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───AM3:30。

予定通り聖志は行動を開始した。もちろんこの家のサーバー情報を得る為である。

部屋を出ると,廊下の窓から本家の2階を見る。取りあえず電気は点いていないが,注意するにこした事はない。

階段の音を立てずに下り,本家への通路を歩く。寝室は来賓室の隣だそうだから,慎重に進む。先ほど考えたリビングまでの最短コースを通ってリビングにたどり着く。

リビングのドアを,音を立てずに開ける。

───取りあえずOKだな。

真っ暗なリビングには人の気配はない。しかし,どこかに存在するカメラとマイクからは逃れられない。それはあとにして,早速電話のケーブルを探る。

電話のケーブルを抜いてパソコンのカードに接続し,それを本体に差し込む。つまり,電話線を介したサーバーへのハッキングである。誰かが起きてくるまでに済ませないと厄介な事になるので,時間との勝負だ。

サーバーを検索してアクセスする。が,やはりアクセスを拒否される。

───面倒な事を…。

聖志はハッキングソフトを起動させ,パラメータを入力する。と,意外に簡単に侵入できた。やはりカメラのデータとマイクのデータが入っており,聖志の姿の入ったものもある。彼はそれをダミーデータと入れ替え,極秘情報らしきものにアクセスする。

───アクセスコードを入力してください。

いきなりプロテクトにぶつかってしまった。これもまたソフトを使って解除する。が,そのあとにまた別のプロテクトが出てきた。

しかし,それら全てをことごとく解除し,更に奥へと進んでいく。

ディスプレイと睨めっこする事,およそ15分。ようやく核心へ辿り着いた。それは単純なテキストだったが,載っている事はトップシークレットものだ。他にはあまり目を引くものがない。

ここで内容を吟味するのは少々危険なので取りあえずコピーし,アクセス情報を元に戻す。

と,誰かの足音が近付いてきた。

───何てタイミングの悪い奴だ…。

聖志は素早くケーブルを切断し,パソコンの電源を切ってテーブルの下に隠れる。

息を殺して部屋の外の気配を伺う。が,どうやらこの部屋には入ってこないようだ。キッチンの方に行ったようだ。

───長居は無用。

聖志はその隙を狙って部屋を出,キッチンを伺う。部屋を覗くと,前北教諭が寝間着姿で冷蔵庫に向かっている。少し安心した彼は,音を隠して見つからないうちに離れに戻った。

 

───6月21日。

すっかり雨は上がり,初夏の陽射しが聖志の顔をくすぐる。

───もう朝か…?

まだ開く事を拒んでいる目を無理矢理こじ開け,枕元に置いた腕時計を見るとAM7:11。

隣を見ると,当然だが森安が昨日と同じ状態で眠りこけている。取りあえず目を素直に開けさせる為,洗面所に行くことにした。

廊下に出ると,下へ向かう葉麻に出くわした。

「あ,おはようございます」

「おはよ」

彼女はいつもの笑顔で答えた。

「みんな起きてるのか?」

「あ,はい。何かこの家の人は早起きみたいで」

「そうか」

短く答えると,聖志は階段を下りた。あとを追うように彼女も付いてきた。

さっぱりした顔で,離れのリビングへ行こうとすると,

「あら,おはよう。よく眠れた? 朝食ができてるから,リビングまで来てちょうだい」

前北が離れのリビングから出てきた。

聖志と葉麻は言われるままにリビングへ向かった。

「あ,おはよう」

リビングには舞が先に来ていた。

「おはようございます」

「おす」

テーブルに並べられているのは,コーンポタージュ,フレッシュサラダ,クロワッサンが2つ。量としては大した事はないが,豪華に見える食事だ。朝食は取らない聖志でも,思わず手が伸びる。普段は朝食など取らずに学校へ向かう。気分次第でコンビニなどでパンを買ったりもするが。

「森安は?」

なぜか舞は,彼のことを呼び捨てにする。いつものことだが。

「部屋で大の字さ」

「やっぱり…」

「え? やっぱりって?」

葉麻が不思議に思ったのか,疑問を投げかける。

「ビールなんか飲むからよ,って言っても聖志はなんともないみたいね」

「言っただろ,俺は大丈夫だって」

彼は毎日と言うほど飲んでいる。もちろん彼は未成年だが,一人暮らしという環境がそれを許しているのだ。

「あのね西原君,仮にも先生の前でそれはまずいわよ」

「気にするな」

そう言いながら朝食を平らげた。

───早いとこ帰ってデータを見ないと。

聖志はあのあとすぐに眠ったので,データ内容を見ていないのだ。この15時間近く藤井に連絡をしていないので,そちらの方も気になっている。

正直,データがあれだけとは思わなかった。彼の予想ではここのサーバーに全ての情報があると思っていたのだが,大した量はなかった。検索時間が短かったせいもあるが,それにしても関連ファイルが数個しかなかった。

───ま,内容を解析しないと分からないか。

「ふぁ〜」

と,いきなり森安が起きてきた。

「あれ? 早いな,森安」

「みんな,おはよう」

その陰に隠れてきたのは高倉。まあタイミングよく起きたものだ。

「あら,早いわね」

前北も予想済みだったのか,意外そうな声を上げた。その実,森安の遅刻回数は数え切れない。9時間は寝ないとすっきりしないと言うわりには,就床時間が午前2時だったりする。この間など,昼休みが終わる寸前に学校に登校したらしい。

高倉は遅刻こそめったにしないものの,やはり授業中の居眠りはもう当たり前になっている,と葉麻が言っていた事がある。

「さっき旦那さんに起こされたよ,もう登校時間だって」

森安はまだ夢の中にいるような口調だ。

───結構面倒見がいいのか…?

「そうなの? もう起きたんだ」

前北は,これまた意外そうな声を上げた。

「いつもこれぐらいじゃないんですか?」

「そうなんだけど,今日は休みのはずなの」

───まあ,次の日が休みだと大体は起床時間が遅くなるものだが…吉岡はそうではないのか?

「それで,旦那さんはどうした?」

「え…ああ,掃除するとか言ってたな」

そうこう言いながら久しぶりの賑やかな朝食を終え,帰途に着く準備をし始めた。

先ほど学校側から連絡があり,今日も引き続き大雨警報が発令されているので休校となった。生徒にとってはかなりありがたい雨になった。

───AM10:05。

「どうもお邪魔しました」

「お世話になりました」

一応広報部の取材という形でここへ来たので,部長の舞と隣に控えていた葉麻が挨拶をした。

「じゃあ,くれぐれも気を付けて帰りなさいよ。また雨が強くなるって言ってるから」

「はい。じゃあ失礼します」

玄関の扉を開けると段々と強くなってくる雨が見えた。

聖志は満足感を覚えながら,傘を差すのも忘れてもう一回昨夜の行動を振り返っていた。

───吉岡と初めて会見したのは昨日ここへついてから1時間ほどたった頃だったな。

そう,高倉が前北教諭を質問攻めにしていると,吉岡が帰宅したのだ。初めて実物を見た感想は,普通のサラリーマン。顔は写真などで何度も確認していたが,やはり実物とは少し違う。

───電話の位置を確認したのが6月20日20時頃。確か舞と一緒に屋敷探索の名目でリビングへ行った。やはりリビングにはカメラとマイクが仕込んであった。画像の角度から見て,恐らくテレビのブラウン管に仕込んであったのだろう。よくもまぁ,そんな危険な事をするもんだ。

───サーバーに入り込んだのは6月21日3時頃。前北教諭の突然の登場で早々に切り上げた。情報はごく少数の関連ファイルだけ。他のものは全く目を引かなかった。ま,必要があれば何度でも侵入できるが。念のためにこの家の電話番号を控えておいたし。

「…聖志ってば!」

いきなりの呼びかけに聖志は振り返った。

「…どうした?」

「どうしたって,傘持ってないの?」

聖志は考えている間に正門の前まで傘を差さずに歩いてきていた。

「あ,ああ。持ってる」

予想していなかった状態に聖志は柄にもなく慌てた。

昨日来た道を戻り,地下街へと入る。午前中のせいか,あまり人は多くない。またも葉麻の先導で一行は駅に辿り着く。

「それじゃ,私はこれで」

───そういえば,彼女はここが地元だ。

「ああ,またな」

森安はポケットから財布を抜きつつ言った。

「佐紀,また明日」

「うん」

───そうだ。あいつに直接会うか。

「もうすぐ来るわよ,聖志も早くして」

改札に入ろうとした舞が,聖志を呼んだ。

「ああ,俺は急用ができたんで先に帰ってくれ」

彼女は聖志の唐突の言葉に特に驚くわけでもなく,

「そうなの? じゃ,行くわね」

と笑顔で答え,構内へと入った。

「ああ。じゃあみんなも」

「じゃあね,先輩」

一行は改札口を抜けて行った。残されたのは聖志と葉麻。

「先輩,急用ってなんですか?」

「ちょっと約束があってね,この辺りに喫茶店ない?」

「えーっと,地下街にありますけど」

「案内してくれるか?」

「ええ,行きましょう」

そんなわけで,再び地下街へ戻ってきた。

さっきより人が増えたようで,店の中も結構混んでいる。

聖志は取りあえず連絡を取らないといけないので,喫茶店から呼び出すつもりでいた。

───落ち着けるところがあればいいが…。

と,少し焦っていたのか,歩くスピードが速めになっていた。葉麻が必死に追いつこうとして早足で進んでくる。

「あ,悪い,早すぎたか」

「先輩,どうしたんですか? やけにこの辺りに詳しいような気がするんですけど」

聖志が先導する形になっていたので,彼女が不思議に思ったのだ。

「俺は何度か来た事があるからな,舞は初めてだったらしいけど」

そう言いながら辺りを見ると,ちょうどよさそうな店が。

「先輩,あのお店,喫茶店です」

「…そうみたいだな,じゃあ入ろう」

「え?」

まさか自分が誘われるとは思っていなかった葉麻は,少し驚いた。

「あの,私今持ち合わせがないので…」

「お礼さ,遠慮するな」

有無を言わさず店に入る。

一番窓よりの席に着く。窓は地下街に面していて人を探しやすい。

聖志は適当なものを頼む。

「久しぶりだな,女の子とこんな所に来るのは」

「そうなんですか?」

「ああ,半年ぶりか…」

「その時の相手って,やっぱり星野先輩ですか?」

「そう」

やっぱりと言ったという事は,答えを予想していたのだろうが,彼女の表情に少し陰りが見えたような気がした。

「星野先輩っていつもああなんですか?」

「へ? ああって?」

意味がほとんど読み取れなかった。

「先輩が,急用だって言ったときに,あんなにあっさりと引いたじゃないですか」

「…ま,あいつは俺の行動が分かってるようだから」

実際,そうとしか考えられない行動を取ったりするのだ。

暫くすると,オーダーが運ばれてきた。聖志は静かにカップを取る。

「いいですね…羨ましい」

彼女は溜め息交じりに言った。

「…どうした? 何か悩みでもあるのか?」

図星だったようで,彼女は机の上の掌を見つめている。

「……実は,最近知らない人から電話が掛かってくるんです」

「知らない人から?」

「はい…」

要するに,イタ電である。

「何時ごろ?」

「…いつも夜10時ごろなんです」

「誰かにそのことを言ったか?」

「…はい,麻由美ちゃんに」

彼女の親友,高倉麻由美である。

「彼女は何て?」

「ほっとけばいいって言うんですけど…一向になくなる気配がなくて」

「どれくらい続いてる?」

「かれこれ5日です」

「5日か。相手は何も喋らないのか?」

「…何か言いかけるんですけど,途中で切れるんです」

───まさか,飛島じゃあるまいな。

「うーん。何分ぐらい続く?」

「そうですね…大体3分前後ですけど…」

大体の行動が飛島のものと一致している。この間,葉麻の事を狙っている風なことも言ってたし。

「分かった,何とかしよう」

「え? ホントですか?」

一体どんな手を使うのかと,聞きたそうな目で言った。

「ああ,効き目は薄いかもしれないが」

「それじゃ,お願いします」

「OK」

そのあと少し喋ってから,彼女は席を立った。遠慮する彼女を後目に,もちろん代金は聖志が持った。

頃合いを見て腕時計を見るとAM11:24。聖志は携帯を取り出し,短縮ダイヤルで藤井を呼び出すことにした。地下では携帯は使えないはずだが,JSDOの改造で通信できるようになっている。

「はい」

「俺だけど。今高津の地下街にいるんだが,出てこれるか?」

「ああ,俺も偶然にも地下街だ」

「場所は五番街っていう喫茶店。一番窓際の席だ」

「OK」

そう言うと,藤井は電話を切ってしまった。

───あいつ,ここの場所分かってんのか?

藤井の地元は聖志と同じである。あまりこの辺には馴染みはないはずである…が,数分もすると藤井が入口に現れた。珍しく,スーツなんぞを着こなしている。

彼は手を軽く挙げて挨拶した。

「今日は決まってるな,スーツ」

「余所行きさ,こんな堅いのは」

藤井は適当に注文し,話を始めた。

「で,収穫はあったか?」

「取りあえずこれを渡しておこう」

聖志は鞄から一枚のフロッピーを手渡した。

「これが,サーバーの情報か」

「ああ,それと,こんなのもあった」

今度はポケットをごそごそ探し,何かを取り出した。黒い,イヤホンのような形だ。

「…最新の盗聴機か。どこで?」

「客間のテーブルの裏。しかしそれ一個とは思えないが」

「そうか…。パソコンは無事か?」

鞄から取り出しかけている聖志に言った。

「さあな…形は変わってないが…」

聖志は嫌な予感がしていた。さっき考えたときに気付いたのだが,森安と高倉が今朝,吉岡に起こされたと言っていたが,どうも不自然だ。いくらエリートとは言え,朝っぱら7:00に,離れの2階を掃除するなどおかしな話だ。

ディスプレイを立て,パソコンの本体の脇にあるスイッチを入れる。

「───あちゃー。やられたな…」

OSに依存するだけのものだが,かなりややこしいウイルスが入れられていた。

「やられたか。お前らしくない」

「ま,本体がいかれたわけじゃないからいいけど」

「それじゃここに来た意味がなくなったな…」

言いながら,腕時計を見る。

「…そういうことだな。俺の部屋に戻るか」

「お邪魔しよう」

藤井はそう言うと,オーダーを半分ほど飲んで慌ただしく立ち上がった。

閑散とした電車に揺られながら待つこと35分。昼間は快速が少ないので普通電車で帰る。

駅から徒歩数分,藤井とともにいつもの部屋に戻り,BGM代わりにテレビを点ける。

「この部屋も久しぶりだな」

玄関で靴を脱ぎながら呟く藤井。

「移動したんだけど」

「それにしても,家具の配置を換えない奴だな」

聖志の住まいは配置が統一されている。この前の部屋も,その前もこの配置だった。

「いちいち変えてたらきりがないし,第一考えるのも面倒だ」

そう言いながら聖志はデスクトップの電源を入れる。

「藤井,それフォーマットだ。それと,さっきのFD」

鞄ごとテーブルの上に置いたノートパソコンを目線で示し,システムディスクを取り出す。藤井はそれと交換に,資料の入ったディスクを聖志に手渡す。

デスクトップに差し込み,資料を一旦コピーする。

聖志は昨日聞いた吉岡のメモを見ながらファイルに付け加える。

「で,問題の資料は?」

「これだ」

聖志は苦心してプロテクトを解いたファイルを示す。実は彼自身もしっかりじっくりと見るのは初めてである。

「…まるで日記だな…」

行頭には日付が書かれており,そのあとに事柄が箇条書きのような形で書かれている。

 

───6月3日午前,JSDO幹部宅襲撃。襲撃は失敗したらしいが,俺には関係ない。全く,能島さんも好きものだ。

───6月5日。結婚式当日。大嶋所長の娘を拉致する予定だったが,どこで計算が狂ったのか,未遂に終わる。その事件に関わった3名,鴇田,相田,山松は逮捕された。本当に殺す気があるのか,疑わしい。

───6月8日。教会に潜伏させておいた若井田からの連絡。どうやら警官を指揮していたのはどうやら学生ぽかったらしい。彼の考えるところでは,中央学院の生徒かもしれないらしい。

───6月9日。2週間ぶりの小倉さんからの電話と思いきや,この間の作戦ミスを私に対して怒っている勢いでべらべらと,小一時間ほど時間をつぶした。

―――6月11日。株の売却金,3億4300万が口座に振り込まれる。

───6月13日。株の売却金,5200万が口座に振り込まれた。

───6月14日。株の売却金,2930万が口座に振り込まれた。

───6月16日。松田電機株式会社倒産。予定通りの運びだ。

───6月19日。靖子からの伝達。学校広報部が来るらしい。生徒の中にあの3人をやった奴がいるという情報もあるらしいから,気を付けるに越した事はない。

───6月20日。中央学院広報部とやらが来た。メンバーは部長星野,森安,葉麻,高倉,西原。この中で怪しいと言えば,西原の行動には要注意。

 

「お前,既に目を付けられてるじゃないか」

そう笑いながら言う藤井。

「すぐにばれる事さ。メンバーの名前が分かってること自体,不思議だとは思わないのか?」

「まあ,そうだな」

「それと,小倉との関係は今も続いているようだな」

「ああ,間違いない」

小倉太朗は現在の文部大臣だ。

「…しかし,教会にいたのが4人だったとはな…。出し抜かれたな…」

聖志は舌打ちをした。

「見落としたのか?」

「いや,あとのことは2人の刑事に任せたからな…」

だが,今更悔やんでも仕方がない。

「…この,松田電機株式会社ってのはなんだ?」

「さあな…長瀬が株を買い占めていたところなんだろうなぁ」

一目瞭然だが,長瀬が株を買い占め,タイミングを見計らって売却したのだ。この価格は予想済みだったと考えた方が自然である。

「おい,そろそろ飯にしないか?」

「おっと,もうそんな時間か」

壁の時計に目をやると,短針は既に2を指していた。

「どこかいい所知ってるか?」

聖志はそう藤井に尋ねた。いい所とはもちろん,飯屋のことである。

「じゃあ,適当なところへいくか。駅前だけどな」

なぜ店屋物を取らないのかは,言うまでもないだろう。

 

―――JR東高崎駅前通り。降ったりやんだりの雨の中を,傘を差さずに歩く。

駅前通りは平日の昼間と言うこともあり,人出はそんなに多くない。

「確か,このあたりにいい所があったんだけど…」

藤井はそう言って辺りをきょろきょろと見回す。

聖志も藤井もこの辺りにはあまり来る機会がないので,地理は分かっていても,どんな店があるのかまでは分からない。

「ここだ」

藤井がそう言って立ち止まったのは,こじんまりした定食屋。小さいものの,外観は落ち着いた雰囲気がある。

聖志達は自然とその店に足を踏み入れた。

穏和な雰囲気の店内を見回し,窓際の席に着く。

「こんな所にこんな店があったとは,灯台もと暗しだな」

「そんなもんさ,世の中なんて」

妙におっさん臭いことを言う藤井。

「いらっしゃいませ,ご注文を」

ウエイトレスがオーダーを取りに来た。

「あ,俺は…」

と藤井が言いかけて,ウエイトレスの顔をじっと見つめる。

それにつられて聖志も彼女の顔を見ると…。

「…もしかして平本か?」

聖志がズバリ言った。

「あ…分かっちゃった?」

彼女はばつの悪そうな顔をした。

「やっぱり,どこかで見た顔だと思ったんだが…」

藤井は顎に手を当ててそう言った。

彼女は肩より少し長いストレートの髪を後ろでまとめて,「軽飯」と刺繍された,ブルーのエプロンをつけている。

「こんなところでバイトしてたのか」

「うん,2ヶ月ほど前から」

彼女はそう言って藤井を伺う。学校ではバイトは禁止なので,教師を目の前にしてどういう顔をしていいか分からないようだ。

一方藤井は特に文句を付けようとはしない。

「平本,おすすめは何だ?」

彼はメニューを置いて彼女に聞いた。

「あ,えっと…今はスタミナ定食がいいですよ。値段も結構安いと思いますし」

「じゃあ,それ」

「俺もそれにしとく」

「スタミナ定食2つですね,少々お待ちください」

そう言うと,彼女は伝票をちぎってテーブルに置き,奥へ引っ込んだ。

「…驚いたな,これは予想外の発見だ」

藤井はそう言いながら,煙草を取り出した。

聖志も同感だった。こんなところで鉢合わせするとは。

「…それにしても,若井田にしてやられたな」

煙草に火をつけ,藤井がつぶやいた。少し声を潜めている。

「要注意人物の中の一人だったからな,ある程度の予想はついたんだが…」

「ま,敵も馬鹿じゃないからな」

「あと,松田電機の件。全然情報がなかった」

透明なグラスに入った水を一口飲んで,聖志が言った。

「そうだな。…本部も情報がなかったんだから,相当な極秘情報だったんだろう」

松田電機株式会社は主に電化製品・電子部品を扱っていた。そろそろ大企業の仲間入りかと思われていた矢先だったのだ。

「…失礼ですが,お客様」

「ん?」

藤井が煙草をくわえたまま,首だけを回す。

「店内は禁煙ですので,どうかお煙草はご遠慮いただきたいのですが」

誰かと思えば,さっきオーダーを取りに来た平本だった。さすがに2ヶ月続けているだけあって,客に対する敬語は完璧だ。

「あ,悪い」

そう言われた彼は,机の端に置かれてあった銀色の灰皿に煙草を擦りつけた。

それを確認すると,先ほどのオーダーをテーブルに並べる。少し大きめの茶碗に盛られた湯気の立つご飯,ナメコ入りの味噌汁,醤油の香り漂う肉じゃが,千切りキャベツと一緒に盛られた挽肉の椎茸和えを,置き方も仕付けられているのだろうか,全く同じ順序で素早く並べた。

「へぇ,慣れたものだな,平本」

藤井は素直に感心する。

「ええ,毎日入ってますから」

「うんうん,社会勉強してるな」

満足そうに頷いてから,一気に定食を平らげる。

「では,ごゆっくり」

「平本,がんばれよ」

去り際に聖志が言った。

「うん,ありがとう」

まるで腹が減って死にそうな感じで,藤井は食べ物を胃の中に詰め込んでいく。聖志はそれを見ながら普通に食べることにした。

「………しかし気になるのは…」

一段落つかせた藤井が,再び喋り始めた。

「長瀬の狙いだな…なぜ,前北を殺さないんだ?」

極秘事項を,声を潜めてはいるが,公共の場で堂々と言っている。

それを聖志が目で制すと,再び黙って食べ始めた。

―――10分後,彼らは店を出ていた。

「しっかし,ホントだよな,何で早く殺らないんだろ」

白昼堂々,物騒なことを2人で話しながら駅前通りを歩く。平日で真っ昼間と言うこともあって,まだ人出は少ない。これがあと4時間遅れていれば,人混みに飲み込まれていただろう。

前北は,何事もなく新婚生活を送っている。ちゃんと学校にも出てきているし,端から見れば特に変わったところなどない。それどころか,変だと見る方が変である。

「どうも,俺の考えは違ったものと見てもいいようだな」

聖志は,自らの説に疑問を抱いた。

「そうか? 俺はまだその考えを捨てることはないと思うが…」

「捨てるとは言ってないな。ただ,信憑性に欠けると思う」

「ま,確証があるわけじゃないからな」

長瀬が彼女を殺さないわけには何らかの理由があるのだろうが,その最たる理由として,警察の動きが鈍足である,ということがあげられる。警察は現在,全くこの事件に手を付けておらず,全然動いていない状態である。

しかし,長瀬がのんびりしていられるのは,どこからか警察の状況が漏れている,と言うことである。警察の情報を盗める人物は,長瀬の周りでは一人しかいない。小倉文相である。

「警視庁もトロいなぁ」

藤井は,直属の上司に当たる警視庁に不満を漏らす。

「世の中ご多忙なんだろう」

そうこう言っていると,聖志のマンションの前に着いた。

「今日は寝る」

藤井はそれだけ言うと,本来の目的も忘れて家の方向に歩き始めた。

聖志は短く挨拶をして自分の部屋に戻った。

―――宮島さんは一体どういうつもりなんだ?

この間会ったばかりなのに,この事件を忘れているわけはあるまい。

―――ま,何か動きがあるまで待つか。

聖志はそう考えた。本来はJSDOの方にまず連絡が来るのだが,それがこないと言うことはおそらく捜査本部も設置されていないのだろう。

エレベーターに乗り,待つこと数十秒。14階に到着。

部屋の前まで来ると,安心感からか,急に睡魔が襲ってきた。丸一日寝ていないことに,今更気づく聖志であった。

―――食べたあと寝ると牛になると言うが…いいか。

部屋に入って無意識にベッドルームまで行くと,倒れ込んだ。

 


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