聖志は屋上に到着した。
取りあえず腰の後ろのグロックを確認すると,屋上の様子をうかがう。さっきあの部屋を狙っていたと思われるスナイパーライフルがそのまま放置されている。さすがにまずいと思ったのか,どこかに隠れたようだ。放置されているのは,ここから見る限りではM16A1[i]を少し改造したもの。銃身が1.5倍ほど長く,スコープも付いているらしい。
───奴はどこへ行った?
逃げるとはいえ場所は限られているし,さっきの聖志の弾丸は間違いなく命中したはずだ。体力的にもそう遠くへは逃げられない。もしこのビルの中へ逃げたのならば少々厄介にはなる。
気配を探るが,しかしどこにもそれらしきものは感じられない。屋上への入口の陰,給水塔の周り…隠れられる場所はどこにもなさそうだ。それになにより…
───血痕が入口の方へ…ということは,中に入れたのか?
聖志は慎重に屋上からビル内へと続く入口に近付き,ドアの内側の気配を探る。彼は安全と判断し,ビルの中に入る。地面には血痕があるが,多少乾いてきていることから撃たれてすぐにこの中へ入ったと思われる。聖志がこっちへ来ることを予想していたのか,最初からそうするつもりだったのかは分からない。階段の踊り場から階下を見るが,人の気配はない。
聖志がここまで来るのに掛かった時間はせいぜい5分。このビルの鍵を奴が持っていれば,ここから逃げることは可能だが…なぜここの鍵を持っているのか。
───ま,そんなことは本人から聞けばいいことだ。
目が慣れてくると彼はそう思い直し,暗い階段を下りる。どこから狙われていてもおかしくはないが,暗殺するために近接戦闘用の武器を持って来るというのもおかしな話だ。よほど用心深い奴か,そう上から命令されていれば分かるが。
最上階に降り立つ。聖志は血痕の後を追って正面の部屋の前に立つ。ドアには窓がないため,中を確認するのは不可能だ。グロックを左に持ち,一息ついてから静かにドアを開ける。
完全なオフィス。社員のデスクが配置されているため,隠れる場所は多い。頼れるのは月の光と自分の腕だけだ。完全に気配を殺すのはこちらは不可能。聖志は気を集中させ,一瞬でも早く敵の姿を捉えようとする。
静まり返った部屋に佇むこと約2分。聖志は部屋の中央に立っていた。明らかに人の気配はするものの,左右のどちらのブロックにいるか分かりかねている…が,さっきから足首より下に視線を感じているような気がする。───と!
ピリリリリリリ…
けたたましい携帯電話の音が背後から鳴り響く! と同時に聖志はしゃがみ込むと,その頭上を何者かの体が通過した。勢い余って床に這い蹲るかと思いきや,機敏な動きで今にも押さえようとしていた聖志の足下へ滑り込む。聖志は一瞬よろけるが,それでも奴の反対側へ飛び,今にも起き上がろうとしている奴の頭を押さえ込もうとする。しかし足を絡められ,聖志の体が半回転する。それを狙っていたのか,奴は聖志の首を羽交い締めにする。
───ちっ!
聖志はまだ完治していないものの,フリーだった右腕を無理矢理動かし,奴の腹に入れると,そのままダッシュ。すぐに来るかと思ったが,意外に効いたのか奴はその場でうずくまった。
肩で息をしながらも聖志はグロックの狙いを定める。
彼は観念したかのようにひょろっと立ち上がり,両手を上げる。と言っても右腕は先ほどの怪我で肩まで上がっていない。
「…あんた,右腕はまだ完治していないんだろ?」
奴は疲れ切った声でそう言った。と同時に,どこかで聞いた声であることを確信した。
「…何故それを?」
「俺があんたを撃ったからさ」
暗がりの向こうから,彼が予想通りの言葉を返した。
「…何故彼女を狙う?」
聖志は本題に戻した。
「そういう仕事だからだ」
つまり,彼自身が彼女をどうこうしようというわけではないようだ。
それを聞くと聖志は本部へ連絡を送る。ただし,携帯ではなく発信器で。恐らく5分ほどで到着するだろう。
「一応聞くが,誰の命令だ?」
「…」
5秒の沈黙。
「…そうか。ならば仕方ないな」
聖志はそれ以上追求することをやめた。
「…助かる。…にしても,かなり驚いている」
中槻はそう言い放った。
「同じく」
聖志はグロックのポイントを外した。暗がりの向こうの中槻は座り込んだ。
「あんなところから撃つとは…すごいよ,お前は」
かなり体力が消耗しているようだが,喋り続けるところを見るとやはり危ない橋を渡ってきているのだろう。こんなことは慣れっこだと言わんばかりだ。
「…俺が彼女にくっついてたことは知ってたか?」
「いや…そんな情報はなかった。ま,先方も大した腕ではないらしいが」
中槻に仕事を依頼した奴は誰なのか,興味を持ちながら聖志は思案を巡らす。
3分後,警察が彼を引き取りに来た。聖志の発信器からJSDOを経由し,警視庁の方へ連絡が行ったのだ。聖志が中槻本人を検挙するのは初めてのことである。ビルへの不法侵入はやはり彼が自分で鍵を開けたらしかった。
───さて,依頼人はどう出るかな?
聖志はパトカーに乗せられる中槻をビルの下で見送り,そう考えながら藤堂の部屋に戻る。
出てくるときの不安な様子から見て部屋の隅で小さくなっているかと思いきや,特になんと言うことはなく,テレビにかじり付いている。
「あ,どうだったの?」
「依頼は完了した。さっきサツにしょっ引かれた」
「…じゃ,もうストーカーはいなくなったの?」
「ああ」
「良かったぁ」
そう言って彼女はホッと胸をなで下ろす。しかし聖志は改めて偶然の恐ろしさを感じた。最初は胡散臭い依頼だと思っていたが,実は中槻が彼女を暗殺するために張っていたとは思わなかった。結局彼女の暗殺を陰で指揮した奴の名前は聞き出せなかったが,その事実があったことが分かっただけでもこの依頼の報酬の一部と考えることができる。
「…ま,そんなわけで俺は帰る」
「帰るの?」
そう言って彼女は時計を見た。
───PM11:00。
「ああ」
「報酬はどうすればいいの?」
「ん…」
その言葉を聞いたとき,聖志は正直驚いた。依頼を受けたときは確かにその話も出たが,一介の女子高生がこんな組織に払う金など持ち合わせるはずがないと考えていたからだ。
「…幾らくれる?」
「え? あたしが決めていいの?」
「…ああ」
───こっちが決めると払えないだろう。
恐らく本部長もこういうことは考えているだろう。と,不意に終電のことが頭に過ぎる。
「…もう行く。額を決めたらここへ連絡してくれ」
聖志はそう言って,キッチンの壁にあったホワイトボードにJSDO金融部の番号を走り書きした。
「じゃ」
彼女を一瞥すると聖志は駅に向かって走った。