───6月4日。
「収穫あったな」
放課後。今日は土曜日なので昼までの授業だ。
初夏の日差しを避けて,自分の教室にて,昨日大嶋校医の家に行ったときに借りた資料,吉岡章人の写真,それと大嶋自身に送られてきた招待状を藤井に見せる。
「…ん? 教会になってるな」
招待状を見た藤井はそう呟いた。
「その真相を突き止めないと。そんなわけで,前北さんに真相を聞いてきてくれ」
「え? 聞くのは俺?」
「そう。頼んだ」
聖志はそう言い放つと,席を立った。
「俺はその写真から身元を割り出す。刺客の可能性を調べてみる」
「じゃあそっちは任せた」
「ああ」
聖志は鞄を肩に掛け,PCルームへ向かった。
今日は土曜日なので,自習している生徒が多い。が,聖志はホストを使うので特に問題はない。
ルームの扉を開け,もう当たり前になったホストの席に着く。見たところ自習の生徒は意外に少なく,しかも離れていたので都合がいい。
聖志は早速写真をノートパソコンでスキャンし,画像データとしてホストに移す。
極秘ルートから警視庁内情報網に入り込み,検索する。
───3分経過。
ピコッ。
検索終了を知らせるアラーム。しかし,検索データがない。
“この名前はデータベースに登録されていません。”
───なんで?
このデータベースには住民のデータがすべて書いてある。この中にないという事は,不法入国者か,あるいは役所に登録していないものである。
しかし吉岡は思いっきり日本人名であるし,成人しているので,登録されていないはずはないのだ。不審に思った聖志は直接問い合わせる事にした。
いくらなんでも生徒がいるところで携帯は使えないので,屋上に行く。使い慣れた4階の階段を上がり,屋上に出る。
真昼の日差しが照り付ける中,日陰で携帯を取りだし,本部にかける。
例によってIDを入力し,待つことしばし。
「聖志だな」
「そうです」
「どうした?」
「ある人物の正体を知りたいんですけど…」
「ある人物?」
「ええ,襲われた大嶋の友人の夫にあたる人」
「…なるほど。さっき藤井から聞いた。しかし,警視庁にアクセスすれば見つかるだろう?」
さっきのデータベースである。
「それが,見つからないから尋ねてるんだけど…」
「なんだと? …それはおかしいな…。悪いがそれは警視庁に直接尋ねてくれ」
JSDOのデータは,基本的に警視庁のデータを元にしてるのだ。
「分かりました」
「それと,警視庁のデータは電話じゃ言えないから直接行った方がいい」
「へ? 東京まで行くの?」
「そう。確か,宮島さんとは顔見知りだったな」
「まあ,一応」
宮島とは,日本の警察庁長官である。
「彼に言えば早い。こちらから話しておくから今から出向くといい」
「分かりました」
そういうわけで,聖志は東京まで行くことになった。
「ま,そういうわけで,上京する事になってしまった」
「吉岡は偽名と言うわけか」
「恐らく」
藤井は都合のいいことにまだ学校に残っていた。
「しかし,上京するとはな。学校も休学か」
「いや,そんなことしたら学校側が不審に思うだろう。俺の場合,無断欠席してもただのサボり扱いだからその方が都合がいいのさ」
「なるほど。そこまで計算してたのか?」
「たまたま」
「…やっぱり」
「でも,俺がいない間に前北夫妻の結婚式がなされる。大嶋のガードは頼んだ」
「そうだな。その前に,前北先生のガードだな」
「ああ…だが,大嶋先生だけ別の場所に呼ばれたのは,奴等が彼女を消すためだろ? と言う事は,どちらにも危険が及ぶんじゃないのか?」
「……そうだな…お前,上京するのは明日にしろ。結婚式が終わってから行けばいい」
聖志はぽんと手を鳴らした。
「その手があった。で,結局どこでやるんだ」
「エンパイアホテル。招待状の事は黙っておいたが」
「OK」
───6月5日。
聖志は前もって大嶋にコンタクトをとり,結婚披露宴に行く事にした。場所はもちろんエンパイアホテル。彼女の言うとおり,ほんとに貸切りである。
聖志はおろしたてのグレーのスーツに身を包み,紺のネクタイを締め,念のための防弾チョッキとグロックを装備している。
エンパイアホテルは電車で4つめの駅の近くにある。スーツ姿で電車に乗るのは初めてなので,聖志は柄にもなく緊張を隠せない。
「西原君,こっち!」
駅に着いた途端,自分を呼ぶ声が。
改札を見ると,ピンクのスーツを着た大嶋校医が手を振っていた。
「待たせた?」
「いえ,さっき来たところよ」
「じゃあ行くか」
そう言って2人は駅を出,タクシーでホテルに向かう。
大通りを5分ほど行ったところでホテルが見えてきた。やっぱりでかい。
タクシーを降り,ホテルの入口に立つ。タクシー乗り場もかなり広い。
見上げれば空に吸い込まれそうな高さの白い高層ホテル。敷地面積28q2,部屋数7500,高さは273mと日本では最高級の部類に入る。
ホテルの入口には大きな看板が立てられ,巨大なロビーに出されている掲示板に華々しく結婚披露宴の張り紙が。
「えっと,13階ホールよ。行きましょう」
大嶋は友人の披露宴を見るのが楽しみなのか,声が弾んでいる。
内部地図を見て全てを把握している聖志は,高速エレベーターまで迷わずに行く。
「わあ,すごーい!」
彼女の声に聖志は振り返る。
「…ホントだ」
さすがはエンパイアホテル,エレベーターも手抜きはしない。背面がガラス張りになっており,この町に面している東側の海が一望できる。その手前には白く輝く砂浜。夏はこの海岸に人がいやと言うほど集まって来る。その海岸の北の岬にはこの町のシンボルでもある灯台が立っている。
2分後,エレベーター内の声とともに13階に到着する。
扉が開くと,正面に披露宴会場たる多目的ホールがある。曲線の廊下を暫く歩くと,控室が見えてきた。
「靖子,入るよ」
大嶋校医はノックをして控室に入る。
聖志はその場所を確認すると,部屋には入らずに藤井を探す。
───15階だったか…。
再びエレベーターに乗り,15階を目指す。15階はレストラン街と展望室,ゲームセンターなどが集結している。
「よお,早かったな」
エレベーターの扉が開くと,いきなり彼が立っていた。
「ああ」
2人は展望台へと足を運ぶ。
運のいいことに誰もいない。窓際に長いソファが置かれ,前にはテーブルがある。
少し出っ張った感じの丸いガラス越しに先ほどの海が見える。高所恐怖症の者なら間違いなく引いてしまう。
「大嶋先生は?」
「ああ,前北さんの控室だ」
「そうか」
「今日の参加メンバーは?」
「あ,そうそう」
そう言うと藤井はスーツの内ポケからメモを取り出した。
そこには両家の親,親類,知人友人などが記されていた。が,一際目を引く人物がいた。
「…教頭が来るのか?」
「そうらしい。それと,隣を見てみろ」
───小倉太朗?
「誰だ,これ?」
「知らないのか? 今の文部大臣」
少し得意げに言う藤井。
「へぇー…って,何でそんな偉いさんが?」
「知り合いだそうな」
「…ふーん。つまり,グルなのか?」
「それは断言できないが…関係がないとは言い切れないからな」
「それにしても,人手が足りない」
「大丈夫。ほれ」
藤井が背後を指差す。
「ご無沙汰です,西原さん」
「星野警部!」
ついこの間会ったばかりであるが,今日は上司と部下である。
彼は後ろに私服刑事を2人連れてきている。
「高崎支部での名警部なら,なんとかなるだろ」
「藤井お手柄」
聖志は感心した。
「じゃあ,披露宴会場に潜り込んで,能島英一と小倉太朗の監視を頼む」
「はい」
「それと,だ」
そう言って聖志は藤井に向き直る。
「教会の方は?」
「ああ,内田と長江刑事が行ってる」
「2人だけか?」
「今のところは」
「俺がそっちへ行くから,ここは藤井,任せる」
「OK」
そう言うと,聖志はエレベーターへ向かった。
「勤労青年ですね,彼は。そういうふうに育てたんですか?」
聖志の背中を見ながらの藤井の,何気ない一言。
「いいえ…彼の親の遺伝なのかもしれません」
星野警部はそう呟いた。
教会は東高崎,聖志等の通う学校前の国道を挟んで反対側の地区にある。
屋根の十字架は見えているが,入口は狭い路地を通って国道とは反対側にしかないのだ。白い壁の木造建築だが,築20年は経っている。教会の建物の両側には家1件分の余裕があり,記念写真などを撮ることができる。
「JSDOの西原だ」
「内田です,よろしく」
「長江です」
教会と隣の公園との間の壁で既に突入態勢に入っていた2人に言った。
「2人だけか?」
「ええ」
「相手は恐らく3人です,大丈夫でしょう」
最近刑事に昇格した長江刑事。
「分かった。俺は正面から入るから裏から頼む」
「分かりました」
グロックの調子を見て,聖志は正面入口から堂々と入り込む。大嶋校医が来たと思った連中がパイプオルガンの影から,長椅子の影から様子を伺っているのが分かる。
一歩ずつゆっくりと歩みを進める。潜んでいる敵の息遣いが聞こえそうだ。
「よーし,そこまでだ!」
敵の一人が長椅子の影から姿を現した。拳銃を聖志に突き付けている。
「銃を捨てろ」
と,言った本人の顔を見て,聖志は確信した。
───やはりあの5人もグルだったのか…。
彼は鴇田学。創立以来移動していない5人のうちの一人である。
鴇田の行動を見た残りの2人も銃を突き付けて迫る。
───相田に山松か…。
「大嶋に付いてたボディーガードってのはお前か」
どうやら彼等は聖志が生徒の一人である事に気付いていないらしい。
その会話の間に,両側の窓のところに内田と長江の姿が見えた。
───下手な事は言えないな…。
そう判断した聖志は先制攻撃に移った。
ドゴッ!
もちろん殺すのではなく,手にある拳銃を落とすだけである。
手近の長椅子の影に転び込む。それと同時に内田と長江が攻撃を開始する。
「殺すな,逮捕しろ!」
さながら刑事ドラマのように颯爽と2人をひねり上げた。
聖志はまだ残っている鴇田と交戦中だ。
「どういう目的で大嶋を狙う!?」
敵の銃弾をよけつつ,言った。
ガキィン,バズッ!
「貴様に言う必要はない!」
バリィン!!
流れ弾が窓のステンドグラスを突き破る。
「ちぃっ!」
ドガッ!
パイプオルガン用の椅子を蹴り,鴇田の動きを一瞬だけ封じる。
それに動じた鴇田はバランスを崩し,床に倒れる。それを見逃すはずはない聖志が,鴇田の手を離れた拳銃をより遠くへ蹴り飛ばし,手首を踏みつける。
「長江,手錠を!」
「はい!」
銃刀法違反の現行犯である。
「時間は?」
「11時43分です」
「よし,高崎署に連絡」
「了解」
聖志はそれだけ言うと,すぐさま教会を出た。
携帯で藤井に連絡を取る。
「聖志か?」
「ああ,どうだそっちは?」
「今のところ何もない。そっちは?」
「予想通りこっちが罠だった。犯人は現行犯逮捕」
「OK,じゃあもう帰っていいぞ。こっちはもう式典も終わったから」
「…分かった。じゃ」
そんなわけで,今日は何事もなく終わった。
───6月6日。
聖志は東京へ向かう新幹線の中であった。久しぶりに警視庁に入る事になる。ま,一般人にとってはあまりいい響きではないが。
最初に彼が警視庁に足を踏み入れたのは,星野家を出て3日目のことである。
以前から宮島警察庁長官と顔見知りだったのと,父親がこの組織へ入れたがっていたこともあって,両親を亡くしたときから勧誘されていたが,彼は中学生から働くのは個人的に気が進まなかったったので,高校が決まってから入る事にしていた。
それからは警視庁へ戻る事はなかった。彼は無謀にも宮島長官に直接,なるべく学生らしい生活をさせてくれと頼んだところ,JSDOを紹介してくれた。ここなら目立った行動はしない,と。
しかし,JSDOは極秘捜査機関なので公開はできない。よって情報はどんな親しい人物にも漏らしてはならない。それで,星野家の両親にも一人暮らしの正確な理由を話せなかったのだ。実際,彼の周りで彼の正体を知っているのは藤井と,舞の父親である星野忠志だけである。
───宮島さんに会うのも久しぶりだな。
あの時会った宮島氏は,ただの気のいい中年にしか見えなかったのだが,実際組織へ入ってみるとその存在が大きく拡大されて見える。日本の治安を守る警察の纏め役であると分かったからだ。
ぴりりり…
携帯が鳴る。
「はい」
「聖志か? 私だ」
「え? 宮島さん?」
微かに聞き覚えのある声に,口が勝手に答えた。
「そうだ,久しぶりだな」
「…そうですね,ホントに」
突然の電話に聖志は驚いている。
「東京駅まで行くから,待ってろ」
「え? いいですよ,タクシーで行きますから」
「何を遠慮してる,私と君の仲じゃないか」
「はぁ…」
私と君の仲とは言っても,初日に要請を申し入れた,一度話した仲でしかない。
「分かりました,お言葉に甘えます」
「話が分かるな。じゃあ」
「失礼します」
携帯を切り,考える。
───どういう風の吹き回しか…。
流れる風景を眺めながら鼻で笑った。
東京駅の巨大なエントランスを出ると,タクシーに紛れて白のクラウンが止まっている。
聖志は少し目を細めて中の人物を確認する。
───誰も乗ってない…。
と。
「東京は2回目だな」
不意に肩を叩かれ,聖志は振り返る。
「宮島さん」
数年前に一度だけ見た顔である。
「3年ぶりだな」
「そうですね」
「取りあえず移動するか,乗れ」
「はい」
言われるがままに彼は助手席のドアを開ける。
「あ,西原さん,こんにちは」
後ろの席から女の声が。
「あれ…確か,鍵川警視でしたよね」
流れるロングヘアと細い目をしたなかなかの美人だ。
「ええ,よく覚えていてくれたわね」
「ご無沙汰してます」
「あら,礼儀正しくなったわね」
彼女は上品に微笑んだ。
鍵川警視に会うのも中学生のあの日以来だ。偶然廊下ですれ違い,彼女から挨拶を受けたが無視してしまったのだ。
「あの時は失礼しました,鍵川警視」
「いいえ,気にしてないわ」
「そう,彼女の特徴だ」
運転席に座った宮島が言った。
「小さなことは気にしない,って」
そう言って車を発進させる。
「警視がそれじゃ困るでしょ」
聖志は少し笑いを交えて言った。
───東京都警察本部,警視庁。
全国の犯罪者の敵,同時に日本国民のガードマン。
宮島の運転するクラウンはその車体を警視庁地下の駐車場へと滑り込ませる。
「で,今日はどこへおいでで?」
宮島が車のキーを抜いて言う。
「…企業秘密です」
少し考えたが,あまり関係のない者に言ってもいいものかと迷ったのだ。
「成長したな」
「おかげさまで」
「でも,ほんとにどこへ用があるの? 遊びに来たわけじゃないだろうし」
後ろのシートから出て言う鍵川警視。
「情報部へ」
いくら聖志とはいえども,ハッキングして検索した結果いなかったのだ,とは言えない。
「じゃあ案内してあげる。こっち」
「助かります,じゃあ,宮島さん」
「ああ,また後で」
聖志は鍵川警視について庁舎に入った。
───6月7日。
「あれ? 今日聖志来てないの?」
「うん,何か1週間ほど休むって」
「そうなの…」
聖志の教室での,舞と平本の会話。去年が同じクラスだっただけあって結構仲がいいようだ。
彼の休学が公表されたのは,事前に藤井が担任に言った為である。
「ねぇ,彼と進展あったの?」
聖志の前ではこういうキャラは見せない平本である。
「進展なんてしないわよ。しようとも思わないし」
「どうして?」
「どうしてって…これが一番いい状態だからじゃないのかな」
あまり考えた事のなかった質問である。
「でも,時々家に行ったりするんでしょ?」
「ううん,家知らないもん」
「え,ホント?」
「そうよ」
実際,彼女は聖志の家を知らない。それは聖志が特に教える必要もないと判断したからである。その方が都合のいいことが多いのだ。
「…じゃ,彼作らないの?」
「うーん,分からない。今はあんまり欲しいとも思わないから」
「そうなの。てっきりデキてると思ったんだけど」
少々冷やかしぎみに彼女が言った。
「そう言う京子はどうなの?」
舞からこのような質問が出るのは珍しい。
「わたしは…探してるんだけどねぇ」
「いい人いないの?」
「そうなのよね…」
この平本,実はかの有名な聖志の悪友,飛島謙太郎に一度告白されてたりする。彼に言わせると,理想の像にピッタリはまったのが彼女であったらしい。確かに,平本は世話焼きで,しっかり者である。飛島から見れば,顔もそこそこイケてるらしい。
しかし,彼の健闘虚しく敗戦したのは言うまでもない。この後,飛島からこの話題は出てきていない。聖志も舞もこの事を知ってはいるが,一切口にしていない。
「でも,藤井先生ってなんかいいよね」
「あの化学の?」
「そう。たまに見せる癖とか」
藤井の癖とは,暇になると親指の爪を噛むこと,頭に手を当てて一生懸命考えているように見せる事の2つである。
「…へぇ,ああいうのがいいの?」
「何か守ってあげたいって言うか…」
「なるほどねー」
世話焼きの彼女にしてみれば,いいのかもしれない。
「私が言ってあげようか? 藤井先生に」
「え,まだいいよ,決めたわけじゃないし」
彼女は両手で否定する。
「ふふ,次は化学でしょ,頑張ってね」
舞はそう言い残して教室を去った。