「学校教員がいるってのは楽だな」
夏期休業中の校舎へ入れるのは教員と関係者だけである。そこへ行くと,藤井は一応教員という扱いなので出入りは自由に出来る。
「せっかくの権限なんだから利用しないとな」
早速3階のPCルームへ向かう。公立ではあるがここだけはクーラー付きである。よく生徒が昼休みに弁当を食べに来るのも頷ける。
聖志はホストコンピュータの電源を入れ,自分のノートをケーブルで接続する。
「しかし,警視庁へアクセスするだけなのに,面倒だな」
「仕方ないだろ」
いくら警視総監からの依頼とはいえ警視庁側にも面子はあるので事件に関する情報は公開しない。その辺りはJSDOが独自で調査しなければならない。恐らくこのことは高崎署を除き,警視庁上層部にしか知らされていないだろう。末端にまで情報が行き渡ると,どこから情報が漏れるか分かったものではない。
「取りあえず木塚の証言のデータだな」
藤井が言った。確か,昨日星野警部が来たときにコピーを取って置いたのだが,それが証言そのものだとは限らない。一番信頼が置けるのは,やはり警視庁のデータである。
セキュリティを回避して警視庁内データバンクに入り込み,データを検索する。この検索時間はおよそ20分。その間に向こう側に見つかってしまうと,回線を切断しなければならない。まさに,時間との戦いである。しかも,これは実験段階のデータなので実際の検索時間がどのくらいになるのかは分からない。
「聖志,それ大丈夫なのか?」
「…実は試したことしかない。実験段階だな」
「あのな」
「しかし実験は成功したからな」
「実験って,どういう実験をしたんだ?」
「ああ,以前に本部長から仕事を受けたときに,最後の方で使った。侵入したのは警視庁データバンクだし,大丈夫だろ」
聖志はそんなことを言いながらプログラムを起動し,必要事項をタイプして回線に接続する。
───検索開始。
ディスプレイには検索状況が映し出される。ルートディレクトリから各々のディレクトリに入り,そこからサブを検索する。何しろファイルの中の文字列を発見しなければならないのでかなり忙しい。もし発見されるような事態になった場合は自動的に検索状況を保存し,回線を切るという機能を植え付けてある。しかしこれは試作プログラムなので回線を切るのに時間がかかる。そこで今発見された場合は物理的に回線を切断,つまりパソコンからケーブルを引っこ抜くという,荒っぽいことをしなければならない。
ディスプレイにあるグラフの値が20%に到達し,そこから進み具合が遅くなる。
「…何で遅くなったんだ?」
藤井が不安気味に言った。
「ファイルの量が莫大なんだろ」
そう言いながらも内心冷や冷やものだ。
いつでも切断できるようにケーブルに手をかけながらディスプレイを見守る。
───待つこと約5分。
「…あれから4%しか進まないぞ」
パソコンチェアーに腰掛け,貧乏揺すりをしながら待っている藤井が言った。確かにグラフが全くと言っていいほど進まない。しかし同じくディスプレイ上の検索位置状況は秒単位で変化しているのだ。
───思ったよりもファイルの量が多かったのか…。
このプログラムは一度に検索できるファイルの許容量が少ないのだ。
「ま,全体を一気に調べるなんてのは初めてだしな…」
「お前なぁ,落ち着いてる場合か」
「だが,焦ったところでこのプログラムが急ぐわけじゃないし」
「…全く,心臓に悪いな」
今のところ彼等に出来るのは,逆探を阻止することだけである。
───25分経過。
進行状況を示すグラフはようやく45%を越えた。しかしまだ目的のデータは見つからない。
時間はPM5:05。もうそろそろ用務員あたりが見回りに来る可能性がある。
「おい,もうそろそろ引き上げないと」
藤井が窓際のパソコンチェアーから腰を上げた。そのとき。
───検索データ発見。これより検索データを保存しにかかります。
「おおっ,やっときたぞ」
「ホントか!?」
ようやくデータを発見した。これからデータをそっくりそのまま保存しなければならない。
───The keeping time is 10 minutes.
「10分かかる」
「…そんなにか?」
「仕方ないだろ。ネットワークだし」
そうこう言っているうちにもコンピュータは自動的にデータを保存している。
そろそろ10分経とうかというころ。
───相手に発見されました。回線を切断します。逆探知まで後10秒。
───The need time for data keeping is 10.43 seconds.
『なに!?』
データを保存するために必要な時間が10秒ちょっと。逆探知まで後10秒。
「…どうする,聖志!?」
───0.43秒の差か…。勝てないことはないと思うが…。
しかし,逆探を成功させてしまうと今までのことが水の泡だ。
「仕方ない,撤退しよう」
聖志は諦めてケーブルを引っこ抜いた。
取りあえず保存できた分はちゃんとコンピュータに残っている。
「ひやひやしたぜ。さ,早いとこ学校を出るか」
ようやく緊張のほぐれた藤井が言った。
「取りあえず今日はこのデータの検証か」
夕日が射し込む3階の廊下を歩きながら藤井が言う。
「ああ。しかし警視庁側も動いてるだろうし,捜査状況が気になるところだな」
「俺がちょっくら行ってみるか」
「気が利くな」
そう答えながら聖志は,急に現れた背後の気配を伺っていた。
───つけられてる?
聖志は鞄を脇に抱え,アイコンタクトで藤井に伝える。それに応えると,2人はいきなりダッシュした。背後からも靴の音が走り出した。南校舎の2階への階段を駆け下りると,敵をまくように一旦北校舎側への廊下を走り,北校舎にある1階への階段を駆け下りる。少し差が付いたようだがまだ奴は追ってくる。1階へ下りると2人は昇降口へ駆け抜ける。靴の履き替えもそこそこに,正門から飛び出す…と!
ドガッ!
「あっ!?」
「───なっ!?」
先を走っていた藤井が出会い頭に誰かとぶつかったようだ。しかし,敵がそこまで迫っているのを見て取りあえずそのぶつかった人物を無理やり引っ張って,学校正面の車道を渡り,教会近くの公園に走り込む。
公園に入ると藤井は正面にある噴水の反対側を指さし,聖志にそっちへ行くように指示する。藤井と,そのぶつかった人物は左脇の植木の陰に隠れ,ようやく一息つけた。そして追っ手の気配を伺いながら聖志はグロックを用意する。と,すぐに公園前まで走ってくる足音が。どうやら追っ手が来たようだ。
───敵は一人か…。
とっさのことだったので噴水の後ろに隠れたが,ここからでは敵の行動が見えない。
公園の入口から噴水の前までおよそ10m。噴水の直径は約5m。聖志の位置から藤井の位置まで約8m。
聖志はどうにかして様子を伺おうとするが,噴水の縁が円形なので下手に近付くとまずい。
だんだんと敵の足音が近付いてくる。グロックを握る手に汗が滲む。…と!
ジャリッ!
突如後ろで音がした。それと同時に聖志はその方向へダッシュし,噴水を挟んで向こう側の敵を確認───!
「ちっ!」
しかし,西日に照らされた噴水の水で目眩ましの効果を受けてしまった!
バズッ! バスッ!
「があっ!?」
体に凄まじい衝撃が走る。それに耐えきれず仰向けに倒れる。
「聖志!!」
「いやあっ!」
ズゴッ! バゴッ!
藤井の援護射撃と誰かの悲鳴が空しく響いた。