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───PM1:54。

「寺岡康広か」

「ああ。知っての通り,サテラシステム社長代理の秋本千枝が300万の融資をしている」

昼食から戻ってきた藤井と人物関係を調査している。当然美樹も先ほどの椅子にちゃんと座っている。聖志としては家に戻って欲しかったが,多分言ったところで聞かないだろう。

「それは分かるが…今回の事件とあまり関係ないんじゃないか?」

「…確かに,ただJCSの社員と言うだけで結びつけるには無理があるが。しかし,大金の行き着く先は犯罪だろう」

「ま,常識だ」

「常識なればこそ,調査する必要がある。1万,2万の話じゃない。300万だ。社長代理とは言え300万を知らない人物に融資するわけがない。現に秋本と寺岡は過去に恋人関係にあったらしい。つまり,秋本は寺岡のことをよく知っているわけだ」

「…経済事情を知っていたのか。でもそれが木塚が偽証した動機とはならない……」

藤井はそこまで言うと,はっと表情を変えた。

「まさか,寺岡に脅迫されたのか!?」

「俺の考えではそうだ」

「…でも」

急に美樹が口を挟んだ。

「その寺岡さんが木塚さんを脅した理由は何なの?」

「問題はそれだな。そればかりは現段階では見当が付かないんだな…」

聖志は頭を掻く。

「ま,現段階で出来ることは寺岡を逮捕することか」

「そして,そのためには物証が必要だ。それに躍起になっているのが,高崎署というわけだな」

「で,物証を発見するためには脅迫の方法が分からないとな」

それを知るには証言のデータが必要である。そのために昨日学校から警視庁データバンクへ侵入し,データを取った。そしてその直後奴に襲われ,今の体たらくになってしまっている。

「そう言えば,俺のパソコンは?」

「ああ」

藤井はベッドの下からパソコンバッグを取り出した。

「藤井,悪いがデータを…」

「俺はパソコンを使えないってことを分かってるだろ」

彼は前回の事件以来パソコンを避けている。

「…てことは」

聖志と藤井が同時に美樹の顔を見る。

「えっ? 私が…?」

彼女は目をぱちぱちさせて驚いている。

「頼む,使い方は教えるから」

「それなら…」

取りあえず普通のワープロで起動してみるが,暗号化されている。

───これは一筋縄では行かないか…。

「藤井,データを見るまで約3時間はかかる」

「…なんだって?」

「文書が暗号化されている」

「それを解除する物はないのか?」

藤井は疲れた顔を聖志に向ける。美樹は何も分からずきょとんとしている。

「今から作る。いや,正確に言うと彼女に作って貰う」

「…分かった。俺は一旦JCS本社へ行ってみる。何かあったら連絡くれ」

「OK」

そう言い残すと,藤井は部屋を出た。

「…お兄ちゃん?」

「ああ。美樹,疲れるかも知れないが,頼むよ」

「うん」

美樹は知ってか知らずか,快く引き受けてくれた。

───PM5:34。

「あ…ホントだ。日本語になっちゃった…」

出来上がったばかりのプログラムを実行し,その結果を見て美樹は呆然とした。

「ようやくできたな。さんきゅ,お疲れさん」

聖志は一息付いて美樹の頭を撫でた。

「…すごいね。こんなことできるんだ…」

聖志は右腕を庇いながら,計算式がたくさん書かれた紙が広げられたベッドのテーブルに突っ伏した。

「…お兄ちゃん,藤井さんに言わなくていいの?」

「あ,そうだ」

聖志はベッドの隣にある台に手を伸ばし,携帯の短縮を使う。

「藤井か?」

「ああ。できたか?」

「ああ,美樹のお陰でな。早く戻ってこい」

「OK」

5分後,藤井が戻ってきた。この病院とJCS本社は結構近かったりする。

彼等は早速検証に取りかかる。何しろこの情報を知らないと調査もろくに出来ないのだ。

木塚の証言はやはり星野が持ってきた文書が全てではなかった。星野が持ってきたのは初日の証言データだけだった。その後何度かに渡って事情聴取は行われたようだ。そして,一番最後の日付のデータに彼等が探し求めていた物があった。木塚が脅迫された方法である。この文書によると,木塚は寺岡に直接会ったことがないようだ。

木塚が脅迫され始めたのは8月1日頃から。木塚がオフィスでパソコンを使って社長のスケジュールを整理していると,急に一通のFAXが届いた。それには,「森安と手を切れ」と書かれていた。木塚も最初はただのイタズラだろうと考えたようで,全く無視していた。しかし毎日数回FAXが届き,内容もだんだんとイタズラの域を越えた物になってきた。木塚の付き合っている森安英雄は次期社長候補ということもあり,社内でもかなり評判がよかったらしい。社長秘書との仲が囁かれ始めたころからそういうイタズラはあったのだが,8月12日に最後に届いたFAXには,とんでもないことが書かれていた。

───森安と手を切れ。さもないとお前の命を貰う。それが嫌なら明日,一人でオフィスに来い。もし警察に連絡した場合,貴様の行動の如何に関わらず森安を殺す。

決定的な文書である。恐らく高崎署はこれを物証として調査しているだろう。

「…8月20日付か」

「さっきも捜査官がうろうろしてたから,もうかなり調査も進んでいるだろうな」

木塚の証言では,その物証となるFAXは気味が悪くて捨ててしまったそうだ。会社のゴミはフロアごとにまとめられ,決めたれた曜日に回収される。その曜日までは会社の地下駐車場にある倉庫に溜められる。

「…きっと今頃は星野もゴミまみれじゃないか?」

聖志の言葉に藤井は鼻で笑った。しかし,これは笑い事ではない。この物証が警視庁側に発見されてしまうとJSDOの立場が危険だ。更に聖志と藤井がこの件から下ろされることは確実だ。

「…さっき行ったときにはどんな状況だった?」

「ああ,オフィスのゴミ箱をひっくり返したり,シュレッダーの中をかき回したりしてたな」

それを聞いて美樹は微笑んでいる。

「お前な,笑い事じゃないの」

「だって,おかしくて…」

「ま,分からないでもないけど」

聖志も初めてその光景を見たときには信じられなかったものだ。

「…俺も今から行って来ようか」

藤井が時計を見て言った。

───PM6:02。

「慌てるな。ゴミが回収されていれば,警視庁に混じって行動するのは得策じゃないだろ」

つまり,ゴミあさりは無駄な行動になる。

「…しかし,そこら辺は星野警部も分かってて行動してるんだろう? それで今行動しているということは,物証が出る可能性があるんじゃないか?」

「ま,一理ある。…しかし,考えてもみろ。これから犯罪を犯そうとしている人間も,今,星野等がしている行動が予想できなかったわけでもないだろう」

「…でも,その人って犯罪に関しては素人なんじゃないの?」

美樹が呟く。

「そうだな」

「そしたら…そこまで考えて行動できる余裕があるのかな」

「確かに,単独犯ならそんな余裕はないだろうな」

「…複数だってのか?」

「いや,実際に犯罪を犯したのは一人だ。つまり…」

「黒幕の存在か」

「恐らくは」

聖志はそう結論付けた。

「…でも,黒幕の存在が物証がないこととイコールにはならないんじゃ…」

「いいかい」

藤井が美樹に説明している。聖志としては,正直美樹には黙ってて貰いたいが,彼女の頭の回転の速さは聖志も認めているし,一概に役に立たないわけではないので素人だからという理由で「黙ってろ」とは言いたくない。現に2日前の木塚の証言のこともある。

「黒幕がいるということは,実際に犯罪を犯させようとしている相手にそのやり方を教えるわけ。それで,犯罪を犯す者は言われたとおりに実行すればいい。そうすると余裕云々という問題は消える。だから,黒幕が犯罪を犯させる者に,物証となるものを排除しろと言うと,その通りにするから必然的に物証は見つかりにくくなる,というわけさ」

「あ…そういうことか…」

美樹は改めて聖志の考えを理解した。

「…それで,その黒幕は一体誰だ?」

「さっき言っただろ。犯罪の元を辿れば金だ」

「…秋本千枝か」

「…ただ,彼女が元凶というわけではないと思うが…」

秋本千枝は,飛島の実姉である。聖志も彼の家で実際に顔を見ている。それだけに少し心苦しいところはある。しかしこの間見たように金回りがよくなったのは,この事件と何らかの関わりを持っている可能性を示唆する物である。

「じゃ,調査の方はいつからするんだ?」

「そうだな…俺は今からでもしたいんだが,高崎署の連中と鉢合わせするのはどうかと思う」

「では…夜か?」

「こっちから連絡する」

「OK。じゃあ俺は行くぜ」

「ついでに美樹も送ってくれないか?」

「分かった」

「お兄ちゃん,また明日来るね」

美樹は帰り際に言った。

「そんなに毎日来なくてもいいよ。俺も3日ほどで退院だし」

「でも…」

「いいから。友達とでも遊んで来いよ」

「…うん,お兄ちゃんがそう言うなら」

彼女は仕方なくという感じでそう答えた。