───PM3:03。
ようやく美沙が簡易来賓室から出てきた。棚丘に事情聴取をされていたのだった。幾分顔色が良くなったように見える。精神的な荷が下りたのだろう。
「…ちょっと緊張した」
彼女は休憩室にいた聖志にそう言った。
「そうだろうな。しない奴はいないよ」
「そうなの? …それにしては,聖志は全然緊張してるようには見えないけど」
「そうか?」
足を組んでコーヒーをいただいている姿を見せているので,全く説得力がない。
「ホントに警察官じゃないの?」
「ああ」
改めて美沙の話を聞いていると,あの頃とは口調が全く違う。
「…随分変わったな」
「そう?」
「ああ。口調が」
「…それは,あのままじゃ世間を渡れないし…」
しかし,変わったのは口調だけでやはり彼女らしい面影と鋭い目つきは変わっていない。
「ふ,そうだな」
「…聖志も随分変わってる」
「それは,あのままじゃ世間を渡れないし」
聖志は彼女の言葉をそのまま返した。彼女は微笑し,
「あ…口調じゃなくて,聖志の雰囲気が。なんて言うか…,シャープな感じになった気がする」
「そりゃ…また凄い表現だな」
「でも,話してるとそんな感じはなくて…昔と変わらない」
「…そんなもんかな」
「そう,そんな感じ」
そう言って彼女は笑った。
「学校は楽しい?」
美沙が唐突に言った。
「…ま,それなりに」
「それじゃ,かなり楽しいってことよね」
彼女は聖志と交流が深かっただけに,こういう言葉の意味を分かっている。
「何だ,お前は楽しくないのか?」
「そうじゃなくて,久しぶりにみんなに会いたいなって思って」
「それなら連絡でも取って会えばいい」
「みんな忘れてないかな」
少し寂しげに言った。
「大丈夫,俺が保証する」
と,聖志は手近にあったメモ帳に電話番号を書いた。
「…誰の?」
「舞のところ。彼女,覚えてるだろ?」
「うん。…ありがとう」
と,休憩室のドアが開いた。
「聖志,秋本の事情聴取が始まったぞ」
藤井が言った。
「そうか」
「見ておくか?」
「そうだな」
聖志がそう言って席を立つと,
「あの…警察の方ですか?」
藤井は彼女の方を振り向いた。
「あの,彼に会わせて欲しいんですけど…」
「…彼?」
藤井は聖志の顔を見る。
「中槻のことだ」
「んー,ちょっと待ってくれ。聞いてみるから」
「ありがとうございます」
彼女はそう言って頭を下げる。
「取りあえずこっちへ来て」
藤井は刑事課長の池和に事情を話す。
「…君は…中槻の友人なのかね」
池和は半信半疑で彼女に尋ねる。
「あ…はい」
彼女はそういう位置づけにしたようだ。
「…いいでしょう。長江,案内して」
「分かりました。どうぞこちらへ」
彼女は長江刑事に連れられ,刑事課を後にした。
「それで,安藤の方はどうなってます?」
聖志が話を切り出した。
池和刑事はノートを見ながら,自分の椅子に座り直し,
「彼は取りあえず一段落付いた。寺岡を匿ったのはあくまでも知人だったから,そのほかの意図はなかったらしい。ただ,知人を放ってはおけないので逃げる手筈をしたと。それと,家族の方は全く何も知らなかったらしい」
「ってことは…安藤は寺岡と共謀を図ろうとした可能性は薄いと」
聖志も手近にあった椅子に腰を下ろす。
「まあ,この証言ではそうなる」
「で,容疑は犯人蔵匿ということか?」
「…後は,公務執行妨害だな。…君は,彼を信じるか?」
池和刑事は無精ひげを触りながら言った。
「多少でも金の動きがあればわかりやすいけど…それがないなら安藤を信じてもいいかな」
金は重要なベクトルだ。
「そうか…」
「今時珍しいタイプだな,知人を守るために自分をも犠牲にするとは」
机にもたれている藤井は半ば感心したように言った。
「…しかし,安藤がそれなりに人情の厚い奴ならば分かるが…特にそんなことはないんだろう?」
「さあな…家族からはそんな証言はとってないが,人には色々あるものだ」
「そんなものですか」
「君も分かるようになる」
なんだか適当に話をはぐらかされた気がするのだが,そういうことにしておく。
「で,寺岡の方は?」
「それが…知っているとは思うが…彼は一度名前を変えている」
「ああ」
「朝に聞いた時点では藤堂だと言っていた」
「…藤堂か」
聖志には思い当たる節がある。藤堂霞織の勘当された兄貴というのが,彼であると言うものだ。
「朝の時点で?」
藤井が突っ込んだ。
「ああ。ところがついさっき聞いてみると今度は神崎だと言い出した」
「…神崎?」
聖志は正直驚いた。神崎は美樹の育ての親である神崎直美の名字だ。寺岡がそう言い直しているということは何らかの効果を狙ってのことだろうが,それが偶然なのだろうか。
今のところ寺岡の友人関係に神崎と名の付くものは一人もいない。彼が独自に作り上げた架空の人物か,神崎直美のそれをとったのかは分からない。
もし後者の可能性を考える場合,自分が神崎であると言っているということは,神崎直美は結婚してから神崎になったのだから,神崎直美と籍を入れているということだ。そんなことの真偽はすぐに分かる。それとも,全くの別人を指しているのだろうか。
「安藤に尋ねてみたが…改名する前の名は知らないそうだ」
「可能性は五分か…」
藤井が呟くが,
「もう一人尋ねるべき相手がいる」
「何?」
聖志の言葉に池和が反応した。
「藤堂霞織に直接聞けばいい」
「…そうか,なるほど」
藤井が納得顔で頷いた。
聖志は早速電話を借り,彼女の自宅の番号を押す。
ぷるるるるる…
「…」
「…」
待つこと20秒。全く電話を取る気配はない。
「出かけてるんじゃないのか?」
「じゃ,携帯にかけるか」
しかし。
『現在この番号は使われておりません』
「…携帯を解約したらしい」
「どうする? 自宅にもいないし,しかも携帯が繋がらないんじゃ連絡が取れない」
藤井が言うとおり,全く連絡手段がなくなった。
「本部に聞けないのか? 例の,何とかシステムで」
「携帯がないんだから無理だ」
JSDO本部にあるのは仕事依頼を受けた相手が今どこにいるか,携帯電話の電波を使って一括管理するシステムで,いわゆる人間ナビである。
「…マンションの管理人に聞くのはどうだ?」
「やってみるか」
彼女のマンションへ問い合わせるが,
「ああ,401号室の人なら今朝早く出てったよ」
しわがれた声で,そう言った。
「出ていったというのは,部屋を引き払ったってこと?」
「そう」
「…どこへ行ったか分からないか?」
「えーっと,あれは父親だったかな…多分実家の方に戻ったんじゃないかな?」
「そう,どうも」
聖志は受話器を置いた。
「そういう訳だ。彼女は実家にいる」
「そういう訳って,彼女の実家の場所を知っているのか?」
「今から調べる。ちょっくら情報部のコンピュータを貸して貰うが」
そう言って池和の顔を見る。
「…分かった」
聖志は刑事課を出て,4階にある情報部へ向かう。
「西原さん,お久しぶりです」
「ああ。例によってコンピュータ借りるぞ」
「どうぞ」
ここへ来たときは大体寄っているので顔で分かってくれる。
手近にあった2年前ぐらい型遅れのマシンの前に座り,JSDOの個人データベースにアクセスすること約5分。
『本名:藤堂霞織。18歳。学歴:私立新宇部学園3年。両親健在。勘当中の実兄がいる』
基本データはこれだけだった。次に詳細データを見る。
『自宅住所:柿原スカイマンション401号。本宅住所:高崎市12−2』
───ここからかなり近いな…。
この住所だと,高崎署の裏手の住宅街にありそうだ。