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───AM6:34。

とうとう夜が明けてしまった。寺岡の方と言えば,全く動く気配がない。寺岡はしばらくここに居座るつもりなのだろうか。

恐らくもうすぐ安藤家の主が出勤する時刻になるので,そのときに警察側が動くつもりらしい。

聖志らは取りあえず朝食を摂るために安藤家の向こう側にある国道沿いのコンビニに徒歩で向かった。

「こんなことなら鎮痛剤を飲んでおくんだったな」

昨日は結局運転しなければならなかったので痛みを我慢しながらここまで来たのだ。

「痛みがあるのか?」

「ああ…昨日中槻と少しやりあって,そのときのが原因だと思う」

「また無茶なことを…」

「仕方ないだろ」

そんなことを言いながら国道の歩道に出る…と,安藤家の壁の上になにやらでかいものが。

藤井も不思議そうにその物体を見ていると,その塀から飛び降りた。明らかに人である。

───まさか!?

「待て!」

聖志が彼に言うより早く,藤井が走り出していた。

奴は国道を渡り,向こう側の路地へ入る。この辺りの地理を熟知しているのか,どんどん奥へ入っていく。藤井と聖志はその後を何とか見失わないように追いかける。しかし,角を5つほど曲がったところで袋小路に入ってしまったらしい。藤井が寺岡を追いつめる。聖志は携帯で安藤家の前に張っていた棚丘に連絡を取る。

「…寺岡康広だな?」

藤井が尋ねると,奴は一歩後ずさった。

さっき確認したが,今日は外出の予定らしく白いカッターシャツにグレーのズボン姿。恐らく警察の隙をついて別の場所に逃亡するつもりだったのだろう。

身長176pの中年体型,年齢35歳でJCSの社員。葉麻社長の秘書である木塚雅子を脅迫した張本人。秋本から300万円の融資を受けている───聖志の頭の中に入っている彼に関する情報はこれだけである。

「少し聞きたいことがある」

「何もしてないぞ!」

藤井の右後ろに位置している聖志が言い終わるより早く,奴は言い放った。想像より高い声だ。

「…何もしていないなら,逃げる必要はない」

「…」

取りあえず奴をこの場に拘束し,警察が来るまでの時間稼ぎをする。

「取りあえず最初の質問に答えて貰おうか。名前は?」

藤井は冷静な声でそう言った。しかし,奴は怯む様子はない。むしろ何か余裕があるようだ。

───おかしいぞ…。

普通犯罪を犯した人間が警察と思われる人物に囲まれると,何かしらリアクションを起こすはずである。だが彼は,さっきまでの怯えた様子を完全になくしている。

「ま,後で嫌でも言うことになるから別にいいけどな。じゃ,次の質問だ。どうして逃げた?」

「…」

また黙りを決め込んだようだ。しかし,ただのサラリーマンにしては度胸がある…というか,不自然だ。まるで何かを待っているような…。

と,その瞬間!

バババッババッ!!

背後からけたたましい破裂音が響き渡る。瞬間,聖志はグロックを背後に向ける。

「聖志,伏せろ!」

突然の藤井の声に瞬間的にコンクリートの地面にうつぶせになる。と同時に銃声が響き渡る。

バゴォォン! バゴォッ!

路地の中で,サイレンサーを装着してないので余計に音が響き渡る。

見ると,藤井が銀色に光るコルト[i]を抜いていた。その前には利き腕をやられた寺岡が蹲っている。足下には彼が聖志に対して引き金を引くはずだったリボルバーが転がっていた。

「ぐっ…」

寺岡が呻いている。

「悪く思うな…。聖志,大丈夫か?」

藤井は振り返らずに言った。

「ああ。助かった」

と,棚丘が路地に駆け込んできた。

「大丈夫ですか!?」

グロックをしまう聖志に言った。

「何とか。それより…」

聖志が目線で寺岡をさす。

「棚丘,銃刀法違反の現行犯だ」

後ろから星野警部が登場。と,隣には見知らぬ男性が。

「彼は?」

「さっきの破裂音を仕掛けた本人です。破裂したのは爆竹でした」

───嘗められたものだ。

しかし,不意打ちとして使う分にはかなりの効果を上げられることは確かである。

20分後,高崎署の応援とともに聖志と藤井は高崎署へ同行することにした。

 



[i] 藤井の愛銃,コルト380オート。かつてのアメリカ軍制式採用のコルト・ガバメントを一回り小さくした小型の銃。銃身は105ミリ。