「では,昨日の午後2時から午後4時までの間,どこにいましたか?」
高崎署の取調室。真っ昼間だが薄暗いイメージがあり,同様にその雰囲気が周りを包んでいる。
「…家にいました」
彼は少し俯き加減でそう言った。
「それを証明できる人はいますか? ご家族の方とか」
「…いえ。妻と娘は出ていましたから,私一人でした」
「そうですか…」
棚丘警部補は少しため息混じりに頷いた。
「本当に,あなたじゃないんですか?」
「私はやっていません」
これだけは断言できると言うように,彼は質問した長江刑事の目を睨み付ける勢いで,語調を強くして言った。
「…しかし,秘書の木塚さんは,あなたにやられたと言っています」
「…」
だが返された長江刑事の言葉に,彼は再び黙りこくるしかなかった。
「確かにあなたに対する部下からの信頼は厚い。あなたの企業戦略も優秀なんでしょう。しかし,それではあなたがやっていないという証拠にはならないんです。分かりますね?」
「それは分かります。でも,私がやったという証拠もないんじゃないですか?」
葉麻隆文の鋭い切り返しに,
「…では,少し休憩を入れましょう」
そう逃げると,棚丘と長江は取調室を出て刑事課へ戻った。
「かなり苦戦してるな」
刑事課課長の池和刑事が苦々しげに言った。取調室の様子を見ていたようだ。
「…ええ,状況証拠だけではまだ緩いですからね…」
―――どうとも言えないか…。
棚丘は課長に答えたが,葉麻の目を見ていると彼がやったとは言えない気がしてきた。
事件当時被害者の木塚は,社長室のデスクの下で後ろ手で縛られ,口をシンナーを染み込ませたガーゼで塞がれてぐったりとしていた。第1発見者は社内の用務員で社長室からの警報が鳴ったのを聞きつけて部屋を覗いて発見し,警察に通報した。
発見したときには既に社長の姿はなかった。すぐに救急車を手配したが,到着する前に彼女の意識が戻った。彼女の話によると,自分の仕事のミスが見つかりそれを黙っていたので社長と口論になり,それが原因でこういういきさつになったらしい。
しかしこれを目撃したり聞いたりした者はいない。当然である。社長室の壁は防音となっており,しかも社長はよほどのことがない限り社員を部屋に呼んだりしないのだ。それは部下の証言がある。これだけ聞くと,確かに社長にしかこの殺害は実行できない。
「…しかし…どうも不審な点があるな…」
最初に証言を聞いた星野が呟いた。
本気で彼女を殺すとすれば,後ろ手で縛るような面倒なことをしなくても,ベルトでの絞殺で済む話である。これなら警報器を鳴らされず,もう少し時間を稼げたはずだ。シンナーのガーゼよりは確実である。
もう一つは発見者の証言での,警報器が鳴ったという点である。警報器は社長が使うデスクの中央の引き出しの下に直接付けられていた。つまり,デスクの下で後ろ手で縛られていたら,頭上にある警報器を押せるわけがない。しかも彼女は意識を失っていたはずなのだ。
だが彼女はそれを否定した。警報器が鳴ったのはシンナーによる異臭のせいであると言った。警報器は社長のデスクの下と,もう一つが天井に付けられている。これは火災の時に作動するようになっており,異臭感知センサーが搭載されている。
しかしガーゼに染み込ませた程度のシンナーで,その警報器が作動するのかは不明だ。煙草の煙で誤作動するという話は稀に聞くが,その程度のことで作動するのか。シンナーの臭いを感知する機能があったのかも不明だ。この辺りは近々調査する必要がある。
「…この事件,何かありそうだな」
池和刑事の言葉に,星野は頷いた。
───PM9:33。
「…そんなことしていいんですか?」
「しないほうが規定に反する。我々の情報はあらゆる面において最高機密だ。その辺りはよく分かっているだろう?」
「はい。…しかし,警視庁側も既にこのデータを使用しながら捜査している可能性もありますが,その辺は考慮しなくてもいいんですか?」
「構わない。現在進行中の捜査で既にこのデータを使用しているなら,他の所にバックアップがあるはずだ」
―――仕方ないか…。
「頼むぞ。期限は明日から2日だ」
聖志は多少の溜息とともに受話器を置いた。少々気が進まない任務だが,JSDOに所属している以上,本部長からの命令は絶対である。
今受けた任務は,先の事件においてJSDOと警視庁が提携していた情報を警視庁のデータバンクから抹消するというものである。JSDOの情報量は半端ではない。警視庁に存在すると,情報は公表しなければならないので,公表するべきではない情報までも公表してしまうおそれがある。それを警視庁のデータバンクから抹消する仕事だ。
コンピュータの中からそのデータを削除するだけの至って単純な作業ではあるが,警視庁の最高機密バンクに侵入するときが辛い。しかも削除するに当たってはJSDOから入った情報なのか,警視庁にもともとあった情報かを見分けなければならないので,これも時間を要する仕事である。それを2日以内にしなければならない。
───また徹夜の日々か…。
いくら明日から2日とはいえ,今からしないと間に合わないだろう。聖志は早速パソコンを起動させ,ネットワークから警視庁に侵入した。