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───6月20日。

昨日からグズついていた天気が悪化し,大雨が降っている。

いつものように適当に朝食を摂る。正直,今日は外へ出るのが憂鬱だ。

と。

───ぷるるる…

リビングの方で電話が鳴っている。

───誰だ?

まさに齧ろうとしていたホットドッグを皿に戻し,リビングへ走る。

「もしもし」

「あ,西原か? 飛島だけど」

「何だ,朝から」

「今日は学校が休みらしい」

「おお,そうか。吉報だな」

聖志はちょっと嬉しかった。

「んじゃ」

「ああ」

そう短く答えると,受話器を置いた。と!

ぷるるるる…

───またか。

「はい」

「もしもし,星野と申しますが,聖志さんはご在宅ですか?」

妙に他人行儀な舞。

「ご在宅だけど」

「…あ,そういえば一人暮らしだったっけ」

彼女がいつも誤魔化すのに使う微笑みが脳裏に浮かぶ。

「どうした?」

「うん,今日ね,学校休みなの」

「それは聞いた」

「あ,そう。それでね,今日前北先生の家に行く事になったの」

「へ?」

初耳だ。

「何でまた?」

「広報部の取材って言ったら,快く返事してくれて」

「なるほど。俺も行くぞ」

「へ!?」

舞は素っ頓狂な声を上げた。それもそのはず,聖志が,特にこう言う面倒な事に自ら行きたいといい出す事は滅多にないのである。

ま,彼は取材する気は一切ない。今キーパーソンとなっている吉岡を,ぜひ半径3m以内で見て,どういう人物かを調査しに行くのだ。

「行くの?」

「ダメか?」

「そんなことないけど…分かった,じゃあ,11時に高津駅ね」

「…高津って?」

「宇部の一つ前の駅」

「OK,じゃ」

早々に電話を切ると,さっき皿に戻したホットドッグを速攻で食べ,素早く着替える。

シャツの下に念のための防弾チョッキ,ガンホルダーを装備し,なるべくバレそうにない上着を羽織って完成。グロックのマガジン,レーザーサイト,チャンバーを確認し,脇のホルダーに入れる。

───取りあえず藤井に連絡しとくか。

リビングの電話に手を触れる。自ら電話をかけるのは何ヶ月ぶりか。

「もしもし西原だけど」

「よう,どうしたこんな早くに」

「今から広報部部長の独断で吉岡の家に行くことになった」

「部長って…星野か」

「ああ,取材を申し入れたらしい」

「いい機会だな,どんな男か見てきてくれ」

「そのつもりだが…ちゃんと家にいればいいがな」

そこらにいる家庭の邪魔物たる,通称オヤジなら心配はないが。

「居るだろ,仮にも新婚だぞ」

「…そんなもんかな」

「ああ」

藤井は妙に自身ありげに言い切った。

「んじゃ。取りあえず行ってくる」

「分かった」

 

───と言うわけでやってきた。

この,「吉岡新婚取材ツアー」に参加したのは,部長の舞を始め,葉麻と高倉,それに森安だ。前の3人が来るのはいつもの事だが,森安が参加するのは計算外だった。恐らく,昨日も仲の良かった高倉が誘ったのだろうが。

前北教諭の自宅はここ10年で拡大されている新興住宅地にある。交通の便もさる事ながら,近くには隣町から続く砂浜,大きな公園,道路脇にある多くのコンビニ,多彩な娯楽施設,完備された下水道がここを高級住宅街に仕立てている。

駅を中心に広がる街は,さながらフランスの凱旋門前を思わせたが,雨がかなり降っているのでゆっくり眺めてもいられない。

「星野,家の場所分かってるのか?」

駅の出口で肝心な事を森安が尋ねた。今日はワインレッドのカーディガンとアイボリーのスラックスの舞。

「地図は貰ったんだけど,なんだかややこしくて…」

「私,見ましょうか?」

半ば困っていた舞に助け船を出したのは葉麻。彼女はこの近くに住んでいるらしい。

「お願い」

「じゃあ,行きましょう」

葉麻をコンダクターとして一行は歩き出した。

「葉麻,自宅はこの近くなのか?」

「はい。多分200mも離れていませんよ」

「そうか…」

───葉麻の顔を吉岡に見せてもいいものか…。

近所だと言うだけなのだが,なんとなく気になったのだ。

大雨をできるだけ避ける為,地下街を通って新興住宅街まで行くことにした。駅から伸びる地下街は直径1qに及ぶ。しかし,地下鉄は通っていない。地盤沈下の危険を防ぐ為だとか。

「よく分かるわね,地下街なんて全然来ないからどこも同じに見えるわ」

一分の迷いもなく角を曲がる葉麻に,舞は驚いている。

「もう何年も住んでますから,慣れてますよ」

舞の家の周りは田舎といっても過言じゃない。すすきのいっぱい生えた空き地,使用不能の自販機,黒い木の塀で囲われた家など,昔を思わせる町並みが田舎を語っている。それはそれで風情があるのだが。

地下街をうろつく事約15分。ようやく地上への階段に辿り着き,それを上る。

階段を上がると,さっきとは打って変わって閑静な住宅街に出た。本当に新興住宅地へ地下街から直接来たのだ。

さっきまで降っていた雨は取りあえずあがり,雨の匂いが少し残っている。

道路は完全に舗装され,一定間隔を置いて消火栓,街灯が完備されている。高級住宅街と呼ぶにふさわしい,完全な計画性を持った住宅地だ。

「佐紀,ついたの?」

高倉がちょっと疲れ顔で言う。

「もうちょっと」

「前北先生,いい所に住んでるなぁ」

森安が感心した。

「ホント,まさに玉の輿よね。結婚式も凄かったみたいだし」

舞は直接式に行ったわけではないが,写真を見たり,話を聞いているのだ。

一行は目の前に見える緩やかな坂道を真っ直ぐ進む。少しずつ上っていくに連れ,丘の向こうに森が見えてくる。その手前に,大きな邸宅が姿を現した。

「でけー」

敷地面積50uはありそうな…壁。1ブロックが全て壁に囲まれて,和風の建物らしい屋根が見える。角を曲がると,立派な門構えの玄関が見える。

「多分…ここ」

「この家!?」

高倉が目を丸くしている。

しかし,確かに表札には吉岡章人と前北靖子の文字が刻まれている。

───吉岡も,あからさまに金を振りまいているな…。

だが島根県警によれば,詐欺で巻き上げた金は全て押収されたはず。それなのにこの振る舞い様。まだ押収されていない金があるのか,あるいは稼いだのかは分からないが,財産が有り余っているようだ。

「取りあえず,確認しましょ」

そう言って舞はインターホンを押した。

彼女が確認している間,聖志は門を隅々まで睨み付ける。当然の如く防犯カメラが門の左右2ヶ所に設置されている。

───これは…。

門の前の地面の敷石の間に赤外線カメラが設置されている。

───まるで要塞だな…。

「どちら様でしょうか?」

「中央学院広報部の星野です」

「あ,待ってたのよ,どうぞ入って」

前北がそう言うと,微かに門のロックが外れる音がした。

───遠隔ロックか…?

「お邪魔しまーす」

舞は何も気付かずに門をくぐる。まあ,気付かないのが普通なのだが。

門を入ると,まるで武家屋敷のような面構えをした巨大な邸宅。左手を見ると今時犯罪ものの広い庭,恐らく鯉を入れてあるのだろう,大きな池。

みんな唖然として玄関口へ向かう。

「みんなお揃いでようこそ」

玄関の引き戸を開けると,前北教諭私服バージョンが出迎えた。

「こんにちは」

玄関ホールは普通の家と何ら変わりないが,和風の照明や架けてある絵画が完全に雰囲気にハマっていていい味を出している。

「雨は降ってなかったの?」

「駅に着いたときは降ってたんだけど,地下街を通ってきたから」

「へぇ,よくこれたわね。大概の人は迷うんだけど」

「佐紀がこの辺に住んでるから」

高倉がそう言った。

「あら,そうだったの。知らなかったわ。ま,玄関じゃなんだから上がって」

「お邪魔します」

一行は来賓用の為の部屋に案内された。見た目10畳はありそうな和式の部屋の真ん中に木製の机が誂えてある。

「ちょっと待っててね,今お茶入れて来るから」

「あ,お構いなく」

彼女は台所へ戻った。

残された一行は珍しげに部屋を見回す。特に熱心なのが聖志だった。タンスの影やら,掛け軸の裏など。

「…ちょっと,何してるのよ」

舞が何やら呆れ顔で聖志に言った。

「おいおい,妙な趣味を持ってるな」

森安もくつろぎながら言った。

ここでいつもなら,高倉の余計な言葉が入るが,今日は黙っている。ここで不審がられては困るので,聖志は大人しく座ってる事にした。

と思いながらも木製の机の下を探る。

「そういえば星野,インタビューのノートは持ってきたのか?」

「もちろんよ。これ」

舞はそう言って鞄からノートと筆記用具を出す。

「先生からいろいろ聞き出さないとね」

「質問とかは自分の思った事でもいいから,取りあえずたくさんの情報を仕入れないと」

部長だけあって彼女は要点を分かっているようだ。

「そうだな,その当たりは麻由美ちゃんに期待しよう」

「任せてよ,いっぱい考えてきたから」

それをBGMに机の裏を探っていると…

───あった!

指から伝わる形状からして,恐らく盗聴機。

すかさず手でもぎ取ろうとすると。

「ねぇ,聖志は何か考えてきた?」

───こら,名前を出すな!

今の一言で盗聴機に名前を拾われてしまった。すぐには効果は表れないとは思うが,警戒する事にこした事はない。

聖志は取りあえず盗聴機を外し,

「旦那さんにも話を聞いた方がいいだろ。取材の対象張本人なんだから」

「あ,そうね。いいかも」

「さすが先輩」

「でも,今日は平日だろ。いるかな?」

「それは分からないが…」

しかし聖志は必ず出会う,と確信していたのだ。

「ごめんね,遅くなっちゃった」

遅れ馳せながら前北教諭が手にお盆を持って戻ってきた。

さっきまでくつろいでいた森安が正座する。

「そんなに畏まらなくてもいいのよ,ゆっくりしてて」

彼女は手慣れた手つきで紅茶を並べた。

───学校とはえらい違いだな。

学校の彼女と直接話した事のある聖志は,少し違和感を感じた。

「せんせ,今日はダーリンは?」

高倉が死語を使って前北に迫る。

「ダーリンって,お前なぁ」

思わず森安が突っ込む。

「ええ,もうすぐ帰ると思うわ。帰ったら紹介するわね」

「お願いします」

このあと,インタビュー兼吉岡の人物像についての質問タイムが小一時間ほど続いた。みんな結構聞きたい事があるらしく,質問の波は留まるところを知らない。ただ,聖志はほとんど喋らず,ずーっと質問とその答えを書き取っている。

主な質問は結婚までの経緯,どういう所に惹かれたか,どういう所が好きか嫌いかなど。あと,結婚式に関することや,森安の専売特許,夜の生活や子供の事など。

「よくそれだけも質問が浮かぶわね」

「そりゃもう,昨日ずっと考えてましたから」

高倉はやっぱりかなりの量を質問した。しかし恐らくは前北自身が広報部のインタビュアーに喋った事ばかりなので,情報としては重なる事が多い。

「…そうだ」

口を噤んでいた聖志が突然口を開いた。

「なに?」

妙な笑顔を向ける前北。

「彼の仕事は?」

「え? 章人さんの?」

「…そう」

「あれ,知らなかった? 銀行に勤めているの」

「へぇ,そうだったんですか」

葉麻が相槌を打った。みんなも知らなかったようだ。

───なるほど。この成り金ぶりはその影響か…。

と,その時,玄関の方で声が聞こえた。

「あ,ちょっと失礼」

そう言って玄関へ向かった。恐らく彼が帰ってきたのだろう。

───長瀬和義か…。

聖志はさっき取った盗聴機をポケットに入れ,立ち上がった。

「…どうしたの?」

突然立ち上がった聖志に,舞が声をかける。

彼は天井を見まわしている。あからさまに怪しい行動だが,今のうちにしておかないともう来る機会などないだろう。

───あった…。

下手すれば見落としそうな,間接照明のカバーをくり貫いて小さくレンズが輝いていた。恐らくは暗闇でも見える赤外線カメラ。しかし,赤外線カメラの場合,普通のカメラとは違い,映った人物が何をしているかは分からないのだ。別のところに仕掛けてある可能性もあるのだが,それは望ましい事ではない。

取りあえず聖志は満足し,座り直す。

「どうかしたのか,さっきから」

結構勘の働く森安が言った。

「…俺の家とはずいぶん違うなって」

聖志は適当な理由をつけた。

と,前北が戻ってきた。今日の主人公である,自称吉岡章人と共に。

「あ,ダーリン!」

高倉がいきなり失礼な言葉をかけた。

「初めまして,中央学院広報部です。私は部長の星野です」

「こちらこそ,お初にお目にかかる,吉岡章人です。今日はよろしくお願いします」

非常に真摯な態度,エリートの風格が漂う。

このあと,広報部全員の自己紹介と,吉岡の簡単なプロフィールが,本人から発表された。

そしてまた質問の嵐。もちろん高倉が筆頭となり,葉麻や舞も積極的に質問をぶつける。聖志はまたもや黙ってそれを書き取っている。それと同時に吉岡の仕草や行動を観察する。

「へぇ,そうなんですか」

「やっぱ新婚はいいですねぇ」

森安の茶々が入り,一段落ち着いた。

「えーと,西原君だっけ? 質問ない?」

さっきから書き取っているだけの彼に気を遣ったのか,吉岡が話し掛けた。

「…そうですね……。出身地はどこなんですか?」

その瞬間に吉岡の目が少し変化したのを見逃さなかった。

「…僕は…東京だよ,東京の品川」

「へぇ,いいところじゃないですか」

知るはずがないのに適当に相槌を打つ高倉。

「ちなみに大学はどちらを?」

何かとこだわる舞。

「僕は上智大学を出てます」

「エリートじゃないか!」

森安が何故か興奮する。

聖志はそれを書き取る。もちろん出身地も。

質問の嵐はそのあと2時間続き,ようやく吉岡も,前北も開放されたようだ。

「今日は君たちと話ができてよかった。妻の勤めている学校だから関心があったんだ」

「そうですか。私たちも,助かりました。ありがとうございました」

ゴゴオオオオオオオ……ザァー…

ちょうど帰ろうとしたとき,タイミングがいいのか悪いのか,雨が降ってきた。

聖志は腕に付けずにポケットに入れている腕時計を見る。

───PM5:30。

「また降ってきたのー?」

「しかも尋常じゃない降り方…」

もううんざりの森安。

「止むまで家にいればいいわよ」

「どうもすみません」

「いつまでもここにいるのもなんだから,リビングへ行きましょう」

「皆さんもどうぞ,遠慮なさらずに」

吉岡夫妻はそう言って一行をリビングへと案内した。

来賓室も凄けりゃリビングも凄い。今時にしては珍しく,キッチンとリビングが別々の部屋になっている。リビングは夏用にと,絨毯を敷いていないフローリング。涼しい色のカーテンに,柔らかい蛍光燈。広さは見た目14畳。南側一面に縦幅の広い窓があり,その外側には雨に滴る広い庭が映っている。

───しかし,よくもここまで金を掛けられたな。

「またまた広いな」

「ホントね」

森安と高倉が感心する。

「あ,前北さん,トイレどこ?」

聖志が尋ねた。

「玄関の横。行けば分かると思うけど」

「どうも」

リビングに吉岡の姿を確認すると,彼はそのままリビングには入らず,直接玄関へと向かう。もちろん,トイレになど行く気はなく,玄関を出た軒下で携帯を取り出す。

「はい」

「俺だけど,今家にいる」

「そうか,何か変わった事は?」

「ああ,吉岡に会った」

「ほほう,どんな奴だ?」

「エリートサラリーだ,特に外見は変わった事はない。が,人は見掛けによらないからな」

「確かに。家の方は?」

「ああ,要塞と言っていいだろう,盗聴機やらカメラやら」

「そうか。取りあえず帰ってから詳細報告してくれ」

「OK」

そう言って聖志は携帯を切り,素早くジャケットの内ポケットに入れ,玄関に戻った。

 


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