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───PM8:00。

夕方から降り出した雨は留まるところを知らず,ずっと降り続いている。天気予報でもこの辺りには大雨洪水警報が発令されており,JR東北線も全線不通となってしまった。そうした事情を知った上で,吉岡夫妻も宿泊を勧めてくれた。広報部の一行は,家とは違って離れにある2階に部屋を借り,そこで宿泊する事になった。

離れの1階と本家が渡り廊下で繋がっている。離れといえども一戸建てにほぼ近い間取りになっている。離れは,将来生まれて来るであろう子供の為の部屋を用意しているとのことだ。

一行は離れにある1階のリビングでくつろいでいた。本家のリビングほど広くなく高級感もないが,うまく纏められてあり,一般人にはくつろぎやすい部屋となっている。

「それにしても,えらい事になったな」

ソファに座り,テレビのニュースを見ながら森安と高倉が,半分遠足気分でそんな事を言っている。

「大丈夫,明日になったら帰れるわよ」

「帰れなくては困るなぁ」

「ホントですよね,期末試験も近いのに」

もう期末試験を考えている,真面目な葉麻。

「佐紀,気分壊さないでよ〜」

「あ…ごめん」

何の気分なんだか分からない。

聖志はそれを聞きながら昼間聞いた事をノートパソコンで編集している。

───勝負はこれからだな…。

「葉麻,これなんて言ってたっけ?」

聖志はノートの質問に対する答えを聞く。

「出身ですか…確か,東京都品川区だったと思いますけど」

「よしよし,じゃあこれは?」

次に示したのは出身大学。

「上智大学でしたよ…って,ちゃんと書き取ってるじゃないですか」

「ああ,確かめただけ」

そう言いながらタイプする。

「先輩ってタイプ速いんですね」

「…へ?」

一瞬何のことだかわからなかった。

「とてもC科学が成績悪いなんて思えないけど…」

「誰だ,そんな事を言ったのは?」

「藤井先生です」

───あの野郎。

「ま,誰にでも取り柄はあるって事。俺に関してはタイピング」

「そうは言っても,佐紀も速いじゃない」

向こうでテレビを見てた高倉も話に乗ってきた。

「でも,まだキーボードを見ないと打てないし…」

「大丈夫,慣れだよ慣れ」

「そうなんですか…?」

「タイプに関して言えば,森安も結構速い方だろ」

高倉の向かい側でぼけーっとテレビを見ている彼に話を振った。

「馬鹿言え,お前に叶う奴なんているわけないだろ。担当の先生も追いつけない速さなんて,聞いた事ないぞ」

実はそうだったりする。担当の教師が今年新任だったので,最も基本的な事しか授業ではせず,専らタイピングの練習だったりする。教師も教えながら学んでいると言う感じだ。

と,リビングの扉が開いた。

「みんな,お風呂があいたからどうぞ入って」

前北教諭がそれを伝えに来た。壁に連絡機があったのだが,直接いいに来た。

「わーい,佐紀,行こうよ」

「じゃ,お先に」

高倉と葉麻がそう言って立ち去った。

「じゃ,ごゆっくり」

前北がそう言って扉を閉めようとしたとき,

「ちょっと待った」

聖志が声をかけた。

「え? なに?」

「ここの電話って,家の方と共通なのか?」

「えーっと…違ったと思うわよ。番号も違うし」

「そう。ちょっと家の方にかけとこうと思って」

「大丈夫,安心して使って」

「どうも」

前北は立ち去った。

「お前,一人暮らしじゃなかったか?」

森安が言った。

「ああ,わけありで実家の方へ」

「そっか」

聖志はそう言って誤魔化したが,電話などかけるつもりは毛頭ない。

しばらくすると,森安が立ち上がった。

「西原,風呂場へ行こうぜ」

「ああ,待て,これ置いてくるから」

聖志はノートパソコンを閉じた。

「いや,そうじゃなくて…」

「ん?」

「…あのさ…」

そう言ってぽりぽりと頭を掻く。その仕草に,聖志の勘が働いた。

「…お前,高倉を鑑賞しに行く気だな?」

「あ,ああ」

つまりは,風呂覗きである。しかも,高倉と限定したところに頷くとは思わなかった。

───しっかし,言っておいて照れるなよな…。

「俺の趣味じゃないからな…一人で行ってくれ」

「お前,好感度を落とさないためだろ!」

何故か怒る彼。

「不用意に落とす奴は馬鹿なの。しかも,ここは教師の家だろ」

「あ。すっかり忘れてた。…止めとくか」

森安は残念そうにあきらめた。

「それがいい。もしお前がばれると,俺まで巻き添えを食らう」

「なんでだ?」

「俺がここにいたというアリバイがない。それに,もともと女なんてそういうもんだからな」

「…お前の言葉って,深みがあるよなー」

妙な事で感心する森安。

聖志はそれを聞き流しながら,キッチンへ行って冷蔵庫からビールを取り出す。

「飲むか?」

「おお,気が利くなぁ」

全く遠慮の気配はなく森安が缶を受け取り,プルタブを開ける。

「いいねぇ,ビールは」

仕事帰りのサラリーマンのように思いを述べる彼。

「お前,酔うとどうなるんだ?」

「うーん,俺が前に友達と宴会を開いたときには…確か,笑い上戸だったらしいけど…」

「どれくらいで酔う?」

「5本」

いやに正確に覚えている。

「何で5本?」

「缶」

「そうか…前北さんに酔ったところを見られるのもまずいから,今日のところはこれだけだ…と言うか,ない」

冷蔵庫の中には,さっき取り出したビール以外には酒の類のものはない。

「残念だなー,つまみがない」

森安は手で摘む仕草をする。

「買ってくるか?」

「馬鹿言え,この大雨の中をか?」

そんな冗談交じりの会話を並べつつ,ソファに腰掛けた。

「そういや,お前ん家の電話番号知らないな…教えろよ」

森安は唐突に言ってきた。

「急になんで?」

森安はクイッとビールを飲み,

「知り合いの中で番号が分からないのはお前だけだ」

確かに,聖志が友人に電話番号を教える事はないのだ。

「この間教えただろ」

「アホか,あん番号使いもんにならんじゃないか」

つまり,引っ越す前の部屋の番号だ。

「いつ掛けた?」

「昨日」

「電話変えたからな…」

「ちょうどいい,ここに書け」

「しゃーねーな」

聖志は持っていたシャープペンでパットタイプのメモ用紙に,一枚紙を切って机の上で書き付けた。

「またなんで電話を掛けた?」

「ああ,謙太郎の事」

「謙太郎って,飛島か?」

「そう。何でも,うちの部の奴と付き合いたいって…」

飛島と森安,聖志は去年同じクラスだったのだ。今でもこうして付き合いがある。

「相手は?」

一応聞いてみる。

「驚くなよ,葉麻」

「ほほう。で,何で俺に掛けた?」

「いや,勝手に情報をあけていいもんかと悩んだ末のころ」

「そうか。ま,好きにすればいい。俺は教えてないが」

「いいんだな? じゃあ遠慮なくおしぇる」

───こいつ,もう呂律が回ってない。

「そろそろ寝ろ,俺も後から行くから」

「…わーった」

たった1缶のビールでまずい状態になっている。

───何が5本だよ,全く。

森安はおぼつかない足取りでリビングを出た。もちろん,さっき書いた電話番号は置きっぱなしである。聖志はそれをジーンズのポケットに入れ,事実を闇に葬る。

───悪く思うなよ。

 

都合よく誰もいなくなった離れのリビングで,取りあえず電話線を確認する。離れの電話はキッチンとリビングの間に置かれていた。部屋の出入口の右側に置かれている,本棚の一番端っこの,出っ張った部分にFAX付きのがある。その後ろから黒い電話線が天井に伸びる。しかし,その先がどこに繋がっているかは容易には想像できない。

この家は計画的に作られており,配線などの邪魔なものは全て床下か,天井裏に隠れているのだ。よく言えばスマートな部屋作りをしている。吉岡自身がこんな性格をしているのか,あるいは全て自分で管理できるようにしているのかは分からない。

しかし,取りあえずこの電話と本家の電話は別々である事は確かなようだ。住人が言うのだから間違いはない…とは言いきれないが。

聖志の家にもFAX付きの電話があり,それには逆探知機を電話線の間に挟んでいるので相手が誰であるかがはっきりと分かる仕組みになっている。それは聖志自身がしたのではなく,JSDOの情報部が装着した。ちなみに子機はベッドルームだ。

───そういえば…子機はどこだ?

ここ5年来の電話なら子機がついてて当たり前,しかもFAX付きなら尚更である。が,周りを見渡したところ,それらしきものは見当たらない。

───2階か?

そう思った彼は,一旦2階へ上がった。

階段を上がりきると,正面と,廊下を進んでもう一つ部屋がある。

聖志は取りあえず自分たちの部屋を探す事にした。部屋に入ると明かりが点いており,6畳の部屋を満喫するように床に大の字で,森安がいびきを掻いて眠っている。それを横目に聖志は部屋を見るが,全くそんなものはない。あるのはエアコンと窓だけ。この離れができたのがつい最近なので,2階は手を付けていないらしかった。

この部屋をあきらめた聖志は隣の部屋へ向かう。女子3人がいる部屋だ。

コンコン!

厚い木のドアを叩く。

「はーい」

中から舞の声が。

「俺だけど,ちょっといいか?」

そう言うと,舞がドアを開けた。

「どうしたの?」

きょとんとして舞が言う。

「少し部屋を見せてくれ」

「いいけど…そっちと大して変わらないわよ。こっちはテレビがあるけど」

彼女はそう言って聖志を入れた。そう,ほとんど変わりはない。こちらの部屋はテレビがあるところだけが向こうの部屋との唯一の相違点だ。

「ね,何にもないでしょ?」

「…そうみたいだな」

と,くるりとドアの方に振り返ったとき,何かが視界の端をかすめた。

───!

ドアの上に,何やら配線のカバーのようなものがある。聖志は自然とドアの前に向かう。

「え? どうしたの?」

舞もつられてドアの上を見る。

───あった。

恐らくさっきの電話線。テレビのアンテナという可能性もあるのだが,さっき確認した限りでは配線の類は全て壁の外へ出ていた。しかし,現時点ではこれは関係ない。今は子機を探すのが最優先だ。

「邪魔したな,舞」

「あ,ええ」

なんだかわからない風な彼女だが,聞こうとはしなかった。

───本家か…。

取りあえずリビングへ戻ってきた聖志は,飲みかけだったビールを一口飲んだ。

子機の存在は気になるところだが,本来はあまり関係ない。もとより,こっちの電話でハッキングするつもりは全くないが,ここからかけたときに盗聴される可能性があるのだ。

前北に電話の事を尋ねたのは,吉岡にカマをかける為である。恐らく前北は吉岡にこの事で質問をするであろう,と踏んだからである。

と,舞が下りてきた。

「まだ起きてるの?」

「そうは言っても,まだ9時だろ」

「まあね,でも暇で…」

手持ち無沙汰の彼女。仕方なく肩で揃えた髪の毛を弄ぶ。

「何贅沢言ってんだか。この時間なんて,こんなもんじゃないのか?」

「うーん,お風呂から上がって,一休みってとこ?」

「そうだったのか…お前の事だから,勉強してんのかと思ったけど」

「私だって面倒なときもあるし…って,何飲んでるのよ」

「ビール」

平気な顔で言う彼。

「分かってるわよ,大丈夫なの?」

「俺は大丈夫」

「俺はって」

半笑いの彼女。もちろん,他一名は部屋で死んでいる。

「あ…そうだ」

「なに?」

「お前,本家の方の電話,どこにあるか分からんか?」

「電話…?」

「そう。耳と口に当てるとこがあって,ダイヤル回すと相手と話ができる黒い機械」

説明を加える彼。それも,かなり旧式のものを言っている。

「分かってるわよ,説明されなくても……確か,リビングにあったと思う」

「じゃあ,吉岡夫妻の寝室は?」

「え? 寝室?」

なぜそんな事を尋ねるのか,と言う表情をする。

「追々話そう」

「確か…一番初めに入った部屋の近くだったような…」

「何で知ってる?」

一見矛盾した質問を返す聖志。

「何でって…さっき前北先生と会ったのがそこだったから」

「…そうか…。ちょっくら行って来る」

聖志は考えた末,家の構造を知っておくことにした。

「それじゃ,私も付いてく」

「…分かった,行こう」

この答えは,舞にとって予想外だった。うまく躱されると思ったのだ。

「いいの?」

「行きたいんだろ?」

「うん,そうなんだけど…」

「では行こう」

聖志は早速立ち上がって部屋を出る。もちろん舞も付いてきた。

離れとの渡り廊下を歩き,本家の方に来ると,いきなり分岐路に当たった。

───確か,来たときは真っ直ぐ来たよな…。

それを思い出した聖志は,左に曲がり,ゆっくりと歩いていく。

「ちょっと,私こっちの道知らないわよ」

まるで初めて来た街の中で迷っているような言い方だ。

「馬鹿か,家の中で迷ってたまるか」

そのあとはこれまで通った事のない通路を全て通り,リビングへとたどり着いた。所用時間は全て含めて10分。

「あれ? ここどこ?」

舞が辺りを見回す。

「あのな…リビングの前」

「嘘,確か反対側じゃ…」

「あっちが玄関」

聖志は左側を指差す。

「……あ,そっか」

「お前,マジで家の中で迷ってるな…」

「…そうみたい」

彼女の言葉を聞きながら,リビングに入る。

しかし,予想に反して誰もいない。テレビが付けっぱなしなのですぐに戻って来るだろう。

「あ,…」

電話を見つけた舞は,思わず口にしそうになった。聖志は指でバツを作る。

例のそれは,南側の帽子掛けの横の電話台にしっかりとあった。聖志はそれを横目で確認しつつ,ガラスの机の上に置いてある新聞に暫く目を通す。

「舞,チャンネルを10に」

「あ,やってるかな」

彼女はその番組をチェックしていたらしく,説明なしでチャンネルを変えた。

「何だ,野球じゃない」

「残念だったな,行こうか」

「…うん」

と,部屋を出ようとすると,

「あら,どうしたの?」

前北教諭が部屋に帰ってきた。

「ちょっとテレビのチェック」

舞がそう言った。しかし,離れにもテレビはある。

「そうなの。ちょうどお茶ができたから飲んで行けば?」

舞は一瞬聖志の顔を見た。

「あ…,じゃあ,お言葉に甘えて」

「はい,ちょっと待ってね」

そう言って前北は廊下を挟んで向かいのキッチンへ向かった。

聖志は何も言わずにソファに座り,また新聞に目を通す。今度はマジで読んでいる。舞は気を使って何も言わない。恐らく余計な事を口走るのを避ける為だろう。

「お待たせ,お2人さん」

「あ,すみません」

「旦那さんは?」

聖志が念のために聞く。

「彼なら自分の部屋にいるわ。どうして?」

「新婚生活ってどんなものかと」

「それは昼間いっぱい喋ったじゃない,もう疲れたわ」

前北は本当に苦笑い。

「いや,見てみたかったなーって。ドラマのようにベタベタしてるのか」

「そんなわけないじゃない,ね,先生」

「んー,そうねぇ,あの人はそんなにくっつく方じゃないから」

「でも,先生はくっつきたかったりして」

「や,やめてよ」

舞のからかいに困ったように言う前北教諭。聖志はそれを横目に,いい香りのする紅茶を一口。

「…それで,星野さんとはどういう関係なの,西原君?」

いきなり振られた聖志は少し驚くが,普通の顔で,

「友人だな」

「ホントにー?」

と,疑わしげな顔で舞の方に向き直る。

「ええ,そうです」

「何だ,お似合いだと思ったんだけど」

何故か非常に残念そうな顔をする彼女。

『よく言われる』

見事にハモった。

「そういえば,大嶋先生と仲がいいんですよね?」

舞が尋ねた。これは,大嶋校医に直接聞いた事である。

「ええ,大学時代の親友でね,4年間ずーっと一緒に過ごしたわ」

聖志はあの極秘会議を見ていたが,舞はそれを見ていないのだ。

前北教諭は彼女の事をさも楽しげに話す。知り合ったときのこと,学園祭のこと,サークルの事など。大学を目指している舞にとっては,かなり興味を引く事もあるようだ。

「星野さんは進学するのね?」

「はっきりとは分からないけど,多分」

「西原君は?」

「…分からない。まだ決めれないかな,やりたい事いっぱいあるし」

「え? 進学しないの?」

舞が意外そうな声を上げた。

「分からん。進学するとは言い切れないが,進学しないとも言い切れない」

「そうね,したい事は今のうちにした方がいいわよ。後悔しない為にもね。でも,大学へ行けばたいていの事はできるけど」

「ふーん」

彼は大して興味を引かれていない。もう将来は決まっている。

そんな話をしながら彼女等は楽しんでいる。が,聖志はそれどころではない。

───絶対ここにはあるはずだ…。

さっきから目をきょろきょろさせながら部屋のあちこちを見まわすが,見当たらない。来賓室にあるのだから,ここにあっても不思議はないはず。

───カマかけるか…。

「書斎ってどこ?」

「え? 章人さんの?」

「そう」

「えーっと,階段を上がって左よ」

「どうも」

聖志は直接行くことにした。しかし,会う事はないだろう。

リビングを出ると,彼はわざと階段前の洗面所に入った。

トントントン…

予定通り,階段を誰かが下りて来る音が。

それを確認してから聖志は書斎へ向かう。が,やはり予想していた通り書斎のドアは開かない。と言う事は,入られては困る,と言う事なのだ。

聖志はそう納得すると,階段を下り,洗面所に戻った。…と,吉岡が書斎とやらへ戻る音がした。

───やっぱりカメラがあったのか…。

偶然といえばそれまでだが,あまりにもタイミングがよすぎる。しかも聖志の行動は予想外だったのだろう,タイミングを計っている時間がなかったのだ。

聖志はリビングに戻る。

「…舞,俺は先に戻ってるから」

「あ,うん」

「おやすみなさい」

リビングの扉を閉める直前に電話の場所を確認し,自分の部屋に戻った。

 


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