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「彼がそうだ」

第5取調室の窓から,藤堂霞織に寺岡の様子を見せる。

しばらく彼女は窓に張り付いていたが,

「…知ってる」

「知ってるってことは,つまりお兄さんと受け止めていいんだな?」

聖志の言葉に,彼女は複雑な表情を浮かべながら無言で頷いた。

「分かった。もういいぞ」

「帰っていいの?」

「ああ」

「再確認するけど,彼の本名は藤堂康広で間違いないな?」

「はい」

池和の確認に,面倒だが取りあえず敬語を使った感じで答えた。

「ご協力,ありがとう」

池和は聖志に目配せした。

「では行こうか。送ろう」

「あ,うん」

聖志は彼女を連れて署を出た。

「…」

彼女は家に戻るまで終始無言だった。実際に取り調べられている兄を見てショックを受けたのだろうか,それは分からないが心境に変化があったことには変わりない。

家の前まで戻ると,彼女が口を開いた。

「…あの人,一体何したの?」

聖志は言っていいものかどうか迷った。

寺岡は木塚を脅迫し,尚かつ公務執行妨害,銃刀法違反等諸々の犯罪を背負っている。その事実を実の妹である彼女に言ってしまうのも,酷な話である。

「人間の道徳に反することをしたのさ。だから警察にいる」

「…」

彼女は複雑な顔をしていたが,

「じゃ,またね」

「ああ」

そう言って家の中に入っていった。彼女の背中が少し寂しそうに見えたのは,聖志がそう思ったからだろうか。

 

───PM5:12。

聖志は一旦刑事課へ戻った。

「ダメだな…秋本は口を割らない」

池和刑事課長はため息混じりに言った。それにつられてか,刑事課全体が重い空気に包まれているかのようだ。

「何でこう頑固なのがまとめて…」

中槻担当の長江刑事も項垂(うなだ)れている。

現在ここで取り調べられているのは藤堂霞織殺害未遂の中槻,木塚雅子脅迫罪の寺岡,犯人蔵匿容疑の安藤,今のところ藤堂霞織殺害未遂の秋本の計4名だ。現段階では中槻だけ別件であるが,この件と関わっている可能性は高い。

簡易来賓室から藤井が出てきた。安藤の家族から事情聴取をしていたのだ。聴取していたのはもちろん棚丘である。その後に続いて安藤の家族が出てくる。

聖志は藤井とともに廊下に出る。

「何か分かったか?」

「…はっきり言って,安藤はシロだ」

藤井は事情聴取の内容をかいつまんで話す。

寺岡の存在は,家主である安藤恒樹以外は誰一人として知らなかった。それが安藤の知人であることも。安藤利恵も昨日安藤が帰宅したときに客人として家に迎え入れただけであるらしい。

安藤と寺岡の関係は,大学病院時代の教授と生徒の関係である。特に親しい間でもなかったが,時々飲んだりしていたらしい。安藤が内科医になってからはほとんど連絡も取り合わなかったので家族が知るはずもない。

そして,安藤と寺岡の逃走劇だが,あれは事前に寺岡に頼まれ,仕方なくやったと彼自身が言っている。寺岡の方はそれを否定しているが,逃走用に使われた爆竹を調べた結果,寺岡の指紋が検出されているので安藤が嘘を吐いたということはないだろう。

「そうか…これを聞く限りではシロだな」

それに,身内に警察関係者がいる以上,変な行動をとっては怪しまれる可能性もある。

「これで,取りあえず事件は収縮に向かうか」

「さあ…まだ分からないな。逆に彼等が捕まったことで事が大きくなる可能性もある。それと」

「何だ?」

「藤堂の父親を洗ってみたい」

「藤堂…ああ,彼女か」

藤井は苦笑いする。

「しかし,父親とは…?」

「それが,この前にストーカーの依頼を受けたことは知ってると思うが」

「ああ」

「そのストーカーの存在を彼女の父親が知っていたらしい」

聖志はいきさつを話した。

「…どうして知ってたんだ?」

「それを今から解明したい」

「そうか。…ならばその電話にもメッセージがあるだろうから,それも聞きたいところだな」

「そうだな…行ってくれないか?」

「じゃ,そのマンションの住所を」

藤井の差し出したメモに聖志はそれを書き付ける。

「OK,じゃ」

「ああ」

早速藤井は調査に向かった。それと入れ替わりに,廊下の向こう側から美沙がこちらに来る。

「…会えたか?」

「うん」

現実を目の当たりにしてショックを受けたようだ。見るからに顔色が悪い。

「家まで送ろう」

「…」

警察を出て車に乗る。

彼女は地方から出てきて今は高津のホテルに泊まっていると言うことだった。聖志は記憶を辿りながらそっちへ車を走らせた。

「あの…」

「ん?」

「聖志が,彼を…逮捕したの?」

予想外の質問だったが,彼女の口からその疑問が出ることは不思議ではなかった。

「…実際に逮捕したのは警察だ。俺は彼を拘束し,警察に引き渡した」

「……どうして…彼を解放しなかったの?」

「俺の仕事がそういう仕事だったからだ」

聖志は感情を殺して言った。

「仕事なら何でもするの!?」

「彼は人を殺害しようとしていたんだ」

「でも,してないじゃない」

「それは俺に見つかったからだ」

「見つかってなくても,してないわ!」

「…」

彼女は中槻を心から信頼しているが故に出た,根拠のない言葉。しかし,彼がやったことは紛れもない事実であり,逃れられない罪でもある。

「俺が,どうして右腕を怪我したか知ってるか?」

「…」

「彼に撃たれたからだ」

「!!」

彼女が聖志を見て大きく目を見開く。

「2発撃たれた。一発は幸いにも掠っただけだったが,もう一発は右腕に当たった。それが,この傷だ」

「…そんな…」

彼が体を以て残した証拠である。

致命傷にならなかったのは不幸中の幸いだった。彼がこういう仕事をしている以上,銃の腕もかなりのものだろう。こうして聖志が生きているのも偶然に近い。

「…俺だって,知り合いを現場で見るほど嫌なことはない」

「…」

「だが,犯罪は未然に防がないと意味がない」

それ以降は全く言葉を交わさなかった。

 ようやく高津駅前のホテル前に到着したときには,午後6時を表示していた。

入り口前に車を止める。

「着いたぞ」

ずっと塞ぎ込んでいた彼女に声をかける。

彼女はゆっくりと頭を上げ,何か言いたげに聖志を見る。

「…美沙」

「え?」

「憎いか,俺が」

「…」

彼女は首を横に振った。

「…聖志が悪い訳じゃない。聖志は正しいことをした」

思うところは恐らく複雑だろうが,彼女はこう言った。

「さっきは取り乱して悪かったね…。ゴメン」

そう言って彼女は少し俯く。

「いや…俺も言い方をもう少し考えれば良かったんだが…なにぶん語彙力がない。悪かった」

聖志の言葉に,彼女は少し微笑んだ。