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───8月14日。

夏休みの付き物と言えば,やはり課題である。

我が中央学院では,莫大な量の課題が出題される。それを夏休みが終了するまでに終えなければならない。

彼等は課題合宿と題して,朝早くから飛島謙太郎宅へ集まっていた。

クーラーのガンガン効いたフローリングの8畳間で,ファンヒーター付きのテーブルに勉強道具を広げて難問に頭をぶつけている。

日曜日ということで今日は飛島の両親も家におりあまり騒げないが,遠くの図書館へ行くよりはいいだろうと,飛島自ら提案したのだ。招待されたのは広報部の主要メンバーだ。

「…こんな暑い日に勉強なんてやってられねー」

上はTシャツだけの森安が言った。

「でも,よくこんな日に勉強しようだなんて言い出したわね」

「どうせ謙太郎が1人で出来ないからだろ」

舞の言葉に,森安が答える。

「ったりまえだろ。こんなのは大勢が集まって答を見せ合うっていうのが一番効率がいいんだよ」

言い出しっぺの飛島が言う。

「でも,誰か1人がサボっちゃうと,みんなにまでしわ寄せが来るんだよねー」

「…それは一理あるな。ま,飛島が言うように効率がいいのは認めるが」

高倉の発言に,冷静に答えたのは聖志。

「それに,お互い分からないところも色々教えあえるじゃん」

確かに長所はあるが,飛島が言うほどその長所が生かされてないのも事実である。広報部の主要メンバーの中には,聖志,舞,高倉,葉麻,森安の5人がいるが,そのうちの高倉と葉麻は1年生で,年下なのだ。当然ながら課題は学年によって違うのはこの学校も同じなので,この場にいるのは不自然なのだ。

にも関わらずこの場にいるのは,飛島の画策である。この男,以前から広報部の葉麻佐紀を狙っているのだ。今のところは特にどうという関係でもないが,この休みに親睦を深めるつもりなのか,頻繁にメンバーを誘っては何かしら実行している。この間も聖志と高倉を除いた3人で海などへ遊びに行ったりもしている。

「…ふぅ」

一段落した聖志はシャーペンを置き,冷たいフローリングに仰向けに寝転ぶ。ひんやりした感覚が背中を覆う。視界に入った天井には誰か分からないポスターが貼られ,すぐ近くに蛍光灯がある。

「先輩,どうしたんですか?」

左隣で1年生の課題をこなす葉麻が言った。

「…疲れた」

「おい西原,サボるなよ」

一番危機感を感じているのか,飛島が言った。

「取りあえず休憩だ。朝から3時間もぶっ通しでやってたんじゃ集中力がなくなって当たり前だろ」

「…それもそうだな。お茶でも入れてきてやるから,休んでて」

彼はそう言って部屋を出ていった。部屋の扉が閉まるまで,ヒーターから出たような熱気が部屋に入り込んでくる。

各々一段落つくと,雑談を始める。

聖志はちょうど頭の横にあったテレビのリモコンの電源スイッチを入れる…と,頭の真上にあったテレビがついた。

何かやっているかと思いきや,今日は日曜日であるということに気が付く。

「何もやってないんじゃない,日曜のこの時間じゃ」

舞が時計を見て言った。

その通り,全く面白そうな番組はない。

「何時?」

「イチマルマルハチ」

「先輩,軍人じゃないでしょ」

高倉が森安に突っ込んだ。

聖志は何気なくワイドショーの話を聞いていると,聞き覚えのある会社が出てきた。

日本コンピューターシステム株式会社,通称JCS。

そのアナウンサーの口から出てきたのは,それであった。よくよく話を聞いてみると,なにやら深刻なことが起こっているらしい。

『今日未明,日本コンピューターシステム株式会社の社長秘書が襲われるという事件がありました。秘書は無事保護されましたが,警察では殺人未遂事件として調べています』

映像には,はっきりとその会社の建物が映し出されていた。聖志は直接見たことはない。

以前の事件で被害にあった葉麻隆文氏が社長を務める会社である。従業員数201名,資本金4億円,年商102億円というデータが頭の中にまだ残っている。

───大変だな,あの会社も。

「葉麻,確かお父さんがあの会社の社長だったな」

聖志は声を潜めて彼女に尋ねた。

「あ…はい,そうですけど」

葉麻隆文は,以前の事件で盗難の被害に遭い,コンピュータでの不法侵入容疑もかけられていた。しかしそれは別の証人によって解消された。不幸中の幸いである。

「秘書の名前は知ってるか?」

「…いえ,知りません」

「そうか…」

「お父さん,このごろ忙しかったみたいだし…」

彼女は呟いた。

やはり社長といえども,一家の父である。彼女にとっては身近な存在なのだろう,心配そうな顔をした。

しばらくすると,飛島が人数分の冷たいレモンティーを運んできた。

「ありがたいな,飛島」

「じゃんじゃん飲んでくれ」

そんなこんなで,昼過ぎまで彼の家で勉強という名の雑談を交わした。やはり1人の方がはかどるようだ。

聖志は取りあえず今日のノルマを終え,またさっきのように寝転ぼうとしたところ。

コンコン!

部屋の扉がノックされた。

「なにー?」

飛島は間の抜けた声で返事する。

ドアが少し開くと,飛島の家族であろうか,女性が顔を覗かせた。一同は軽い会釈をする。彼女は少し微笑んで返し,

「謙ちゃん,お母さん知らない?」

「あ,さっき買い物に行くって言ってた」

「そう。ありがと」

彼女はそう返答すると,会釈してから静かにドアを閉めて去っていった。

「…今のは?」

「姉貴だよ」

「…初耳だな,お前に姉がいるとは」

「ホントね,私も初めて見た」

聖志と舞は,彼に姉がいたことすら知らなかった。

「凄い美人じゃん」

高倉も驚く。

身長は少し高く見て170,スリムな体型。少し細い目が頭脳明晰さを醸し出していた。本当に血の繋がった飛島の姉とは思えない。

「昨日からこっちへ帰ってきてて」

「どれぐらい離れてるんですか?」

「…15かな」

「結構離れてるのね。そんなに離れてるとは思わなかったけど」

つまり,見かけの割には年を食っているということだ。しかしあの風貌ならば多少サバを読んでも端からは分からないだろう。

「…謙太郎,日本史完了」

森安が疲れた顔でそう言った。

「俺も英語は終わりだな」

聖志も寝転んだまま言った。

「さすが,早いな」

そう言った飛島は漢字の書き取りをしている。実はこれが一番のくせ者だ。単純作業の上に,量が半端ではない。しかし,考えなくていいので彼は自分から選んだ。

疲れている森安の左には舞がいる。彼女は数学と化学をやっている。ま,彼女の成績なら両方やっても落ち度はない。

さらに20分後,ようやく全員が今日のノルマを達成した。

「もう2時じゃねーか…腹が減るわけだ」

「じゃ,食っていくか?」

森安の言葉に,飛島が言った。

「俺は帰るとするか」

半分寝ていた聖志はようやく起き上がり,荷物を片付けた。

「あたしも帰ろっと」

今日は夕方からコンサートへ行くそうだ。飛島は残念そうだが,結局家族の邪魔になるだろうということで全員帰ることにした。

───電車で揺られること30分。

ようやく聖志は自分の家に到着。何故こんなに疲れているのかは分からないが,少し気になることがあったので休めない。

リビングへ行くと早速テレビを付ける。しかしもうニュースはやっていなかったので,朝刊に目を通す。帰りに買ってきた弁当を平らげながら日本コンピューターシステムの文字を探す。…と,第1面の端っこに小さく書かれていた。恐らくそんなに大層な事件ではないのだろう。被害者である秘書も無事保護されたようだし。

───警察の方で解決するだろう。

そう見込んだ聖志は弁当の箱を捨て,課題の続きを仕上げることにした。