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───8月17日。

『JCS社長,容疑晴れる』

朝刊の見出しには,そう書かれていた。

───偽証か…?

元々この事件は,木塚が殺害未遂を受けたところから始まっている。そして,殺人未遂容疑がかけられていた彼の容疑が晴れたと言うことは,他に犯人がいるか,もしくは警察側の早とちりである。他に犯人がいるとすれば,新聞にもニュースにもその名前が挙がるはずなのだが,その名前がないということは,この事件自体がなかったということになる。しかし,被害者が実名で出ているということは,被害者の偽証しかない。恐らく警察でも,必死に事件を洗い直していることだろう。

───と。

ぷるるる…

電話の音。

「はい」

「もしもし,聖志?」

電話の声は舞だった。

「ああ。どうした?」

「これから森安の家で勉強やるんだって。行かない?」

「…そうだな。わかった」

取りあえず暇だった聖志はOKし,勉強道具を鞄に詰める。

森安の家は東高崎から更に東の焼摩市にある。電車では3つ目の駅である。

彼は美樹にひとこと言って家を出た。まだ9時だというのに灼熱の太陽が照りつける。駅から普通電車に乗り揺られること約25分,焼摩市に到着した。

「あれ,聖志」

「先輩」

「おっはよー」

ホームで偶然にも舞と高倉,葉麻と出会った。

「偶然だな」

聖志はいつもと変わらない返事をし,駅を出た。

駅前は特に市街地が広がるわけでもなく,駅の目の前を国道が走り,所々に商店があるだけだ。彼の家はここからバスで約15分の所だ。聖志が1年生のときに1回だけ行ったことがある。

駅からマイクロバスに揺られ,山なりに進む。ここの風景だけを見るとやけに田舎臭い。駅から北側に進むと叙豆川があり,そこを越えると急に田圃が広がり道幅も狭くなる。バスの停留所はどんどん少なくなり,駅周辺の所はターミナルのようなバス停だったがこの辺りのは標識があるだけになっている。

「…ホントにこんな所なの?」

舞が不審がる。

「どういう基準で疑ってるんだ?」

「…あまりにも田舎だし」

「ホントだよね,何でここだけ?」

高倉が首を突っ込む。地元の人間にしてみれば,失礼極まりない女だ。

そんなことを言っていると目的のバス停に到着。

バスは彼等を降ろすと,ガスの匂いを残して走り去った。後には田舎特有の静けさがあった。

 

───AM10:12。

「よく来たな,みんな」

玄関でラフな姿の森安が迎えた。彼はリビングにみんなを通し,早速勉強することとなった。

既に用意していたのか,リビングは涼しい温度になっていた。天井にはシャンデリアのような照明が吊され,高級感を醸し出す。約8畳の間取りに黒いテーブルと,それを囲むように黒いソファがレイアウトされている。部屋の左角にテレビが置かれ,窓からは田圃を手前にJRの線路が遠くに見え,さらに向こうには海が光を反射して見える。この辺りは結構海抜が高い位置にあるのだ。

「家族は?」

「親は町内会の旅行へ行った」

彼は冷たい紅茶を黒いテーブルに出し,そう言った。

「…確か森安って,お兄さんがいるんじゃないの?」

「そうなのか?」

舞の言葉に,聖志が尋ねる。

「ああ,いるけど。もう働いてるよ」

「え,何してるの?」

「サラリーマンさ。去年就職した」

───この就職難に,よくやったな。

「さて,早速始めようか」

舞はそれ以上何も言わなかった。森安は兄のことを話題にされると急に黙りこくることがしばしばある。舞は彼と同じクラスなので,その辺りのことはよく分かっているようだ。

その後,昼の1時近くまで雑談を交えながら勉強した。

「…そろそろお昼だな。何か取るか」

「この辺りにお店なんてあるの?」

「お前な,ここはド田舎じゃないんだ。駅から15分だぞ」

高倉の言葉に彼は少しムッときたようだが,

―――十分田舎だ。

森安はどこから持ってきたのか,店屋物のメニューをいくつか持ってきた。どうやらこの家ではよくあることのようだ。それぞれが気に入ったものを選び,森安は慣れた口調で電話した。

店屋物が来るまでみんなで色んな雑談をしていると,

ピンポーン…

玄関の呼出が鳴った。

「もう来たのか?」

「いくら何でも早すぎじゃない?」

舞の言葉を聞きながら彼は玄関口へ向かう。

リビングの出口は玄関に面しているので,聖志の座っている位置からは玄関に誰が来たのかが分かる。何となく玄関の方を見ていると,玄関の扉が横にスライドする…と!

───棚丘…と星野!?

リビングの扉が飾りガラスで素顔までは分からなかったが,スーツ姿の彼等が立っていた。なにやら森安に尋ねると,何事もなく玄関から去っていった。

「…どうしたんですか?」

玄関の方を見ていた聖志は,リビングの扉の手前にあった葉麻の顔に気付いた。

「…ん? 何が?」

一瞬何のことか分からなかった聖志は,きょとんとしてしまう。

「あー,先輩,佐紀に惚れたのー?」

高倉の悪ふざけが始まる。聖志は何事もなかったように,

「ま,それもないではないが…」

誤解を招くことを言いながら森安が帰ってくるのを待つ。ふと見ると,葉麻は少し顔を赤らめている。

───真に受けるなよ…。

恐らく彼女も冗談と分かっているが,どうしてもそういう反応をしてしまうのだろう。

「森安,今のは?」

ドアを開けて入ってきた彼に尋ねる。

「ああ…何か,警察が来た」

「警察ぅ?」

高倉がまた茶々を入れる。

───やはりな…。

「何かやらかしたの?」

舞が言う。こういうことに彼女が干渉するのは珍しい。

「…わからん。兄貴がいるかどうか,聞いただけだったから」

───まさか,あの事件の関係か?

木塚雅子殺害未遂事件,あの事件と関係があるのだろうか。星野が来ていたということは,恐らくそうなのだろう。どこでどういう風に繋がっているかは分からないが。

木塚はJCSの社長秘書,つまり葉麻隆文の片腕である。仮に木塚と関連があるとすれば,森安の兄が木塚と知人であるということになる。警察は事件を洗い直しているはずなので,関連がある人物を虱潰しに当たるつもりなのかも知れない。

「…森安,一ついいか?」

「え?」

「兄貴の,下の名前は?」

「英雄。えいゆうさ」

───森安英雄か。

「英雄って…ヒーローじゃん。かっこいー」

またもや高倉が横やりを入れる。その後はやはり,興味を持った高倉の質問攻撃が始まった。最初は嫌そうな顔をしていた森安も,性格を知っている高倉だけに諦めたのか,後半は本当にそんなことがあるのかというような返答をしていた。

そんなことをしていると頼んだものが届き,昼食を取った後また勉強に移った。

 

───PM4:30。

彼等はようやく来た電車に乗りこむ。

「…彼に兄弟の話題を振るのはダメなの」

シートに座るなり,舞が言い始めた。

「どうしてですか?」

電車のドアが閉まり,発車する。前からの重力がクロスシートに身を預けた聖志にかかる。

「彼のお兄さんが凄いエリートなんだって。だから,ご両親もそれをネタに色々小言を言うらしくって,そのことが頭に浮かぶって言ってた」

───そんなことがあったのか。

彼女の話によると,森安英雄は早くから自分の進路を見出して何でも自分で先に進んでいったという,いわば親の手の掛からない子供だったのだ。両親がそれを経験しているだけに,森安のことが心配なのだろう。

「…それじゃ,あたしまずかったかな…」

仲のいい高倉は少し反省の色を見せた。

「ちょっと,ね」

舞は苦笑いを交えた。

森安にそんなイメージはなかったが,意外な一面を知ることが出来た。しかも彼の兄はエリートであることも。そのエリートが今回の事件が関与しているとなると…。

───帰って調査してみるか…。

今回の仕事が終わり次第,本部長に上申してみようかとも思った聖志。

「舞,その兄貴がどこの会社へ行っているか知ってるか?」

「ううん,知らないけど…かなりいいところだって,森安が言ってた」

「へぇ,すごいんだ」

───つまり,森安自身もよく知らないのか。

「ねぇ,先輩」

「え?」

ずっと黙って話を聞いていた葉麻が,

「どうして森安先輩のこと,呼び捨てにするんですか?」

鋭い点を突いてきた。

「あ,それあたしも疑問だった。どうして?」

「…教えて欲しい?」

「あ,はい」

舞はそう言って,聖志の顔を見る。聖志は思わず笑ってしまう。

「…え,先輩は知ってるんですか?」

「ああ,まあな」

舞が森安のことを呼び捨てにし出したのは,中学のときだ。

中学生など,ちょうどこの季節には学校での肝試しなどを敢行することが多い。彼等も例に漏れず,恒例行事となったそれをやったことがある。

夜に中学校に集まり,校舎の奥の方の教室に置かれたものを,男女のカップルで取りに行くというようなものだった。

「確か,聖志は美沙ちゃんと一緒だったよね」

「そうだな」

ルールは単純明快。昇降口から一番遠い位置にあった生物準備室にビー玉を数個隠しておき,それを探して1個,持って帰ってくるというものだった。仕掛人はあの飛島。男女数名が呼ばれ,森安も当然呼ばれた。実は彼は初めての経験だったそうだ。最初は彼も渋っていたものの,飛島に,弱虫だの,度胸がないだの色々言われ,半分意地で参加したようなものだった。

そのときにパートナーになったのが舞だったのだ。舞もこのときが初参加だったので,少し緊張気味だったことを覚えている。

「───てなわけで,星野と森安が最後」

ジャンケンで適当に決めた順番でその肝試しは始まった。

彼等は少しビビりながら真っ暗な廊下を進む。いつもは何気なしに歩いている廊下が,こんなに不気味な雰囲気を持っているとは思いもしなかった。

1階の廊下は窓から月明かりが入ってくるのでそんなに大したことはないのだが,2階にある,理科室前が一番暗いところだった。窓がなく,何の光も射し込まない。しかも,その理科室だけ廊下側に展示用のガラス戸があり,その中に人体模型が入っていたりするのだ。

「ねぇ,知ってる?」

「…なんだよ」

「あれの模型に近付いたら,目玉のところが光って,手が動くんだって」

このころの舞は結構お茶目な奴で,男女を問わず遊んでは人を驚かせて喜んでいる,いわばおてんば娘だったのだ。このときも同様,適当な冗談を言ったのだ。

「…嘘つくなよ。そんな話聞いたことないぞ」

暗さのせいか,森安はホントに怖がった。

「あんたが知らないだけよ。これって,先生の間でも有名なの」

彼女は声のトーンを落としてそう言った。

「…」

森安は右に首をひねって恐る恐るその模型を見る…と同時に,舞が彼の体を押す。

「わあっ!」

「ぎゃあああ!!」

お約束とはいえ,彼の話によるとこのときばかりは心臓が止まったと思ったそうだ。

それ以来,舞にそのことを口止めした代わりに,舞は彼のことを呼び捨てにしている。舞がなぜそうしたのかは分からないが。

「ま,そういうことがあったの」

「そうだったんですか」

「あの森安先輩がねー」

高倉は,新しい発見になんだか嬉しそうな顔をする。

「このことは部外秘よ」

「分かってますよ,星野先輩」

高倉の返事と共に葉麻も笑いながら頷いた。

「ね,先輩,美沙ちゃんって誰?」

聖志の予想通り高倉がやはり突っ込んできた。

「…そうだな,文字通りの女友達だ」

「ホントですか,星野先輩?」

「うん。絵を描くのが凄く上手だったよね」

「ああ」

彼女は舞とも仲が良かったようで,いつも昼食などを一緒に食べていたような気がする。

「今,どうしてるのかな?」

───今は中槻と付き合っている。

以前の事件で中槻を調査する機会があったので,そのときに見つけた情報だ。しかし,これこそ部外秘の情報なので,口外するわけには行かない。

「聖志,連絡取ってるの?」

「いや,連絡先は知らない」

「そうなの」

石津美沙子は中学3年のときに中退している。恐らく家庭の事情なのだろうが,詮索はしなかった。それっきり音信不通になっている。

思い出話に花を咲かせていると,駅に到着した。

「じゃ,また」

「うん」

「またねー」

聖志は駅を出て,駅前通りを歩く。

ふと見ると,食堂の中に見覚えのある顔が。

───星野か?

恐らく捜査の最中なのだろう。取りあえず今は捜査の部外者なので,近付くことはやめた。気付かない振りをしていつもの帰途についた。