「そんな事があったのか」
深夜の公園。時計の針は0:00を指している。あの後聖志が藤井をこの公園に呼び出し,緊急報告をしている。
「ああ,恐らく大嶋を拉致したのは教頭だ」
「…なんで?」
「ああ,これ」
そう言って例の画像の入ったFDを手渡す。
「それが証拠となる可能性があるもの」
受け取ったFDをノートパソコンに入れる。
「おおっ! でかした,聖志!」
画像を見て思わず本音が出る藤井。
「…そうじゃなくて」
「ああ,そうだな。確かに,大嶋先生にそっくりだ」
「それに,背景に写っている噴水」
「…なるほど。これは確か中庭だな」
「恐らく。しかも,都合のいいことに時計も写ってたりする」
そう言って写真を指差す。
「ホントだ…7:35あたりかな」
「ああ」
もちろん夜の時刻である。
「それで,これはどこから?」
「教頭のディレクトリから出てきた。第1発見者は広報部の高倉だ」
「高倉が?」
意外な人物に,藤井も驚いた様子。
「ああ,偶然と思うけど,LANで発見した」
「口止めは?」
「一応したけど。あ,それから,資金横領の件も生徒の間の噂になってるらしい」
「なんだって?」
またもや心底驚いた様子。
「出所は?」
「高倉が言うには,1年F組田中伸治。多分火元じゃないと思うけど」
「うーん,これにはどう対処するか…」
「本部長に聞けば?」
「あ,そうだな,それが正確か…しかし,肝心の物的証拠がない」
「そのあたりはまた日を改めて」
「そうだな,じゃあ帰るか」
2人はそう言ってそれぞれの家に帰った。
───5月31日。
「今日は都合により3時限目からの授業なんだって」
早朝,平本からの連絡があった。恐らく緊急の職員会議なのだろう。
「分かった。サンキュー,平本」
「じゃあ」
聖志は特別な任務はなかったので3時限目までゆっくりすることにした。会議での録音は藤井の担当である。もちろん映像も撮っている。
しかし特にすることもなかったのでやっぱり学校へ行くことにした。
いつものようにコンピュータの本を読みながら学校に到着。正門前はシンと静まり返っている。しかし,正門から右手に見える会議室のカーテンが全て閉まっている。
聖志はPCルームへ直行する。ホストコンピュータから,会議室の中のカメラを通して見ることができる。
半ば急ぎ足で西校舎の3階へ上がる。
廊下を走り,PCルームの扉の前に立ち,合鍵を取り出そうとすると,
───開いてる?
少し隙間が空いているのだ。
聖志は少し躊躇ったが,ドアを開けた。
朝日の差し込むPCルームは,新鮮な感じがあった。この部屋独特の匂いが鼻を突く。
しかし,予想に反して人の姿はない。が,パソコンが一台起動している。その机には教科書と筆記用具が置かれている。
彼はほっと一息ついて,教壇にあるホストコンピュータの前に座る。
下にある本体のスイッチを入れ,起動する。その間に部屋の南側にある窓を開けると,朝のひんやりした風が顔を撫でた。
───ぴこっ
起動音が鳴ると,彼はコンピュータの前に座った。
校内カメラを使用するためのツールを使うと,パスワード入力画面に変わる。鞄からノートパソコンを取り出し,ケーブルでホストに繋いで解除プログラムを使う。彼に掛かれば学校のパスワードなど大した事はない。数秒すると解除確認され,使用可能となった。
校内カメラは各階の廊下と,会議室,食堂,体育館に設置されている。設置されているものの,使ったことはほとんどない。何と勿体ないことか。
彼は会議室のカメラを選び,画面に出す。ちなみに音声も出せる。さすがにテレビカメラほどの高画質は望めないが,取りあえず部屋の様子は分かる。彼は念のためにノートパソコンにその映像と音声を録画する。
───と!
「あれ? 先輩じゃないですか!」
「え?」
突然だったので素の返事をした。
「葉麻か,早いな」
「はい,何か面白くて」
にこにこして言う彼女。朝早く来て予習までするあたり,本当にコンピュータが面白いと感じているようだ。
「いいことだ」
「先輩は何してるんですか?」
そう言いながらホストの方へ来る。聖志は慌ててウインドウを最小化し,ワープロを起動する。
「宿題」
「あ,そういえば私もあったんだ」
適当な返事に彼女も偶然思い出したように,自分が使っているパソコンの前に座る。それを確認すると聖志はほっとして再びカメラビューに変える。
全職員が長い机を並べて四角い輪を作り,その外側に教師が座るという定番の会議スタイルだ。
会話を聞かなければ意味がないので,持ってきたヘッドフォンをかぶり,ピンジャックに端子を差し込む。すると,微かに会話が聞こえてきた。
───これじゃ話にならん。
声は聞こえるが,ホントに微かにしか聞こえないのだ。仕方がないので会議室に直接マイクを仕掛けに行くことにした。念のためにディスプレイのスイッチを切る。
所々に用務員がいたが,取りあえずは誰にも見つかることなく会議室の角まで来ることができた。
聖志は用心気味に会議室のドアの隅にマイクを仕掛ける。盗聴などに用いられる超小型のマイクである。仕掛けると取りあえずPCルームに戻った。
葉麻はまだ熱心に勉強している。できるだけ邪魔をしないようにホストまで行って,ヘッドフォンをする。今度は誰の声かが分かるくらいによく聞こえてきた。
「本当にそんな事をした人がいたのですか?」
校長の声。モニターと合わせて見ているので,誰が喋っているか分かる。
「本当です,信じてください!」
昨日助けた大嶋が必死に訴える。
「しかし,そんなことがあれば気づいた人も居るでしょう」
「誰か証人か,あるいは証拠がないのかね?」
次々にまくしたてられる大嶋。
「単なる被害妄想じゃないのかね?」
これは教頭の声。
「待ってください」
大嶋の味方が現れたらしい。
「彼女がなにもなしにこんな事を言うとも思えません。ここは一つ,警察に調べてもらった方が…」
「何を言っているのかね,君は! 確固たる証拠もなしに,警察沙汰にしようというのか!」
校長の怒鳴り。
一瞬会議室が静まり返る。
「…しかし,このまま放っておくわけにも行きません。全校集会を開いてこの事について徹底的に洗い出しましょう」
3年生学年主任の岡田隆生教諭。生徒の進路の相談役としてみんなに信頼されている,ベテランの教師である。
「その方がよさそうですな」
「ちょっと待ってください,そんなことでいいんですか?」
校長の一言に反応したのは,大嶋とは大学時代の友人の前北靖子教諭。1年生の生物を担当している。
「彼女が嘘なんか付くわけありません。この中に彼女を襲った犯人が居るはずです」
「何を言うんだ君は,何も教師がやったという証拠がないではないか!」
「証人ならいます」
前北教諭の予想せぬ言葉に,教頭と校長が一瞬表情を変えた。
「靖子!」
その言葉を制するように大嶋が言った。
「あ…」
「その証人とは誰だね?」
落ち着いている岡田教諭の言葉。
「あ…いえ……何でもありません」
友人の言葉に冷静さを取り戻した彼女は失言に俯いた。
「困ったものですな,確信もないような言葉を吐くとは」
一瞬ヒヤッとした教頭が反撃するようにそう言った。
「では,明日全校集会を開くことでいいですね」
岡田教諭の言葉で会議は締めくくられた。
大嶋と友人の前北教諭は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
かくて,3時限目の授業が始まった。
いつもはうるさいぐらいに声を張る置田だが,今日はプリントを配り,その後は自習同然の授業になっていた。恐らく今回の事件が頭を離れないのだろう。
当然の如くプリントなどするはずがない聖志は,つい1時間前の会議のことを考えていた。
出席者は職員全員。その中でもよく喋っていたのが校長,教頭,岡田,そして大嶋とその友人前北。資料によれば彼女等は岡山大学時代の同級生で,学部は違ったもののサークルで知り合った仲である。あの後,彼女が全てを話した相手は前北に間違いないであろう。
あのときの校長と教頭の口調からすると,明らかに焦っていた様子が伺える。警察沙汰になるのを極端に嫌っていたし,前北教諭が,証人がいると言ったときには明らかに動揺の色が見えた。そりゃ友人が目の前でいたぶられているのを見て,黙っている友人はいないだろう。
岡田教諭は裁判官的な立場に立っていた。非常に落ち着いた教師で,この学校に赴任したのは2年前,ちょうど聖志たち2年生が入学したときだった。偶然にも1年のときに担任になり,結構会話を交わした覚えがある。彼こそ公正な裁判官に向いていると思ったこともある。彼の発言によると,明日全校集会が行われるそうだ。
───さて,藤井の生の声も聞いておかないとな。
そう考えると,彼は頭を突っ伏した。
───昼休み。ちょうどだれもいない時間なので,例によってパソコンを立ち上げて,今朝記録した会議の様子を見る。会議室自体には特に変化はない。誰かが盗み聞きしているとか,凶器を隠し持っているとか。
カメラアングルはちょうど真上から撮っている。部屋の南側に大嶋,前北。西側に校長,北側に教頭,東側に岡田の配置である。
教頭は偉そうに大嶋に指を突きつけてべらべらと戯言を並べている。ま,実際に偉いんだろうけど。
それを見ている周りの教師は,校長を除いて心なしか少し苛ついているようだ。誰に対してかは分からないが。
校長は腕を組んで考えている…ふりをしているだけであろう。犯人がいつばれるかと心配しているのかもしれない。
岡田教諭は何かメモっている。まるで本物の裁判官のようだ。
大嶋はしきりと前北の方を見ながら何かを求めるような顔をしている。頼られた友人は励ますような顔をしている。
肝心の藤井は端っこの方で岡田と同じようにメモっている。ちゃんと仕事はしているようだ。
───何もないな…。
会議を見ていても全く何もない。
───ま,直接聞いた方がいいか。
そう思ってパソコンの電源を切った。
「聖志ー!」
と,良すぎるタイミングで舞が来た。彼は素早くパソコンを鞄に入れる。
「どうした?」
「ふふーん」
何やらニヤついている。
───また何か企んでるな…。
「ほら!」
と,後ろ手から出したのは中間考査の答案用紙。数学らしい。
「で?」
「ほら,これこれ!」
指先を見ると,100と書いてあった。
「ふーん。100点か」
「…」
───しばしの沈黙。
「…ふーんって,それだけ?」
何か言って欲しそうだ。
「うーん…凄いな」
最初の唸りは考え込んだだけ。
「何よ,それ。わざわざ考えないとわかんないの?」
少しすね気味に言う。
「って言ってもなぁ。あんまり興味ないし…」
「ないし?」
「お前いつもいい成績だし,たかが2点変わったのを見せられてもなぁ」
そう,3ヶ月前にも1年学期末テストを見せられた。そのときは98点だったのだ。
「…あ,そういうふうに思ってくれてるんだ」
「嫌か?」
「ううん。ただ,聖志が私のことに興味ないのかなって…」
彼女の言う興味とは,成績に関してである。
「興味ないと言うよりは…差があり過ぎて追いつけないと言った方がいい」
「そうなの。よかった」
彼女は微笑んだ。彼女がこれだけ成績にこだわる理由を聖志は知っている。小学生のときなど,彼女より聖志の方がいい成績だったので,彼女が親にとやかく言われているのをずっと見てきたからである。その反動が今まで来ているのだ。
聖志に気安く呼びかけことができる彼女は,彼とは本当に幼馴染みで,7歳当時から同じ場所で育った。近所同士だった星野家に養子に出された聖志は,彼女の家の2階を借り切っていたが,中学3年になると,両親の生命保険を使って一人暮らしを始めた。彼女には本当の理由を話していない。ただ,彼女の両親に迷惑をかけるわけにはいかない,とだけ言った。
しかし高校までも同じになり,17年経った今も彼女との縁は途切れることはない。2人の関係は恋人になるわけでもなく,疎遠になるわけでもなく,全くの平行線を保っている。少なくとも今は。巷では聖志と舞ができていると噂が絶えないが。
舞は結構可愛いと男子には好評で,友人も結構いるらしい。付き合ってくれとも何回か言われたらしいが,全て断ったと言っているし,実際にそうである。
「で,それだけ?」
「えっと…うん」
数学の答案用紙を折り畳み,答えた。
「なんだよそれ」
「いいじゃない」
「どうせ暇だったんだろ」
「暇じゃないわよ,お昼の時間割いてきたんだから…あ,お昼食べないと」
「とっとと食ってこい」
「ね,ここで食べていい?」
とんでもないことを言った。
「俺はこれから職員室に用がある」
「じゃあ帰ってきてから」
「帰ってこないから」
「えー」
また拗ねる。
「だから,早く帰れ」
「…分かったわよ,帰りますー」
口を尖らして言う。
「そうしろ。んじゃ」
そう言い放って職員室へと向かった。
職員室前まで来ると,妙な張り紙を発見した。
“職員以外立入禁止”
───ついにやったか。
そう思っていると,後ろから声をかけられた。
「あれ,西原じゃないか」
「あ,こんにちは」
去年担任だった岡田教諭である。
「職員室に何か用があるのかね?」
「はい,藤井先生を呼んでください」
「ああ,分かった」
待つこと2分。
───あれ?
さっき入った岡田教諭が現れた。
「藤井先生は今,外出中だ」
「そうですか」
───あのやろう。
「何か伝えることはあるか?」
「あ,西原が来たとだけ,伝えてください」
「分かった」
「で,詳細は?」
PM6:50,中庭である。聖志が利用している例の場所での会話。
「ああ,これ」
話すのが面倒くさいのか,会議の最中に書いたメモを手渡す。
それには会話はもちろん,こと細かく各人の仕草や表情の変化が書き込まれている。
「よくこれだけのことをあの時間にやったな」
「ああ,何回か録画も見たけど」
会議開始時間はAM9:30,終了時間はAM10:19,会議時間は49分25秒である。このうち会話が続いていたのは37分19秒。実際は見かけほど会議になっていないものが多いが,この会議は別だったようである。
「しかし…教頭と校長のリアクションが結構多いな」
「ああ。お前が睨んだ通り,彼等が怪しいな」
「しかし,証拠がないと」
「そうなんだよな…」
背中を壁に預けて伸びをする藤井。
「明日は集会で何を言われるんだ?」
聖志は疑問だったことを尋ねた。
「さあな…教頭は恐らく生徒に濡れ衣を着せるつもりだ。犯人の可能性を拡大して迷宮入りにさせるのかもしれない」
「既に迷宮入りだってのに…」
同時にため息を吐く彼等。
「大嶋先生もいい迷惑だよな…」
聖志の感想である。
「…友人たる前北先生も奮闘したんだが,やっぱり新人だからな」
「……この際,応援を頼めないかな?」
諦め気味に聖志が言った。
「誰にだ?」
半ば適当に言った言葉に,真剣な顔をして尋ね返す彼。
「そうだな…俺が信頼できるのは岡田さんかな…」
「ああ,彼なら…いや,何を言ってる。JSDOが黙っていないだろ」
乗りかけた藤井が正気に戻る。
「…じゃ,明日から本格的に調査だな」
「ああ」
そう言うと,2人はそれぞれに帰った。