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「あの,もういい?」

彼女は2人にそう尋ねる。

「藤井君,彼女を送って上げなさい」

「分かりました。では,行きましょうか」

藤井は病院から車を出す。それと同時にFMラジオをかける。

「どこまで行くのですか?」

「えーっと,駅まで」

彼女はそう言って,ため息を吐く。

「あのさ,少しぐらい話してくれてもいいんじゃない?」

後部シートで不満をぶちまけるように言った。

「何が聞きたいのですか?」

部外者なので手放しで教えるわけには行かないが,取りあえず話せるところだけでも教えないと彼女が納得しないだろう。

「まず,謝って」

「あ…,その件につきましては,大変…」

「冗談よ」

彼女はセミロングの髪を弄んでさらりと言い流し,

「それより何で追われたの?」

そう続けた。藤井は自分の調子が狂うのを意識した。

「…それは分かりません。私が知りたいくらいですから」

「それじゃ,あなた達は何なの? 警察の人?」

「…それは口外できません」

───沈黙の5分間。

「……あの怪我した人は大丈夫なの?」

「ええ,恐らく」

「そう。あの人,学生さん?」

「はい。…そう言うあなたも学生のようですね」

藤井はそう言いながらバックミラーをいじる。

「ええ。お陰で学校に行き損なったけどね」

彼女の皮肉を聞きながら,駅に到着した。駅は帰りのラッシュアワーで混雑している。

「それではお気をつけて」

「じゃーね」

彼女は挨拶もそこそこに,駅の雑踏の中へ消えた。

 

───8月21日。

「ま,君が死ななくて何よりだ」

「お陰様です」

病院での会話である。

弾丸の摘出手術も昨日無事に終え,ようやく普通に話せるようになったのだ。被弾した場所は右腕の肩付近と右胸下部。右胸の方は防弾チョッキのお陰で軽傷だったが,右腕はかなりまずい位置に弾丸が到達していたようだ。しかし懸命の処置により,何とか神経系を傷付けずにすんだ。

「どんな奴だったか思い出せるか?」

「…いえ,自分は顔を見てません。藤井か,もう一人確かいたような…」

「昨日の学生か…」

「本部長」

藤井が入ってきた。聖志は個室を借りたので,部外者はいない。

「昨日の写真が出来ました」

そう言って差し出したのは,昨日藤井がぶつかった学生だった。本部長がそれを受け取る。

「データはこれです」

本部長はしばらく見てから聖志に手渡す。聖志が怪我をしたのは幸いにも右腕だったので思ったほど支障はない。

「…知ってるか?」

「いえ。しかし…新宇部学園の生徒ですね」

「何故だ?」

「制服です」

美樹がいつも同じような服を着ているのを見ている。夏用の白いベストに赤いネクタイとグレーのスカート。インパクトの強い色が並んでいるので目に付き易い。写真のは青いネクタイだが。

彼女の名前は藤堂霞織(とうどう・かおり),新宇部学園の3年生である。両親は健在だが離れて暮らしている。勘当された兄がいるらしい。彼の名前までは載っていない。髪型は少し茶色に染めたセミロングで,小さい顔と非常にマッチしている美人である。

「…美樹にでも聞いてみるか」

聖志がそう呟いた。すると,

「お前,妹さんに連絡したのか?」

「…いや。藤井,悪いが…」

「分かった」

そう言って藤井は出ていった。

「…それにしても,刺客はどこに潜んでいるか分からないな」

「ええ,今回も学校の中でしたからね」

「…昨日は学校に人はいたのか?」

「今は夏期休業中ですから…いても用務員ぐらいだと思います」

「…ということは,外部からの侵入者か…」

「しかし,自分が学校に赴くことを知っている人物がいたでしょうか」

聖志は昨日の行動を話した。

昨日は午前中は人物関係を調査し,それからJCS本社へ藤井と共に赴いた。そこで調査した後学校に向かったのだ。はっきり言って関係者以外と接触した時間はほとんどない。それにこの仕事の命令は昨日受けたばかりなのだ。こうも早く外部に情報が漏れるとは思えない。

「もしくは,我らの先だっての行動を察知していた何者かか」

「先だっての行動ですか? それはJSDO関係者しか…」

「いや,もう一つあるだろ」

本部長の意味ありげな顔で,聖志は悟った。

「……まさか,警察が?」

「可能性の問題だが,ないではない。私としても信じたくはないが,捜査に私情は禁物だ」

厳しい表情で彼は言った。

しかしそう考えてみると,警視総監からJSDOに捜査依頼があること自体,妙な話である。

「久遠さんが直接関わっているとは思いたくないが,考えようによっては…」

「…」

───久遠さんが…?

現在の警視総監,久遠優は2年前から連続してこの地位にいる。聖志は見識はないが,初の女性総監だそうだ。

「今回警視庁からこの事件に駆り出されたのがおよそ30人。その内高崎署が24人だ」

「その他は一体どこから?」

「警視庁からだよ」

「本部からですか?」

「ああ。しかも総監の命令だ」

「…」

普通なら地方の事件は地方署に任せるはずだ。にも関わらず警視庁から捜査官を出すのは何か理由があるはずだ。だが,疑い出すときりがない。

「…ま,君は今回の事件に全力を尽くしてくれ。刺客の件は私の方で調査してみる」

「お願いします」

そう言うと,本部長は隣の椅子にかけてあったスーツの上着を取る。それと同時に藤井が戻ってきた。

「取りあえず伝えといた」

取りあえず伝えただけなのに暫く戻って来なかったのは,美樹が色々と藤井に尋ねたのだろう。

「藤井君,犯人の顔を見てないか?」

「いえ,顔は帽子を深く被っていてはっきり分かりませんでした。服装は,白いTシャツに黒いジーパンでした」

「そうか。こちらで調べてみよう」

「…本部長,彼女の処分はいかが致しましょう」

「藤堂のことか?」

「はい」

「…機密指定は当然だが,特に拘束する必要はないな。ただ,この事件に関与するようならば貴重な参考人になるかもしれん。今のところは何をすることもない。では後は頼む」

「分かりました」

本部長は病室から出て行った。

「聖志,かなり心配してたぞ」

本部長が去るのを確認してから,そう切り出した。

「…美樹か?」

「ああ。泣かれるかと思ったぜ」

「病院の名前は言ったか?」

「ああ。一応場所も教えておいた」

「ありがたい。あいつのことだろう,多分来る」

「…それなら迎えに行った方がいいか?」

「いや,大丈夫だろ」

自分の体もままならないのに,人のことばかりを心配する性格はやはり母に似ている。

「…こいつは怪我はなかったのか?」

聖志はさっき本部長から貰った写真を示して言った。

「なかった。ぴんぴんしてたよ」

不意に藤井の表情が変わった。

「どうした?」

「…いや,妙にお喋りな奴で,俺の調子が狂った」

「ほほう」

聖志は改めて彼女のデータを見た。写真が手に入ったのは,昨日藤井が車で送ったときにバックミラー内部に仕込まれたカメラで彼女を撮ったからである。ミラー自体がマジックミラーになっており,普通に見ただけではただのバックミラーと何ら変わりない。

コンコン。

ドアがノックされる。

「どうぞ」

聖志の声に,ドアを開けて入ってきたのは,

「…おじゃまだった?」

「構いませんよ」

「そう…あ,昨日はどうも」

彼女はそう言って藤井に頭を下げた。藤堂霞織その人が何故かここに来たのだ。今日は学校へ行かないのか,ラフな私服姿だ。

「えーっと,大丈夫?」

聖志に向けられた言葉は,それが最初だった。

「ああ,お陰様で。昨日は迷惑をかけてしまったな,謝罪する」

「そんなのじゃ謝られている気がしないけど。ま,その腕に免じて許して上げる」

添え木をしてその上から包帯で吊した聖志の右腕を見て笑った。

「それで,今日はどのような御用ですか?」

藤井は彼女を完全に外部の人間と見なして話しかけた。

「お見舞いに来て上げたんだけど。何かまずい?」

「いえ,そうでしたか」

「どうでもいいけど,その敬語何とかならないの? …誰だっけ?」

藤井の名前を言おうとして,知らないことに気付いたようだ。

「藤井と申します」

「あんたは?」

こちらを振り向いて勢いよく尋ねる。

「俺は西原。ついでに君の名前も言ってくれると嬉しい」

彼女はすぐには答えず,

「…下の名前は?」

「聖志だけど」

「そう」

そう言ってベッドの横のパイプイスに腰を下ろす。

「藤堂霞織よ。宇部学の3年」

「じゃ,俺より一つ上か」

「2年?」

「そう」

聖志は敢えて友人のように接した。藤井は完全に第3者として自分を位置づけたようだ。

「あんた,中央学院の生徒なの? 昨日学校から出てきたじゃない」

「ああ」

「それが,何でピストルで撃ち合いしてるの?」

ストレートに聞いてきた。ピストルと言うところが妙に素人らしい。

「サツなの? それとも裏で買ったとか?」

「…残念ながら,その質問には答えられないな」

「何で?」

「それを聞くと,君にまずいことが起こる」

「…何それ?」

彼女は鼻で笑い飛ばすが,

「…そんなに聞きたいのか?」

聖志は声をやや低くして言った。

「…それじゃ,あんたとあの人はどういう関係?」

彼女は藤井を指さして言った。

「先生と生徒」

「…それ,ホントなの?」

疑いの眼差し。

「本当です」

藤井はそう言って中央学院の教員証を見せる。

「…ま,そういうことにしときましょ」

彼女はまだ不満顔だが,証拠を見せられると引き下がるしかないようだ。

コンコン!

と,ドアが鳴った。

「開いてる」

そう言い終える前に,ドアが開いた。

「はぁ,はぁ,お兄ちゃん!」

息を切らして入ってきたのは美樹だった。

「おい,そんなに慌てることはないんだぞ」

「だって! …」

美樹は何か言いかけたが,佇んでいる藤堂に気付くと,

「あれ? 美樹じゃない?」

次に声を発したのは,美樹ではなく藤堂だった。

「…藤堂先輩!」

───え?

「お兄ちゃんって…まさか,兄妹?」

「ああ」

「でも,名前が…」

「少し事情があって」

聖志が遮った。

「…ごめんなさい」

妙に気に掛ける藤堂。

「いや。それより美樹,先輩とは?」

「あ,うん,わたし料理のクラブに入ってて,その先輩なの」

「なるほど」

「…それで,どうして先輩がここに?」

「その人とぶつかっちゃって,いろいろと縁があってね」

藤堂は苦笑いしながら,また指で藤井をさす。彼は視線を窓の外へやる。

「ま,そんなわけだ」

「そうなんだ…」

「美樹,座りなよ」

彼女は隣の椅子を勧めた。

「あ,はい。…お兄ちゃん,大丈夫なの?」

「大したことないんだけど…昨日は連絡できなくて悪かったな」

「大したことないって…ホントなの?」

美樹は首から吊された腕を見ながら言った。

「ああ」

「大丈夫なわけないじゃん,そんな大げさな包帯巻いて」

藤堂は笑いながら言った。

「そんなことは病院に言ってくれ。好きでしてるわけじゃない」

と,藤井の携帯が鳴り,彼は病室を出た。

「…あ,美樹に聞けば分かるかも」

不意に藤堂はそんなことを言った。

「美樹,あの人一体何?」

彼女は怪訝そうに尋ねる。

「え? …藤井さん?」

「そう」

「何って言われても…お兄ちゃんの先生じゃなかったかな?」

美樹はそう言って聖志の顔を見る。聖志はそれに頷く。

「…まだ納得してないのか?」

「しろって言う方が無理よ」

「ま,そうかも知れないな。でも,事実は小説より奇なり,だろ?」

「じゃあ尚更じゃない」

「小説なら俺と彼がただの生徒と教師の仲ではないということになるのだろうが,事実は小説より奇なんだから,つまりただの生徒と教師さ」

彼女は参ったという感じでため息を吐いた。

「……あんた,頭の回転速いわね」

「ありがとうと言っておこう」

「さすがに美樹のお兄さんね。じゃ,あたしはこれで失礼するわ」

「ああ,美樹をよろしく」

「ええ,それじゃね」

「はい,さようなら」

藤堂と入れ替わりに藤井が入ってきた。藤井は軽く会釈をした。

「…面白い奴だな」

聖志は呟く。

「藤堂先輩のこと?」

「ああ。いつもあんな感じなのか?」

「うん。何でもすぱっと割り切って尋ねたり,言ったりするの」

「なるほど」

藤井が彼女に手を焼く姿が目に浮かぶ。

「ところで,誰からだったんだ?」

戻ってきた藤井に尋ねる。

「…星野さんから。捜査が行き詰まったようだ」

「そんなことを連絡してきたのか?」

「いや,どうやら元凶が見つかったらしい」

「元凶?」

「木塚の偽証をさせた,真犯人と言うところか」

「…つまり,脅迫だったのか?」

「あの話し方から想像すると,そうなるな」

───しかし,何でこっちに連絡をよこしたんだ? それこそ警視庁側が手に入れた情報なのだから,JSDOに差を付けられるチャンスだったのではないのか?

「多分高崎署はあの会社を徹底的に調査しているだろうな」

「…それで犯人の目星はついたのだから,あとは物証を見つければいいだけではないか」

「そういうことだな」

「…完全に出遅れたか…」

聖志は正面の白い壁を見つめながら言った。しかし,その声には余裕があった。

「名前は聞いてないのか?」

「いや,そこまでは言わなかった」

つまり教えてくれなかったのだ。

「そうか。取りあえずあとで人物関係を洗うか」

「そうだな…てなわけで,俺は飯を食いに行く」

時計を見ると1時を回っている。

「そうか。じゃあ美樹を頼む」

「OK。行こうか」

「あ,はい。お兄ちゃん,あとでね」

そう言って彼等は外へ出た。そのすぐあとに病院の食事が来た。お決まりだがお世辞にもおいしいとは言えなかった。