前回


 

2人は取調室に入った。向こう側の椅子に,秋本千枝がやつれた顔をして座っていた。

聖志は正面に座る。ようやく顔を上げた秋本は,

「…君,確か謙ちゃんの…」

少し表情の緊張を解いて言った。

彼女は逮捕現場でも言いかけた言葉を繰り返した。謙ちゃんとは飛島謙太郎のことで,彼女の弟である。聖志が以前に飛島宅へ行ったとき,偶然顔見知りになったのだ。当然ではあるが,彼女は聖志の正体は知らない。

「その質問は後回しにさせて貰う」

聖志はそう言って本題に入った。

「確認事項だが…中槻を使って藤堂霞織を暗殺しようとしたのは事実だな」

彼女は頷いた。

「それで,どうして殺そうとした?」

これに関してはまだ答えがない。頑なな態度で彼女は口をつぐむ。

「じゃ,会社の金を何に使った?」

これにも彼女は黙りを通すつもりらしい。

「確か,1000万だったな。…内訳は,寺岡への援助が300万,中槻の契約金にとっておいたのが大体200ぐらいか…? で,残りはどこへ行った?」

聖志は捲し立てるように早口でそう言った。中槻の契約金は全くの予想だが,そう外れてはいないはずだ。

「い…,1000万円!?」

「はい。会社の方を調査しましたところ,このようなデータが出てきました」

控えていた棚丘が資料のコピーを彼女の前に出す。

それには,明確に秋本千枝に1000万円が行き渡ったことが記されていた。

しかし,さっきの反応からして恐らく彼女自身が1000万円を私的利用したわけではないだろう。

「嘘…」

資料を見て呆然とする彼女に,聖志が言った。

「それで,どうして藤堂霞織を暗殺する必要があった?」

彼女は一瞬口を開いたが,頭の回転が速いらしく,また口を噤んだ。

「あんた,藤堂に脅迫されてたんだろ?」

「!?」

「えっ?」

秋本は目を見開き,そして棚丘も声を漏らした。

多分これは最初から計画されていたのだろう。秋本がサテラシステムの社長代理を任されたときに,それ以前からいた藤堂が社長の椅子欲しさに,ここがチャンスとばかりに秋本に近付いた。当時右も左も分からなかった彼女に親切にする振りをして,秋本が寺岡に投資していることに目を付けて藤堂が会社運営資金を彼女に回した。それを知らない彼女は親切にしてくれる藤堂に知らず知らずの内に借りを作ってしまっていた。

そして,藤堂が最初に動いたのが,会社運営資金私的利用をネタにJCSの葉麻社長を殺すように言ったものだ。秋本はそれに反対しようとしたが,とき既に遅し。会社資金を私的に利用した証拠が残っているので下手に反対できない。しかし,彼女が直接手を下すわけには行かない。これを行うと会社自体が揺らぐことになる。そこで融資をしていた元恋人に,融資の見返りとして,寺岡の元恋人である木塚の殺害の話を半強制的に持ちかけた。株に手を出して苦しかった寺岡はそれに従い,葉麻隆文に一番近い,秘書木塚の恋人だった森安を殺すと脅迫し,木塚に葉麻社長を殺すように言った。木塚は殺すことはなかったものの,自分が犠牲となって葉麻隆文に警察の目が向くようにし向けた。

しかし,予定より早い段階で葉麻隆文のアリバイが成立すると,秋本は早めに手を打とうと,藤堂の周辺を調べ,実の娘を殺すと脅して藤堂と対等の立場に立とうと考えた。

あとは知っての通り,木塚の偽証は見抜かれ,寺岡は銃刀法違反の現行犯で逮捕,中槻はその責務を全うすることが出来ず,藤堂霞織は傷一つ負っていない。そして秋本も銃刀法違反の現行犯で逮捕された。

「…数珠繋がりということですか」

「そうなるな」

聖志は呟くように言った。

「あとは,藤堂を引っ張ってくれば事件は解決だ」

そう言うと,彼は席を立った。

「……あの…」

さっきまで黙っていた秋本が口を開いた。

「あ,最初の質問か」

聖志はすっかり忘れていたことを思い出した。

「俺は,飛島の友人の,西原だ」

 

───9月1日。

久しぶりに登校した中央学院。今日は始業式だけだったので午前中で終わった。

まだ終わっていない夏の風が,名残惜しげに教室を吹き抜ける。

聖志がいつものように放課後の雰囲気に浸っていると,忘れ物をしたのか,飛島が教室に走り込んできた。

「あれ,まだいたのか」

「ああ」

飛島は教室の後ろの棚へ行くと,何やら取り出して鞄に入れ,

「早く帰ろうぜ」

聖志は時計を見る。

───PM1:32。

「部活はないのか?」

「今日はない。遊びに行くか?」

「いや…昼だな」

「そうするか」

そんなわけで,学校から一番近い駅前に行くことにした。

昇降口まで来ると,

「よう,今から帰りか?」

偶然にも藤井に出くわした。彼のスーツ姿は久しぶりに見る。

「そう」

「先生も行こうぜ,昼飯」

飛島が藤井を誘った。

「分かった」

3人は聖志と藤井がたまに行く,駅前の軽飯という定食屋に入った。

いつもの席に陣取ると,いいタイミングで平本がオーダーを取りに来た。

「平本,こんなところでバイトしてるのか」

飛島は初めてここに入ったので,彼女がいることを知らなかったのだ。

「うん」

これは藤井が公認しているので特に何も言わない。ただ,ほかの教師が来たときには何を言われるか分からないが。

それぞれが注文し,定食が目の前に出される。

「お前等,課題は出来てるか?」

藤井が珍しく教師らしいことを口走った。

「もちろんさ」

飛島は得意げに言ってのけるが,あの全員が揃わなければこの返答はなかったと思われる。

「聖志はどうなんだ?」

「取りあえず出来てるな。解答が合っているかどうかは別として」

「そうか,それは一安心だな」

そう話しているところに,平本がやってきた。ちょうど昼時を過ぎて暇になったのだろう。

「ご一緒していいですか?」

「どうぞ」

彼女はあいていた藤井の隣に腰を下ろした。

「一安心ってどういうこと?」

平本が藤井に尋ねる。

「多分来週辺り,テストがあるからな」

藤井が信じられないことを言ってのけた。

「嘘だろー?」

聖志はやってられないと言う感じで受け流した。

「ホントさ。5教科あるから,今から勉強した方がいいぞ」

───冗談じゃない。

「ま,課題を終わらせたんならそれなりの学力は付いてるはずだからな」

「そんなわけないだろ」

はっきり言って,頭を使う部分はほとんど舞がやったようなものだ。何しろ数学と化学を両方やっていたのだから。そのあとは定食をつつきながら少し雑談に興じたが,飛島はたまに相槌を打つ程度で,あまり元気がない。それに気付いた平本が彼に聞く。

「どうかしたの?」

「…ちょっと,な」

聖志と藤井はそのわけを知っている。

「何か…嫌なことでも?」

彼女は少し心配そうに言った。

「…いや,なんでもない」

口を開きかけたが,彼は言葉には出さなかった。身内が逮捕されたとなると,やはりショックなのだろう。しかし,やはり犯罪者は犯罪者。幾ら藤堂に脅迫されたとは言え,最後に決断したのは彼女自身だ。つまり,自分からその片棒を担いだ。そして犯罪者はそれ相応の罰を受けなければならない。

彼等は間もなく軽飯を出た。帰り際に平本が飛島に「気を落とさないで」と声をかけていた。

「優しいな,彼女は」

聖志とともに先に店を出た藤井が呟く。

病院へ行く事を思い出した聖志は,藤井と別れて飛島とともに駅に向かった。

「じゃな」

「ああ」

飛島は,ホームで別れるまで終始無言だった。

 

複雑な気持ちで電車に揺られること約30分。ちょっと苦手意識のある高崎市立病院の受付に入り,軽い診察を受けた後に鎮痛薬を受け取り,病院を出た。

駅に戻る途中に高崎署が視界に入ったが,もう上からの指示は来ていないので不用意に首を突っ込むことはできない。聖志はそのまま通り過ぎようとした…が。

「あ」

署の出口にいたのは,藤堂霞織だった。制服姿ということは,直接署に呼ばれたのだろうか。

「よう」

「何でここにいるのよ?」

「俺は未だに怪我人だから」

「あ,なるほどね」

彼女も決して顔色は優れないが,落ち込んでいるとも言い難い表情をしている。

「今日は?」

「お母さんが,お弁当を持って行けって」

「…そうか」

藤堂強は8月26日に逮捕状が出た。あのときに聖志が考えた通り,自らの野望を満たすために秋本を脅し,間接的ではあるが数珠繋がりに寺岡,木塚,森安を利用したのだった。

「気を遣わなくていいよ」

「え?」

藤堂の言葉に,一瞬何のことか分からなかった。

「あの人が捕まった。あたしは晴れて一人暮らしが出来る。それだけ」

彼女の言うあの人とは,藤堂強のことなのだろう。何故そこまで溝が深いのかは分からないが,

「…寂しいか?」

「そんなわけないじゃん」

口調こそ明るいものの,霞織は笑顔では言わなかった。そう,寂しくないわけがない。身内が一気に2人も警察に身柄を拘束されたのだから。世間体も決していいものではなくなる。

「でも…」

彼女が聖志に向き直って言った。

「お母さんが泣いていたのを見たとき……やっぱり家族なんだなって思った」