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───8月24日。

辛うじて最終列車に間に合い,東高崎に帰り着いたのはちょうど日付が変わる頃だった。深夜の街を歩き,自宅マンションに到着。

美樹はもう寝てしまったらしく,部屋の明かりは消されていた。4日ぶりに自宅で休めると安堵しながらリビングに向かう───と。

ぷるるる…

タイミングがいいのか悪いのか,電話が鳴り始めた。正直,聖志は聞かなかったことにしようかと考えたが,そうも行かないのがこの仕事の辛さ。

「はい」

「聖志か? 俺だ」

藤井だ。

「…どうかしたか?」

「今から出てこれるか?」

信じられない言葉が。とは言え,本職はこちらなので断るわけには行かない。

「どこだ?」

「寺岡の立て籠もる城田だ」

「分かった。少し遅れるかも知れないが」

「OK」

受話器を置くと,無理に動かしたのが原因なのか,痛みが再発しだしたので昨日病院で貰った右腕の鎮痛薬を飲むことにする。ポケットを確認すると袋に入ったものが確かにある。

───それにしても,何故中槻は藤堂を狙ったんだ?

つまり,それは中槻の依頼者に対する疑問と同義である。かなり前から彼の行動はマークしていたつもりなのだが,肝心の部分が分からない。現段階では取りあえず依頼者の見当は付く。これまでの情報をまとめるとひとつの答えが出るのだ。

と,時計が視界に入った。

我に返った聖志は薬を飲むことにした。取りあえず白い袋から錠剤を取り出し,水を口に含んだのは良かったのだが…。

───非ピリン系じゃないのか?

注意書きには,「服用後は車の運転を控えて下さい」の文字が。

「んー…」

思わず聖志は悩んでしまった。右腕は痛いが,それを防ごうと鎮痛薬を飲むと車の運転の最中に寝てしまうかもしれない。

しばらく悩んでいると。

「お兄ちゃん,帰ってたの?」

キッチンのドアが開き,眠そうな顔で美樹が入ってくる。

「ああ…また出るけど」

「また?」

「タイミングがいいことに,連絡があったからな」

「…そうなの。…それは?」

彼女は机の上の錠剤を見た。

「右腕の鎮痛薬さ」

「…そう言えば,もう包帯はいいの?」

首から吊していた包帯は昨日のうちに取り去っている。もちろん患部には巻いてあるが。

「こうしないと運転もできないからな」

聖志は一旦出した鎮痛薬を袋にしまった。

「じゃ,行ってくるから」

「あ…,うん。無理しないでね」

「ああ」

聖志は彼女の複雑な表情に見送られ,自宅を後にした。

 

辛いながらも何とか城田に到着。

「よく運転できたな」

「何とか」

そう言って車を降りる。

寺岡が立て籠もったという家は,ちょうど曲がり角に位置していた。立派な門構えに高い壁。典型的な屋敷タイプ。安藤家は国道を背面にしているので,ここから国道までが安藤家の敷地になる。

「…本当にあの家に?」

「恐らく。真偽のほどは星野警部に聞けばいい」

藤井は前の黒いセダンを指さした。

聖志は挨拶もかねて取りあえず近付く。

「こんばんは」

運転席には棚丘がいた。

「あ,西原さん。怪我の方はどうです?」

「動かせないほどじゃない」

「そうですか」

と,助手席を見ると星野警部が夜食中だ。

「星野,ご苦労だな」

「得意の持久戦ですよ」

缶コーヒーを飲んで彼は言った。

「さすがにベテランだ。これまでの動きは?」

「全くありません」

棚丘がきっぱりと言った。

「…情報の出所は?」

「近所の方々の目撃証言です」

「複数か?」

「はい。この写真を見せました」

「…なるほど」

指名手配用に使うモノクロ写真だ。

「逮捕状は出てるか?」

「いえ…まずは事情聴取です」

「分かった。後ろにいるから」

「はい」

聖志は自分の車に戻る。

「お前も大変だな」

戻ってきた聖志に,藤井が助手席から声をかけた。

「何だ,急に」

「だってそうだろう…いきなり刺客に狙われるわ,急な依頼が飛び込んでくるわ…今回はかなり走り回ってるな」

「ああ…そうだ,あの依頼はつい1時間ほど前に完了した」

「ついさっきじゃないか。…で,何か出たか?」

「どうかな。ま,依頼内容は知ってると思うが,犯人は中槻だった」

「中槻が? なんで……まさか…?」

「思い当たる節はあるな」

聖志は,やはり同じ結論に達した藤井に断定口調で言った。

「ないわけがない」

つい2日前,藤井が偶然中槻を見かけて追跡し,サテラシステムに忍び込んだときの話し合いはそのことだった可能性が高い。

「しかも,中槻は確実に彼女を消すつもりだったらしい」

「…なるほど。秋本が中槻に彼女の暗殺を依頼したんだな。しかしだな…」

「そう,動機が分からない。誰と誰が繋がっているのかが分からない」

仮に秋本が藤堂を殺したとして,それが何の得になるのか。しかしそれ以前に,どうして中槻の存在を秋本が知っていたのか。彼は経験上,全く素性が知れないような人物との契約はしないだろう。つまり,どこかに信頼できる点があったからこそ彼も承諾し,暗殺依頼を受けたはずである。

───ということは,やっぱりどこかに繋がりがあるのか…。

「取りあえずは,中槻と秋本の繋がり,それとその暗殺を実行した動機だな」

聖志は目標を定めた。