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───6月8日,昼休み。

藤井はいつものように体育館横の影になっている階段に座り込んで飯を食っている。なぜ職員室で食べないかといえば,なんとなくだったりする。いつもは聖志が横にいるのだが,1週間ほど留守である。

あの日から,変わった事は何もない。前北靖子は吉岡靖子になり,最近は毎日その話題である。ある意味,吉岡の偽名説はないのではないか,と疑うほどにまで和んだ状態で,彼女の幸せそのものといった感じである。

「あれー? 藤井先生じゃないですか」

「ほんとだ」

「よう」

藤井は片手を上げて葉麻と高倉に挨拶した。

「今日は…西原先輩は?」

「ああ,家で寝てる」

「え? 何か病気でもしたんですか?」

葉麻の言葉。

「さあ」

「さあって,いつも適当よね」

何か苛ついた感じの高倉。

「どうしたんだ,今日は妙に尖ってるな」

「今日ね,麻由美,当たり日なんです」

つまり,出席番号と日付が同じなので,授業中に教師に当てられるのだ。

「後2回よ,最低」

昼からも2時限あるのだ。

「ま,頑張って」

「いいよね,先生は」

「ああ」

藤井は何か抜けたような返事をする。

「先生,先輩がいなくて寂しいんじゃないですか?」

葉麻が見た感じの感想を言った。

「んなわけないだろ。ただ,れ…」

「れ?」

高倉がすかさず突っ込む。

「いや,何でもない」

藤井は思わず連絡がない,と言いそうになってしまった。

「さて,次は授業だ,お前等も頑張ってくれ」

「はーい」

 

一方,警視庁に泊まり続けている聖志といえば,毎日警察のコンピュータに向かっている。吉岡章人の検索を根気よく続けているのだ。段々コンピュータの検索システムを信用できなくなってきた彼は,資料室にある個人ファイルを最初から探したりしているが,未だに見つかる気配はない。

情報部に借りた机に個人ファイルが文字どおり山積みになっている。

「はぁ…」

「まだ見つからないんですか?」

ため息を吐く聖志に声をかけたのは情報部の梶間洋平。この道4年目の警官である。

「多分偽名だけど,取りあえず最後まで調べないとな」

「検索システムは?」

「誰が作ったのか,いくらサブとは言え警視庁の検索システムがあれじゃあな…」

たまにエラーが出るのだ。

「僕も手伝いますよ」

「いいさ。もう少しで終わりだし」

「そうですか」

梶間は少し残念そうに答えた。

「せめて出身地さえ分かればな…」

───そうだ!

聖志は1週間ぶりに藤井に連絡をする。

「藤井か?」

「ああ,聖志か」

「至急調べてもらいたいんだけど…」

「へ?」

「吉岡の出身地」

「吉岡は確か…島根だったかな」

「確かか?」

「ああ,昨日聞いたばかりだ」

「OK。んじゃ」

取りあえず出身地が分かった事で調査は一歩前進した。島根県庁の住所者名簿を調べれば大体が見えて来る。

───もう少しか。

 

───6月19日,曇り。

「聖志,おっはよ」

不意に肩を叩かれた聖志。ここを通るのは実に10日ぶりである。

「久しぶりね,どうしてたの?」

いつもと変わらない表情で舞が尋ねた。

「特に何もない」

「そう?」

そうは言ったが,彼には大きな収穫があった。島根県庁の名簿を調べたところ,吉岡の偽名が発覚した。本名長瀬和義。島根県警による前科付きで,詐欺容疑で懲役3年を受けたのだ。その頃から現在の文部大臣である小倉太朗とは交流があり,色々な意味において恩恵を受けている。

藤井に報告する,大きなネタを掴んだのだ。

「ねぇ,聖志の家ってどこなの?」

「へ?」

あまりに意外な質問に聖志は素の声を出した。

「お前,知らなかったっけ?」

「うん」

即答する彼女。

「…そうか」

「ちゃんと答えてよ」

「場所は言えないな」

「どうして?」

「気分が向かない」

「じゃあ,電話は?」

「へ? 電話も知らないのか?」

「…うん」

聖志は,自分の情報が完全に隠れていた事に驚き,感心した。と同時に,彼女に伝えていなかった事に少し後ろめたさを感じた。

「仕方ない,電話は教えよう。でも,あまりかけて来るなよ,電話代が馬鹿にならん」

「私からかければいいじゃない」

もっともな答え。しかし,緊急時に電話が繋がらないのは避けなければならない。

「…やっぱ教えるの止めよう」

「冗談よ,教えてってば」

彼女は笑いながらそう頼んだ。

 

───昼休み。

聖志は授業が終わるとともに教室を出た。彼にしてみればかなり珍しい事である。行き先はもちろん職員室。藤井への報告である。

「あ,聖志じゃねーか」

偶然にも廊下であったのは飛島。

「よう,久しぶりだな」

「1週間も休んで何してた? 入院でもしてたのか?」

「似たようなもんかな。んじゃ」

答えを彼の想像に任せて聖志は職員室へ向かう。変な勘繰りを入れられたら困る。

東校舎1階にある職員室。訪れた回数は,藤井に会うためや,その他諸々を含めると数え切れない。生徒にとってはあまり近付きたくない場所の一つである。

職員室の西側のドアを開ける。

思いの外がらんとしている。教師の大半は近くにある飯屋へ昼食に出かけている。

───あいつ,どこ行きやがった…?

藤井の姿が見当たらないのだ。

───もしかして,あそこか…。

そう考えた聖志は例の場所へ足を向けた。

 

初夏の日差しを浴びる体育館の脇の階段で,彼はいつもの昼食タイムを取っていた。ここなら,日陰になっているし,第一誰もいなくて静かなのだ。目の前には生物部が育てている花壇があり,ちょっとした庭になっている。

藤井は半分になった煙草をコンクリートに擦り付ける。

「相変らずか,藤井」

「聖志! いつ帰ってきた?」

背後からの声に,振り返って驚く。

「昨日かな,正確に言うと今日なんだけど」

「…収穫はあったか?」

「ああ」

聖志はそう言うと,ブレザーの懐から何枚組みかの資料を出した。

警視庁で収穫した全てが,この紙の束に集結されているのだ。

藤井は新しい煙草を右手に挟んだまま,その紙の束に見入っている。

「…やっぱり偽名だったのか」

資料の冒頭に書いてあった言葉を繰り返した。

「ま,当然といえば当然だけど」

「しかし,彼が刺客となると,行動が遅くないか?」

つまり,吉岡が前北教諭を殺すのが遅い,と言う事だ。

「結婚式の日に鴇田と相田,松山が逮捕されたんで,警戒していると考えられるな。完全な計画だっただけに,3人をしょっ引かれたのは大きな計算外だったんだろう」

「漏れるはずのない情報が漏れていたんだからな」

少なくとも9年間温めていた計画がわずか数ヶ月で崩れかけているのだ。

「じゃ,俺は寝に行く」

「放課後はPCルームだぞ」

「覚えてたらな」

聖志はそう答え,早足で教室へと向かった。

 

───あと10分か…昼飯は無理だな…。

席に着いてそう思ったとき,

「おい,聖志!」

「あ?」

飛島が名前を呼んでいる。その表情が妙に和らいでいる。

その隣には久しぶりの葉麻が。聖志は席を立って入口に向かう。

「どうした?」

「ええ,今日の放課後会議です」

「…あ,校内情報か」

「そうです」

「OK」

「なぁ,校内情報には何を載せるんだ?」

横から首を突っ込む飛島。

「それはお楽しみです」

葉麻は少し微笑んでそう答えた。

「あ,なるほどね」

飛島も笑いながら納得した。

───こいつ,葉麻に手を出すつもりだな…?

彼の癖で,結構タイプな女と話すと,常時笑っているのだ。

「じゃあ,放課後,会議室だな」

「はい。じゃあ失礼します」

葉麻は飛島にも会釈をして去った。

「おい,彼女の名前は?」

飛島の予想通りの行動。

「…自分で聞いてくれ」

「おいおい,それはないんじゃないか?」

「お前のテクの見せ所を奪いたくないからな」

聖志はそう言うと,教室へ引っ込んだ。

 

───放課後。

予定通り,広報部メインメンバーが召集された。

「今月号の主要記事は前北先生の結婚で行きます」

部長閣下が会議室の黒板の前に立ってそう言った。

「インタビュアーの皆さんは聞いた事をできるだけ詳しく書いて私に提出してください」

「部長,どんなことでもいいの?」

「構いません。ただ,掲載に影響のある情報はやめてください」

舞は抽象的な事を言った。

「星野,それってどういうこと?」

冷やかすのはいつもの森安だ。

「えー,それはぁ…」

予想していたはずなのに,答えに困る舞。

「つまり,下ネタは禁止って事さ」

副部長の地位についている聖志が代わりに言った。

「なーんだ,いっぱい聞いてきたのに」

マジでがっかりする彼。ホントに下ネタを手に入れたかのようにうなだれた。周りの男子部員は笑い,女子部員は笑うものもいれば苦笑いするものもいる。

「ま,提出する分にはいいが,多分すべて削除する」

「良くないわよ,受け取るのは私なの!」

舞はほんのり顔を赤くして怒鳴った。

「でも,文じゃなくて写真ならいいの?」

さらに悪ふざけをしたのは高倉。

「もう,ダメって言ってるでしょ!」

いつもよりテンションの高い部員に,舞は珍しく取り乱している。

───たまにはいいな。

こういうほのぼのした雰囲気も,広報部の特徴だ…と聖志は思っている。

と,扉が開く。

「賑やかだな,広報部は」

広報部担当の藤井が出現した。

「メインの記事は決まったのか?」

「はい,前北先生の結婚でしばらく行こうかと思っています」

「そうか。んで,何でこんなに盛り上がった?」

余計な茶々を入れる藤井。

「先生,下ネタOKじゃないの?」

「写真は?」

森安と高倉が次々に言う。藤井は苦笑い。

───にしても,何でこんなにテンションが高いんだ?

「ダメダメ,新聞に載せるかどうかは別として,俺の印象が悪くなるから」

藤井は教師としての威厳を保つらしい。

「取りあえず解散しよう。お疲れさまー」

彼はまだ笑いの止まっていない部員を解散した。部員は一斉に部屋を出た。

部長の舞はちょっと疲れた様子で机の下の鞄を取り出した。

「森安と高倉はいつもああなのか?」

たまにしか来ない藤井は彼等について尋ねた。

「今日はテンションが高かったみたい」

高倉の隣にいた葉麻がそう言った。

「ちょっと疲れちゃった」

結構タフな舞がそう呟いた。

「お疲れだな」

「ホントよ」

舞は気だるそうに手近の椅子に腰を下ろす。

それと同時に舞の背後の藤井が,親指を立てて聖志にサインを送る。聖志の他には誰にも見られていないというのが,藤井のテクである。

───あ,そうだった。

聖志はもたれていた壁を離れ,自分の鞄を取る。

「聖志,帰ろうよ」

彼が予想していた言葉が来た。

「今日は葉麻と帰ってくれ」

「なんで?」

「こいつ,数学の補習なんだと」

横から藤井が,助け船か嫌味か分からない言葉を出した。

「そうなの?」

仕方なく聖志は頷いた。

「んじゃな」

そう言って会議室を出る。

「お前等も早く帰った方がいいぞ。今日は雨になるって言っていたからな」

「はーい」

 

「で,どうだった? 俺の調査は」

PCルーム。今日の昼に渡したデータについての会話である。

「…島根県の長瀬和義だったな,確か」

11年前に結婚詐欺容疑で島根県警に検挙されている。主に見合い相手を紹介して,紹介費として20万,その他諸々の経費を含めて45万という法外な値段を巻き上げていた。県内の被害者は合計14人,それだけでもかなりのものであるが,県外にも進出し,被害者は合計35人になる。

巻き上げた金額合計は1575万円。結婚詐欺における被害額は最高ランクである。

しかし,動機がはっきりしないのだ。なぜそんなに金を必要としたのか,警察の再三の取り調べにも応じず,周りからも動機となるような情報が得られなかった。

「それはいまだ分からず,か」

「…だが,あの3人が吐けば少し光が見えて来るだろう」

「そうだな…。それで,小倉に助けてもらったと」

小倉,現在の文部大臣である。

「そういう記録になってる」

「またなんで文部大臣が?」

「資料にも書いたと思うけど…近所の知人同士だとか」

「しかし…知人如きで助けようと思うかなぁ」

そう,知人である。友人ではないのだ。つまりは,ただの顔見知りである。

「ただで助けるわけはないだろ」

「小倉が,金目当てで?」

「ないとは言えない」

「しかし,巻き上げた金は全て島根県警に押収されたし,残り金なんかないと思うけど」

「…その辺りはまだ分からないな…」

「ま,ただはっきり分かったのは吉岡章人が偽名で,長瀬和義だったと」

藤井は腕を組む。

「それと,島根県警に挙げられて,小倉文相に助けられた,と」

聖志は体育館の横にある自販機で買ったコーヒーを一口飲む。

つまり,明らかになったのは偽名説と前科があった事だけである。肝心な何かが誰かによって隠蔽されているのか,あるいは見落としているのか。

「ま,期限は長い。ゆっくりと虱潰しに調べればいいさ」

「それしかないな」

2人はそう言って立ち上がった。

 

「俺も帰るから,乗ってくか?」

真っ黒になった西の空が見える職員専用駐輪場で,藤井はこともあろうにバイクの2人乗りを聖志に薦めた。

「お前な,ミイラ取りが自らミイラになるのか? 俺等はある意味,サツだぞ」

「…そういえばそうだな。んじゃ,俺は帰る」

メットをかぶり,バイクにまたがった。

バオオオン!!

教師がそんなものに乗っていいのかと言うような,750ccバイク。

―――GSX−R750…。

黒い車体に一見アンバランスな黄色のホイール。だがそれは電光石火な足回りを強調するように,鮮烈なインパクトを与えている。

「じゃあ」

黒いメットと革ジャンに身を包んだ彼は,首を捻ってそう言った。

「ああ,間違っても事故るなよ」

「OK」

ブォン,バオオオオン!!

いきなりぶっ飛ばして正門を左へ曲がった。

───良くやるもんだな…。

聖志は鞄を肩に担ぎ,歩き出した。

正門を出て,いつもの様に左に曲がると。

───誰だ?

正門前に誰かが立っている。

「おい,西原じゃんか」

「飛島?」

暗がりなので良く分からない。

「おいおい,どうなってるんだ?」

何やらわめいている彼。

「どうかしたのか?」

「…例の彼女を待ってるんだけど…全然来ないじゃないか!」

───例の彼女?

「誰の事だ?」

「ほら,昼休みに来てた…」

「ああ,彼女か。既に帰ったぞ」

聖志はそう言って歩き出す。

「え〜嘘だろ〜!?」

かなりショックを受けながらも,しっかりと付いてくる。

「マジ」

───しっかし,こいつも手が早いな。

「おい,次に会議があるのはいつだ?」

「えーっと…全員召集は2週間後ぐらいかな」

「そんなに待つのか…」

「でも彼女は大体毎日部室にいるけど」

「そ,そうなのか!?」

飛島は文字どおり飛びそうだ。

「ま,彼女は真面目だからな。それに,部室に行っても入れてくれるかどうか分からない」

「お前が入れてくれればいいんだよ」

彼は聖志の両肩に手を置く。

「悪いが俺が部室へ行くのは無に等しい」

「そんな〜」

どうやら飛島は本気で待ってたらしい。

「舞に話してみろ,ダメもとで」

「何で星野なんだ?」

「広報部部長だから,部室に顔を出す事が多い」

「…そうだな,そうするか」

そんな下らない話をしながら帰った。

 


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