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───8月18日。

聖志はこの間頼まれた仕事をしているが,もうそろそろやめないとまずい時刻。しかし期限が今日までなので辛い…取りあえず8時まで作業をしてやめた。90%以上完了したが,今夜最後の仕事をしなければならない。

トーストをかじりながらテレビを付けると,例の事件のニュースがやっている。

どうやら警察は森安英雄を捜し出したようだ。そして事情聴取。話によると,森安英雄は木塚と付き合っていたらしい。つまり,木塚の偽証説を肯定するか,否定するかが彼の態度で決まる。

森安英雄はJCSの社員で,次期社長候補でもあるらしい。ま,次期社長とはいえ,後10年間はそうなることはないだろう。

───木塚の狙いはこれか…?

偽証だとすれば,殺害容疑で現社長を引きずり下ろし,自分の恋人を社長に昇格させることで陰の収入を期待したのか。確かに,普通に現社長が舞台から消えるのを待っていれば,10年は確実に過ぎてしまうだろう。

しかし,逆に考えてみれば,数年経てば森安は確実に社長の座につけるのだ。なぜそこまで焦ってこんなことをしたのかが分からない。いますぐに大きな収入が必要なのか,それともリストラの恐怖を感じたのか,動機が分からない。

動機がなければ,葉麻社長が実際に殺害しようとしたのか。木塚の話で言うと,仕事のミスで社長と口論になったと言うことだが,仕事のミスなどということでそこまでするかが分からない。致命的なミスをすれば秘書を変えればすむ話であって,そんなことで会社に泥を塗るような真似をするとは思えない。ま,ミスの程度によっては殺害も辞さないというのが彼の考えならばそれまでだが。

あるいは第3の可能性もある。何らかの形で他人からの影響を受けて,殺害未遂及び偽証をしなければならなくなったか。こればかりは捜査が進まないと分からない。

いずれにしても,今のところは警察に任せるのが筋だ。そう思い直すと,聖志は夏期休業の課題をすることにした。

 

「昨日はどこにおられたのですか?」

「…昨日は用があって家を空けてました」

高崎署の取調室ではなく,簡易来賓室だ。

窓側に彼が座り,こちら側には星野と棚丘が腰掛けている。

勤務時間だが警察の事情聴取というわけで,社長たる葉麻の許可も得ている。

「そうですか。改めて今日お聞きしたいのは,木塚雅子さんについてです」

「最近の事件は知っていますね?」

星野は取りあえず確認した。

「…はい」

森安は険しい表情になる。

「実はあなたの会社の社長が最初は疑われたんですが…正直,葉麻社長があんなことをすると,あなたはお思いですか?」

棚丘は持ち前の軟らかい表情で言った。

「いえ。社長は仕事には厳しい方だと思いますが,ミスなどで部下を陵辱するなど考えられません。…ですが」

星野と棚丘は続きを待った。

「彼女の言葉も嘘とは思えないんです。実際に彼女は酷い目に遭ったんでしょう?」

「確かに,マスコミでは殺害未遂事件として扱っているようです」

言葉を選んで星野が言った。

「…しかしあなたには申し訳ないんですが,実はこちらとしては,彼女の偽証の可能性を考えてそちらの捜査も開始しています」

棚丘は内心森安が怒るかとも思ったが,意外に冷静にその言葉を受け止めていた。

「…ここ最近,彼女の様子はどうでした?」

「特に変化は…」

彼はそう言って俯いた。

「ただ,ここ最近電話が繋がりにくかったような気がします」

「電話が…?」

森安と木塚は付き合っているものの,同棲はしていない。つまり電話での連絡のやりとりが生命線である。

「彼女は携帯電話は持っていないのですか?」

「あ,それにもかけたんですが…」

「なるほど」

棚丘はメモに控える。

それを確認した星野は,

「では,次にあなた自身に質問です」

「…はい」

「8月14日午後4時,どこで何をしていましたか?」

アリバイ調査である。

「家にいました」

「一度も外に出なかったんですか?」

「いえ…2時頃にコンビニに買い物に行きました。それっきりです」

「…それを証明できる人はいますか?」

「いえ…私は一人暮らしですから。ただ,そのコンビニの店員は覚えてるかも知れません」

「なるほど…。分かりました」

その後例のコンビニの情報を聞き,それを棚丘がメモる。

「私が疑われているんですか?」

「…その可能性もある,というだけです。そういう意味では葉麻社長も,発見者である人も疑っているということになりますね。お解りいただけますか」

「はい」

出来るだけ表現を丸くするのが棚丘の特徴でもあり,役目でもある。星野は捜査に関してのベテランだけに,そういう遠回しな表現は苦手である。

「大体分かりました」

「もういいんですか?」

「ええ,朝早くから申し訳ありませんでした」

「いえ…私に出来ることはこれぐらいですから」

彼はそう言い残して刑事課を後にした。

「…どう思います?」

「さあな…。取りあえずそのコンビニだな」

星野はそういうと,スーツの上を羽織った。

 

───PM4:30。

「何? 木塚が?」

「はい,一連の騒ぎは私が起こしたと…」

刑事課課長の池和は困惑した。予想できないことではなかったとは言え,木塚が自ら偽証であると自白するとは思っていなかったのだ。このことは調査に行っていた星野と棚丘に至急連絡され,早速事情聴取となった。既に何名かの刑事が聴取を行っていた。星野はそれを引き継いでさらに詳しく事情聴取を行った。

木塚の供述によると,星野が睨んだように彼女の自演だった。動機は恋人である森安英雄を社長に仕立てるためだったそうだ。その陰には,やはり巨額の金の存在があった。借金返済に使う予定だったらしい。彼女は拘束され,この事件はあっけなく解決したようだった。

その報は当然マスコミにも入り,今夜のニュースで騒ぐことになるのだろう。

「…どう思います?」

取りあえず事情聴取が一段落した棚丘が言った。

「分からないが…もう少し借金の線を調べる必要があるな」

星野はそう返した。事情聴取をしたものの,分からないことが結構あるのだ。それについて尋ねても黙りを続けるので,埒が明かないのだ。こちら側としても,黙秘権がある以上無理には自供を強いれない。それなのに彼女は自供してきたのだ。ややこしい話であるが,法は法である。

聖志にその第1報が届いたのは,意外な人物からだった。

「もしもし?」

「聖志か」

聞き覚えのある声に,

「…星野か?」

「ああ。少し話がしたいんで,そっちへ行っていいか?」

聖志はちらりと時計を見る───PM6:43。

「…分かった」

そして,かなり早く星野が到着した。

「久しぶり」

「ああ」

聖志は彼をリビングに通し,アイスティーを入れた。テーブルの上の課題を片付け,その上にトレーを置く。

「それで,話とは?」

「お前も知っていると思うが…木塚の件だ」

美樹が2日前に参考までにと,色々聞かれたのだ。

「俺にも話を聞こうと?」

「そうじゃない。これは個人的な相談だ」

「…相談ねぇ」

星野の相談とは,木塚の証言の不審さのことだった。

「ま,あまり口外するのはよした方がいいんだがな…」

「それじゃ,相談なんてできないだろ」

「しかし,やはり気になる。今日までの事件の動きは知ってるか?」

「ああ。木塚が襲われ,その後葉麻社長が事情聴取,でもアリバイが見つかってシロ」

これらは全て新聞とテレビから仕入れた情報だ。

「そうだ。これからのことは部外秘だぞ」

星野は勝手なことを言って,アイスティーを飲む。

「で?」

「今日,木塚の恋人の森安英雄を事情聴取した。多分お前の友達の兄だ」

「そうだな。この間,親父が森安の家を訪問してきたときに偶然俺もいたからな」

あのときは本当に偶然だったのだ。

「そうだったのか…ま,それはいいとして,木塚と森安の共犯という線を考えてみたんだが,森安にはアリバイがある。その時間は家の周辺にいた。それで,次は…」

「偽証か?」

聖志は薄々感じていたことを言った。

「…ああ。よくわかったな」

「一応俺も推論は立てたから」

「今日のうちに事件は急展開を見せた。今日森安を事情聴取したのはさっき言ったが,その後に木塚が自主してきた。一連の事件は自分がやったと」

アイスティーを飲みながら,聖志がメモる。

「…ここまで聞いてると,少しタイミングはいいが特に何もないな」

「ああ。問題は,その自供の内容だ」

「内容?」

星野はスーツの内ポケから1枚の紙を取りだし,それを聖志に手渡した。

聖志はそれに一通り目を通す。どうやら書記に書かせた自供文のようだ。木塚が自供した後から書かれている。

次は,その内容である。

 

―――星野警部が被告に対して取り調べを行っている。

「では,率直な質問ですが,どうしてそんなことをしたんですか?」

「…お金が必要だったんです」

「それは,どうしてですか?」

「…借金を返すためなんです」

彼女は俯きながら言った。

「借金をしてらしたんですか。…一体何のために?」

「…両親が失業して,生活費に困ってるんです」

彼女の両親と言えば,恐らく50代後半から60代。

「ご両親がですか…。しかし,こういうことをしてはいけないということは,あなたもわかっているでしょう?」

「…はい」

「…では,参考までに確認しますが…。8月16日の午後,あなたは会社の社長室にいた。それはあってますね?」

「はい」

「…葉麻社長にお話を伺いましたが,社長室には社長自身しか入れないのではないのですか?」

「いえ,正確には社長だけでなく,秘書の私も入室許可が出ているんです」

鍵は管理人が管理しており,彼女が言えばすぐに渡してくれるそうだ。

「…では,借金の件ですが,その金は一体誰から借りたんですか」

「…知人です」

彼女は微かな声でそう言った。

「…失礼ですが,お名前を」

「…それは言えません」

それを聞いた星野は取りあえず身を引き,

「……そうですか。しかし,借金を返すだけならわざわざ犯罪を犯さなくてもいいのではないですか?」

星野の意見に,彼女は黙り。───しばらく無声。

「しかも知人なんでしょう?」

「…それが,気難しい人で…」

また彼女は蚊の鳴くような声で言った。

「…それなら尚更,事情を話せば分かってくれるのではないですか?」

「それはあなたも会ったことがないから…」

「では,こちらの方で話を付けさせていただいてもいいんですが…。どうします?」

「…」

この後星野は彼女の言葉を待つ。

───4分経過。

「…あなた,まだ何か言っていないことがありますね」

「え?」

不意に声をかけたれた木塚ははっと顔を上げる。

「…本当に知人…なんですか?」

「…何がですか?」

それを聞いた後,星野は取り調べを打ち切った―――

 

「…どうだ?」

一通り読んだ聖志は,

「…変だな」

正直な感想だった。

「そう思うか」

星野は満足げな顔をする。

「でも…」

「え?」

「どこがどう変なのかは分からない」

「…お前もか」

2人ともあまり頭は良くないので,この辺りのことは得意分野ではない。親子,繋がってはいないが血は争えない。

「でも途中で打ち切ったんだから,何か得るものがあったんだろ?」

「ああ…。そのときはピンときたんだが…」

と,美樹が部屋から出てきた。

「あれ? お客さん…あ,星野さんですか?」

美樹は丁寧に挨拶した。あることをきっかけに,美樹も彼を知っている。

「お久しぶりですね」

「はい,あのときは兄がお世話になりました」

そう言ってまた頭を下げる。

「いや,こっちもお世話になっているから,お互い様だよ」

「…?」

美樹はちょっと分からない様子で首を傾げる。

───そうだ。

「美樹,ちょっと」

聖志はそう言って手招きした。星野は黙ってその行動を見る。

「この文を読んでくれ」

「え…?」

彼女は言われるままにその原稿用紙を受け取り,一通り目を走らせる。

聖志は2分後に声をかけた。

「感想は?」

「…感想って…。この,質問に答えている人が嘘を付いているっていうことぐらいしか…」

「その,嘘を付いてるっていうのはどこで分かったんだ?」

「えっと…最後の所かなぁ」

彼女はその文を指さした。

「…じゃあ,何に対して嘘を付いてると思う?」

本当の質問はこれである。木塚が借金を本当に知人に借りたかどうかは最後の文で分かるが,何かがまだ隠れている。

「借金してないんでしょ?」

『え?』

聖志と星野は,その答え思わず声を上げた。

「…だって…この人,知人に会ったことがないんでしょ? それで,その人から借金をしたっていってるんだから,してないんじゃないのかなぁ」

「…その,会ったことがないって分かるのはどれだ?」

「これ」

星野が覗き込む。

 『それはあなたも会ったことがないから…』

彼女の細い指は,その文を指していた。