───6月1日。
例によって体育館で全校集会が行われた。校長の話から始まり,プリントが配られ,適当に終わった。校長から大嶋校医の話が出ると,大嶋ファンの皆さんが校長に対して色々な野次を飛ばし,一時集会は中断状態に陥った。これは校長ともども計算違いだったようで,岡田教諭による説得のおかげで鎮圧し,早々と集会は打ち切られた。
「あー,眠かった」
教室に戻った直後の彼の感想である。彼は机に突っ伏しながら考えた。
少々のトラブルはあったものの,犯人が特定できるような材料は全くといっていいほどなかった。
しかし生徒達にとってはショックな話で,学校内にそんな事をする奴がいる,というだけで不安の色は大きくなる。特に女生徒は。
───学校側は選択を誤ったな…。
普通なら職員だけに留めておいて生徒には知らせないところだが,校長の策略により公表された。だが思惑通りには行かず,犯人の可能性が広がるわけではなく,逆に教師の信頼度はがた落ち。学校が揺れはじめたのだ。
と,肩をつつかれた。
「誰?」
彼は突っ伏したまま尋ねた。
「平本だけど…」
それを聞くと,頭を上げた。
「ああ,どうした?」
「前北先生が来てるんだけど…」
「へ!?」
廊下を見ると,手招きしている。
───来たか…。
仕方なく立ち上がり,手招きの方へ向かう。
「西原君ね?」
「ああ」
グレーのスーツに身を包んだ彼女は,身長164pと,聖志とあまり変わらない。典型的なセミロングを少しブラウンに染めている。
「水穂…大嶋先生に聞いたんだけど…」
「その話なら場所を変えた方がいい」
「あ,そうね…じゃあ職員室へ…」
頭の回転の速さに舌を巻いているのか,しどろもどろになる彼女。
「いや,体育館裏がいいんじゃないの?」
「………どうして?」
「職員室には誰がいる?」
「え…今は誰もいないけど…」
「そう。じゃあ体育館裏だな」
そう言って勝手に歩き出す聖志に,黙ってついていく彼女であった。盗聴の可能性を考えての行動である。
結局彼は1時限目の授業を抜けた。
「で,俺にどうして欲しいワケ?」
体育館裏に座り込んで尋ねる。
「と,その前に,その態度とタメ口何とかならないの?」
聖志は彼女が教師であることをすっかり忘れていた。
「何ともならない」
「一応私,教師なのよ」
教師を主張している彼女。
「んで?」
「教師に対しては,敬語を使いなさい」
腕を組んで言った。
───典型的な教師だな。
「俺はそういう教師が嫌いで」
頭を掻きながら言う彼。
「それに,そういう事を言っている場合じゃないだろ」
「あ,そうだったわね。大嶋先生のことだけど」
この際どうでもいいと思ったのか,素早く切り替えた。
「うん」
「何を知ってるの?」
「何って?」
「いいから,知っていることを全部話して」
「知ってることなんて,何もない。ただ,大嶋先生を助け出しただけ」
そう,それだけである。
「嘘をつかないで,犯人も知ってるんでしょ?」
───大嶋さん,余計なことを喋ったな…。
「…大嶋先生が何か言ったの?」
「え?」
何で知っているの? って感じ。
「俺が犯人を知っているとでも?」
「その前に,なぜ大嶋先生が私に話したことを知ってるの?」
少しの疑問も残さないつもりらしい。
「俺が彼女に進言したの」
最も信頼できる人物,それが前北教諭だったのだ。
「え? そうだったの?」
「そうなの。で,大嶋先生が,俺が犯人を知ってるって言ったのか?」
多少苛つきながらも尋ねる。
「…ええ,多分教頭先生が犯人じゃないかって…」
「…」
沈黙を肯定と受け止めたのか,驚いたように彼女は,
「じゃあ,教頭先生なの?」
声を潜めて言う。
「ホントに教頭だと思ってるの?」
「そうじゃないの?」
確信を持って言う彼女。
「ふ,そうか」
実は聖志は,大嶋先生には教頭の名前を出していないのだ。教頭の名前が出てきたのは,前北教諭による私情を挟んだ推測だ。つまり,少なくとも教師の間では教頭の評判は良くないということである。
「ま,やりそうだし」
彼はカマをかけてみた。
「やっぱりそう思う? それに教頭先生,この学校と何かあるらしいわよ」
聖志の隣に座り,声を一段と潜めて言う。
「何か?」
「この学校の創立に関わっているとか…」
「創立って9年前だろ?」
何気に聞いてみる。
「ああ,それは新校舎でしょ。実際の創立からは26年前。それでも結構新しいけどね」
「26年前?」
「そう。その時から今まで,教頭先生と校長先生はこの学校を離れたことがないのよ」
───26年前からだって? 初耳だな。
「それで?」
「それでね…」
と言いかけたとき,
キーンコーン…
頭の上でチャイムが鳴った。
慌てて時計を見ると,1時限目が終了した。
「あ。あたし,次の時間授業あったんだ」
「じゃ,また今度」
「それじゃね」
そう言い残すと,彼女は走っていった。
───意外な情報が入ったな。
彼にしてみればかなりいい情報である。1時限目を割いてまで来た甲斐があったというものだ。
2時限目は化学で,藤井の授業である。教諭というだけあって,確かに化学のことはよく知っているようだ。
聖志はいつものようにパソコンを開いてさっきの情報を入力する。藤井は注意するものの,パソコンを取り上げることはしない。それはほかの生徒に対しても同様で,授業に必要ない物でも,不必要に取り上げはしない。だが,試験は半端じゃない難しさで,生徒にはウケがよくない。
───しかし,前北さんはどっからあの情報を手に入れたんだ?
職員の間では常識なのかもしれない。しかし,JSDOの情報になかったということは,そんなに知られていないのかもしれない。
聖志が気がつくと,授業は終了していた。なんだか今日は考えることがいっぱいあったので身が入らない。いつも入っているとはいえないが。
「どうしたの? 今日は妙に上の空ね」
急に声をかけられ,振り返る聖志。
「何だ,お前か」
いつのまにか後ろに立っている舞。めったに聖志の後ろを取れることはないのだが。
「何だはないでしょ。今日は広報部の会議よ,放課後は会議室ね」
───部長の独断というやつか。
「俺も出るのか?」
そう言うと,舞は呆れ顔になり,
「当たり前でしょ」
「悪いけど,今日は出れるか分からん」
「どうして?」
「ヤボ用で…」
そう言って机に突っ伏す。
「…疲れてんの?」
「そう見えるか?」
「…ちょっとね」
舞は気遣わしげに聖志の顔をうかがう。
「ま,そんなわけだ」
「じゃ,仕方ないね」
特に追求するわけでもなく,彼女は言った。
「悪いな,また」
「そうね」
「そんなのは俺も初耳だ。誰から?」
「前北さん」
「ああ,彼女か」
初夏の昼下がり,彼は煙草を吹かして思い出すように言った。
日陰のそよ風に吹かれながら聖志は買ってきたパンにかぶりつく。彼等は体育館横の階段に中学生の不良のように座り込んで話している。教師と生徒にはまるで見えない。
「お前,前北先生は苦手だろ」
藤井は煙草の灰を落とし,そう言った。
「ああ」
「どっちかと言うと好きなのは大嶋先生か?」
「そうだな」
「しかし,大嶋先生の友人は性格がまるで反対だな」
「そんなもんじゃないのか,友達って?」
妙に悟った言い方をする聖志。
「そうなのか?」
「知らん。でも,また俺が指名されたらどうしよう」
わざわざ教室まで来てくれるあたり,相当聖志の持っている情報が欲しいんだろう。
「でも,前北先生からは目を離さない方がいい」
「ああ,どうなるかわからないからな」
積極的に動いているので,犯人に目をつけられやすいのだ。
「しかし,今にして思えば,何で大嶋先生が襲われたんだ?」
「ああ,俺もそれは疑問。でも,危険を冒してまで襲う価値があったんだろう」
危険とは,学校を揺るがすことになっても,と言う意味だ。
「教頭がか?」
「恐らく。だって,あんなもんが出てきたんだぞ」
何日か前に,藤井に渡した大嶋の(と思われる)画像のことである。
「そういえば,校長のは調べてないのか?」
「あ,やってない」
「じゃ,放課後PCルームだな」
そう言うと藤井は立ち上がり,お尻をパンパンと叩く。
「OK,んじゃ」
───放課後。予定通り,聖志はPCルームへ向かった。
廊下を歩きながら窓の外を見ると,今までいい天気だったのが一変し,真っ黒い雨雲が空を覆い,大粒の雨を降らせていた。
───傘がないぞ…。
どうでもいいことを考えながら,一層暗くなった廊下を再び歩き出した。
「あ,先輩」
と,偶然かどうか分からないが,葉麻が後ろに現れた。
「おっす。今日も自習か?」
「はい」
と言う彼女の後ろに,もう一つ人影が見えた。おなじみ,高倉だ。
「こんちは」
彼女の挨拶に軽く返す。
「あ。今日は召集があるって,部長閣下が言ってたぞ」
「え? 私たち,そんな事聞いてませんよ?」
「あ,そう」
どうやら召集は延期されたらしい。
「行かなくていいんですか?」
葉麻の質問。
「ああ,延期したんだろ」
「先輩って部長のこと何でも分かるみたい」
さも当然の如く言う彼に,葉麻が何気なく言った。それに高倉が悪乗り。
「もしかしてー,付き合ってるんですか?」
「…そうだな,かれこれ17年になるかな」
『へぇーっ』
これには驚いた2人。
「でも,幼馴染みって恋人にはなれないって言いますよ」
恋愛の話が好きな高倉。
「別にならんでもいい」
軽く受け流すと,彼は部屋のドアを開けた。
───ん?
「真っ暗…」
葉麻の呟き。
───藤井,いないのか。
そう思って部屋に入るなり,
「がおーっ!!」
『きゃあっ!』
死角からいきなり飛び出てきたのは藤井。まるで遊園地のお化け屋敷ののりだ。
「はは…驚いた?」
「藤井先生!」
悲鳴を上げた彼女等が安堵の笑みを浮かべる。
「全く,何してんだか…」
微動だにしなかった聖志が呆れて言う。
「お前,遅いじゃないか! 20分も待ったぞ!」
顔を突き出して文句を言う彼。
「悪いな,寝てたもんで」
「またか…」
聖志はいつものようにホストの前に座る。彼女等もいつものところに陣取る。
「先生と待ち合わせてたなんて,先輩,実はヤバいんじゃないの?」
高倉の冗談が入る。
「いやぁ,じつはそーなんだよねー」
「アホか! んなわけないだろ!」
聖志は馬鹿面を作って軽く言うが,しかし藤井は声を張って反論する。彼は自分がホモ呼ばわりされるのが大嫌いらしい。
「冗談だよ,先生」
分かりきったことを彼女自身が言う。
「でも,先輩と先生ってよくここで一緒にいるよね?」
葉麻の素朴な疑問。
「こいつはあ,C科学の成績が悪すぎて,いつも補習してるんだ」
藤井がこれ見よがしに言う。しかも言い方が力一杯なので,妙に嘘っぽく聞こえる。
そんな雑談をしながらも,聖志は確実にLAN上の校長のディレクトリに到達する。
クリック。
“パスワードを入力してください。”
───ちっ。
「藤井せんせー,わかんないところがあるんですがー」
聖志はわざとらしく,間の抜けた声で言った。
「お前も馬鹿だな,それぐらい…」
言いかけたが,パスワードプロテクトを見て沈黙し,考えた。
「…分からん」
「役立たずめ…」
聖志はぼそっと呟いて,自分の鞄からパソコンを取り出し,ホストと繋ぐ。
プロテクトを解除して内容を見る。が,それらしきものは見当たらない。
「ないな」
「…そうみたいだな」
藤井も覗き込む。
「なにが?」
向こうの方で高倉が尋ねた。
『期末テストの答え』
偶然にも藤井と聖志の答えが一致した。
「2人して,何してんの…」
さすがにこれには呆れた様子。しかし,うまくごまかせた。
聖志はディスプレイのスイッチを切り,廊下に出る。もちろん藤井も付いてくる。
「やっぱりな」
聖志の予想は当たった。
「ということは,後は物的証拠だな」
「そう」
「しかし,大嶋先生を襲う動機がな…」
動機,つまり大嶋を襲う理由である。
「ま,おいおい分かるだろ。前北からもコンタクトあるだろうし」
「…しかし,早い方がいいぞ。下手すれば,殺られる可能性も…」
「ああ,分かってる」
「経歴のファイルがあればいいんだけどな…」
藤井が呟く。
「そういや,あったかも」
急に思い出した聖志は部屋に戻った。
ディスプレイのスイッチを入れ,教頭のディレクトリを見る。
───あれ?
「バカな…」
「確かにあったのか?」
「ああ」
───移動されたか。
「ま,道は険しいね」
「そうみたいだな」
そう言ってホストの電源を切り,鞄から携帯を取り出し,また廊下へ向かう。
窓の外を見ると一段と雨が強くなっている。時々稲妻が走るが,そんなに近くはない。
聖志は短縮ダイヤルを使い,本部へかける。
「はい,こちらはJSDOです。あなたのIDを入力してください」
コンピュータの機械的な声が聞こえる。
自分のIDを押すと,本部長につながった。
「聖志か。何か分かったか?」
「ああ,それも結構いいことが」
聖志は創立が26年前であることを話し,校長と教頭が関わっていること,後,大嶋の事件のことを話した。
「そんな情報があったのか。出所は?」
「前北教諭」
「直接聞いたのか?」
「ああ。それと,大嶋校医を襲った動機について,調べてもらえませんか」
「分かった。では」
事務的な作業を終え,電話を切った。
ゴゴゴゴゴ…
向こうの方で雷が鳴った。
───そろそろ梅雨か…?。
「聖志,そろそろ閉めるぞ」
後ろから声をかける藤井。
「もう閉めるのか? まだ6時だけど」
とは言え,雨雲のせいでもう夜の暗さだ。
「ああ,職員の方で警戒命令さ」
「なるほどな」
この命令を出したのは恐らく教頭である。
───襲った本人が言ってりゃ世話ないけど。
「しかしどうする? この雨じゃあな…」
「気にするな,お前の家は近いんだろ?」
「近いっても10分かかる」
「何とかなるだろ」
そう言っているうちに,葉麻と高倉が出てきた。
「じゃあ先輩,先生,お先に」
「さようなら」
「じゃあ」
「気をつけてな」
彼女等を見送ると,聖志も荷物をまとめる。
「取りあえず降りよう」
「そうだな」
と,部屋の鍵を閉めると同時に,フッと照明がすべて消えてしまった。
「あれ?」
「停電か。変電所に落ちたか?」
「ま,支障ないさ。行こう」
とは言ったものの照明がないと階段などは辛い。
「ホント真っ暗だな…」
たまに光る稲妻を頼りに階段を降りる。
稲妻が光るたびに下の階で悲鳴が起きる。多分葉麻と高倉のコンビだろう。
「聖志,どこだ?」
藤井の声が階段の上から聞こえる。
「多分下」
「おい,俺の手を取る気はないか?」
「ない」
彼は即答して階段を一段降りる…と,足の下に丸い感触が。
───なに!?
そう思った瞬間,天と地が入れ替わった感覚。
ガダンガダン,バン!
「あぐっ!」
階段から転げ落ち,おまけに階段の正面にあった消火栓の赤い入れ物に頭をぶつける。
「どうした? 死んだか?」
上から藤井の声が飛ぶ。聖志の耳はガンガン言ってる。
───俺は何を踏んだ?
痛む後頭部を押さえながら目を開ける。下から4段目の段には,何やら白いものが。
「何だ? ヌイグルミか?」
上から降りてきた藤井が取る。小さめのマスコットだ。
「お前,こんなの持ってたのか?」
「欲しいけど持ってない」
「誰かが落としたのか…」
聖志のいつものボケを流し,藤井が言った。
「あ,それ,私のです」
下から駆け上がってきたのは葉麻であった。黒い布袋につけてあったものだろう。
「そうか。はい…って,ちょっと汚れてるな。そうか,誰かさんが踏んだんだっけ」
藤井はバカにするように聖志を見た。
「え…?」
葉麻は藤井の視線を追う。その先には頭の後ろを押さえている聖志が。
「え,もしかして落ちたんですか!?」
慌てて聖志の側に駆け寄る葉麻。
「いやぁ,あんな所に…地雷を仕掛けるとは」
まだ痛むのか,後頭部を摩る。
「だ,大丈夫ですか? すみませんでした,先輩!」
深く頭を下げる葉麻を聖志は制した。
「ああ。気にするな」
そう言って立ち上がり,投げ出した鞄をとる。彼の鞄には緩衝材が入っているので,中のパソコンは大丈夫のはず。
「でも…」
「大丈夫」
「あーあ,このマスコットも痛んでる」
藤井も寄ってきて言った。
「あ,それ…」
見るも無残な姿になっている。
「これって確か,見たことある。今度買ってくるから」
聖志は藤井から引っ手繰り,そう言った。
「いいんですよ,私が落として,先輩も落ちたんですし…」
「上手いっ!」
「え?」
いきなり藤井が言ったので彼女は驚いた。
「いいさ,今度買ってくる」
「あ,でも…」
「取りあえず降りよう,高倉もいるんだろ?」
藤井がそう言ってこの場は締めくくられた。