前回 次回


 

───PM2:41。

真夏の昼下がり。

「…まだこんなに深いのか」

「そんなにすぐには治りませんよ」

右腕の包帯を交換している。ルガーで撃ち抜かれたその傷口はまだ深く,大したことはないがやはり痛みを伴う。多少出血もしているようで,ガーゼが赤く染まっている。

「完治までどれくらいかな」

「多分,一月ぐらいかかると思います。それまで無茶をしなければ,ね」

看護婦は笑いながら言った。一体,無茶とはどういうものだ。

彼女は手早く包帯を外し,消毒をする。

───!

銃撃されたときよりもリアリティのある痛みが体を走り抜ける。

「はい,我慢してね」

彼女にしてみれば他人事なので,普通に言っている。それが非常に腹立たしいのは聖志だけだろうか。

それがすむとガーゼを被せ,それからまた新しい包帯を巻いてくれた。

「はい,お終い」

「どうも」

まだ治まらない傷口の痛みを我慢しながら彼が礼を言うと,看護婦は部屋を出た。それと入れ替わりに,今度は警察が入ってきた。

「…痛そうですね」

棚丘が心配そうな顔で率直な感想を言った。

「痛そうじゃなくて,痛いの」

聖志は顔を歪めて言った。

「あ…そのようですね」

後ろに続いてきたのは内田刑事だった。恐らくJCSの調査が一段落したのだろう。

「美樹さん,ご無沙汰してます」

「あ,こんにちは,棚丘さん」

彼女は軽く会釈をする。最近何かある度に棚丘からの連絡があるので,美樹も電話の声だけで彼だと分かるほどになっている。

「それで,どうした?」

「ええ,様子を見に来ました」

───嘘を付くな。

棚丘は笑顔で言うが,彼が無駄な行動をとることは少ない。普段は人当たりのいい彼だが,人情だけで動く奴ではない。むしろ星野より計算高いところがある。

「…お見舞いついでに一つ聞きたいことが」

「何でしょう?」

「寺岡の居場所だ」

聖志の言葉を聞くと,棚丘と内田は顔を見合わせた。

「こちらはまだ情報がありません。とっくにそちらで拘束したのかと…」

その応答に聖志は首を振る。

「物証を見つけたはいいが,肝心の犯人がいなければ意味がない」

「指名手配しましたが…」

「未だ見つからず,か」

「残念ながら…」

内田が言った。しかし,その言葉には少しばかりの余裕が感じられた。

「ご存知かも知れませんが,寺岡は1度名前を変えているんです」

棚丘はメモを見ながら言った。

「…そんな話は初耳だな」

「ですから,寺岡という名前にとらわれない方がいいかも知れません」

「で,その名前はなんという?」

「それが,未だに分からないんです。裁判所でも名前の変更はあったものの,その名前までは分からないらしいんです」

「…何でだ? そのくらい残ってて当たり前なんだろ?」

「はい。…何らかの事件が関連しているかも知れません」

「…裁判所か」

───そういえば,裁判官をやってた人物がいたな…。

と,棚丘の携帯が鳴った。何やら話をした後,

「すみません,緊急召集です」

「忙しいな」

「では,お大事に」

「ああ」

そう言い残すと,2人は去った。

しかし,寺岡が改名していたとは知らなかった。いや,その情報はあったのかも知れないが,見落とした可能性もある。取りあえず彼が改名した裁判所に行って,詳細を確かめる必要がある。

聖志はもう一度パソコンを開き,思い当たった人物の情報を見る。

『本名:秋本一樹。35歳。2年前に結婚。学歴:高専卒業後,ニューヨーク市立大学法学部卒業。現在は高等裁判所裁判官。備考:妻の名前は飛島千枝。備考2:Secret Lebel 8』

今のところ偶然か否かは五分の確率だが,秋本という名前が出ている以上,放っておく訳にはいかない。しかも,やはり見落としていたシークレット欄がある。

───レベル8か…。

これほどレベルが高いということは,かなりの情報なのだろう。下手に部外者に知れ渡るとかなり厄介なことになる可能性がある,という情報はこのくらいのレベルになる。先ほど棚丘が言っていた,何らかの事件と関連があるというのは強ち間違ってもいないかも知れない。しかもスケールの大きなものと。

単に改名情報の隠蔽工作くらいなら法務省が直接裁判官を首にしてしまえばすむ話だ。しかしそれが出来ない,あるいはこの情報が法務省上層部でかなりの機密事項として扱われている,となるとややこしくなる。ここにそれが書いてあると言うことは,JSDOの情報バンクにはその情報があるということだ。例えそれがどんなに些細なことでも。そして人間というのは悲しいもので,それがどんなに些細なことだったとしても見たくなってしまうのだ。

───また侵入してみるか…。

恐らくレベル8になると想像も付かないようなハッキング防止策がかかっているだろう。いくら聖志が1級捜査官で位が高いとは言っても,それは捜査官だけでの地位であって,情報管理官にはやはり通じないところがある。見せてくれと言って見せてくれればいいが,恐らくそうはいかない。だからハッキングを行う必要があるのだ。例えそれが捜査に必要になる情報だとしても。

しかし,取りあえずは寺岡の居場所である。病院から出れない以上,藤井などからの情報を待つ以外に手はない。