはずである。それなのに犯罪を犯してまで金を必要としていたのだろうか。

聖志はそう考えながらもう一度その資料を見返す…と,端の方に小さく印字されている文字が目に入った。間違いなく「サテラシステム経理部調べ」と書かれている。

───やはり,藤堂が絡んでいるのか。

「今,秋本は?」

「第2取調室です」

「池和さん,ちょっといいですか」

聖志は課長に許可を取る。

「…棚丘も同行させて貰うが」

「分かりました」

2人は刑事課を出て第2取調室に向かった。

「何か含むところがおありですか?」

「ああ」

棚丘の質問に,包み隠さずそう言った。