───PM1:13。
聖志は取りあえず焼け付くような車に乗り込み,クーラーを全開でかける。
───次は葉麻の件か。
サテラシステム株式会社の件について本人に訊いてみたいところだが,恐らく本人は会社へ行っているだろう。そこで社長令嬢である葉麻佐紀から情報提供をして貰わなければならない。
───さて,どうやって何処へ誘えばいいんだ?
彼女の家に直接車で行くのはまずい。かといって彼女の家を知るはずがない聖志がいきなりインターホンを押すのもどうかと思う。
いい考えが思い浮かばないまま,車を高津駅方面へ向かわせる。駅前の立体駐車場に車を停め,高津駅から地下街へ入る。最初に前北を訪ねたときに通ったところだ。
取りあえず腹ごしらえを,と辺りを見ると最初に来たときに入った喫茶店を見つけた。昼時ということでかなりどの店も混んでいるが,その店は何故か空いて見えた。
「いらっしゃいませ,こちらへどうぞ」
店に入って案内されると,いつぞやの窓際の席に案内された。
聖志はサンドイッチセットを頼むと,一息付いて周りを見渡した。やはり昼なので客は多いが,その中に顔見知りがいた。
「高倉!」
通路を挟んで向かい側の席にいた彼女に声をかける。
「え? …あ,先輩!」
彼女は驚いて振り向く。と同時に振り向いたのは,今回のターゲット,葉麻だった。
「先輩,どうしたんですか?」
「ちょっと近くまで来たから」
彼女等は食べかけのパフェを持って聖志の向かい側に座る。
「先輩,今日は一人?」
「ああ。休みだし,たまには」
聖志は適当な答えを返す。
「先輩,学校に行ってみた?」
「いや。何かあるのか?」
「うん,この間様子を見てきたんだけど,もうマスコミのカメラがいっぱい」
高倉は何故か嬉しそうに言う。
「この分じゃ,当分学校は休みだね。試験も流れるかも」
「そんなに都合よくいくかなぁ」
「いくかも知れないじゃん。あの球技大会だって,結局なくなったんだし」
「…そういえばそうね。今回は出来れば流れてほしいけど…」
みんな考えることは同じようだ。
「…ところで先輩,何で学校が休みになったの?」
「麻由美,昨日の新聞見なかったの?」
さすが社長令嬢,朝刊は取りあえず目を通すらしい。
「え? 何か載ってたの?」
「…若井田が犯罪を犯したのさ」
聖志は運ばれてきたトレーを受け取りながらそう言った。
「若井田先生が?」
「ああ」
「何したの?」
高倉は全く新聞を見てないようだ。
「この間,誘拐事件があって,その犯人ということだ」
宇部誘拐事件の主犯である。
「へーぇ。それで,いつまで休みなのかな?」
「それは知らない。教師達が答えといえるものを公表するまでだな」
サンドイッチを食べながら言った。
「私のお母さんも忙しいみたい。色々先生達に聞いてるみたいだけど」
「そういえば佐紀のお母さんってPTAの副会長さんだっけ」
「…そうなのか,葉麻?」
「はい。最近は特に忙しいみたいで,帰ってくるのが夜遅くになったりするんです」
「…お父さんは帰ってこないのか?」
聖志は話の糸口を見つけた。
「父は単身赴任中です」
「何て会社へ?」
「えっと…何か長い名前だったような気がするんだけど…」
彼女は考える。聖志の口から言うわけにはいかないので,思い出して貰わないと厄介だ。
「あたし知ってる。サテラシステム」
何故か高倉の口からその名前が出た。
「あ,でもそれは前の会社。今は違うの」
「…前の会社ってことは,転職したのか?」
ごく普通の疑問を投げかける。
「あ,そういうことじゃなくて…社名が変わっただけ」
「そういうことか」
聖志は納得した。葉麻隆文は確かにサテラシステムに所属している。しかし現在は日本コンピュータシステムという名前に変わっているのだ。
この問題が解決すると,考古学研究所の設計主任者は自動的に葉麻隆文ということになる。つまり,あのコンピュータに侵入した者と共謀している可能性が出てきたのだ。
───協力しているのは一体誰だ?
最悪のケースは葉麻隆文と教頭の共謀である。あのシステムを全て知っている葉麻と,研究所の情報を欲している教頭の利害関係が一致してしまうと確かにあの状況になり得るのだ。
しかし,葉麻隆文は何故そこまでしたのか。果たして彼等の利害関係が一致することがあるのだろうか。教頭としては研究所の情報を得られるならば利益があるが,葉麻にしてみればそんなことに協力するのは犯罪の片棒を担ぐだけである。例えそれで教頭からの分け前なりを貰えば利益は得られるが,普通のサラリーマンならともかく,一企業のトップに立っている彼が協力するのか。そんな危険なことをしなくても収入なら結構入ってくるはずだ。
「先輩」
「…あ? どうした?」
考えを整理していたので,思わず変な返事になった。
「中槻先輩見たことある?」
「中槻? …ああ,隣のクラスだ」
「じゃあ,星野先輩と同じクラスなんですね?」
「そうだ。…それがどうした?」
「中槻先輩ってかっこいいって,あたしのクラスで評判ですよ」
「へぇ」
───そういえば,中槻はノーマークではないか。
この間中槻を背後から尋問して以来,会っていないのだ。そう簡単にあの扉が開くとは思えないが,業界の中で名を馳せている彼なら開けてしまってもおかしくはない。
なかなかいいタイミングで思い出させてくれた。
───では,葉麻の裏もとれたことだし…。
聖志はコーヒーを一気に飲むと,
「では俺はこれで」
「もう行っちゃうの?」
「ああ,やることが増えた」
「なんだぁ,せっかく遊べると思ったのに」
「俺は玩具か」
そんなことを言いながら3人は店を出た。
「ねぇ,今から佐紀の家に行こうよ」
「え?」
葉麻は彼女が急に言い出した言葉に驚いている。
「どうして急に?」
「最近行ってないし,ちょっと試験のことも」
「……そうね,いいわ」
「先輩も,ね?」
高倉は何を企んでいるのか分からないが,取りあえず聖志にとっては好都合だ。
「少しならOK」
というわけで,2人について行くことにした。
葉麻家は長瀬宅とは反対方向にある。つまり,今来た方向に戻らなければならないのだ。
地下街を南に歩くこと約5分。出口らしき階段を上がる。
上がった途端に照りつける太陽。コンクリートが焦がされ,ちょうど時刻的にも焼けるような暑さになっている。
───もう真夏ではないか。
聖志は薄手だがジャケットを着てきたことを後悔しながら再び2人の後を追う。
出てきたところはやはり住宅街。しかし長瀬宅があった住宅街より少し古い感じがする。
「…ここは結構前からあるのか?」
「はい,大体8年ぐらい前からです。先生の家があったところはホントに最近で,完成してまだ2,3年だったと思います」
「…そうか,通りで」
別にどうということはないのだが,計画性に乏しいところが目に付くのだ。
「先輩,佐紀の家ってかなり大きいよ。多分先生の家といい勝負なんじゃないかな?」
「何言ってるのよ,全然違うじゃない」
「楽しみだなぁ,葉麻」
「先輩まで…」
聖志はからかい口調で言いながらも頭の中でこの辺りの地図を作る。
「ところで,あれは35号線か?」
住宅の合間から見える車の往来を指さして彼は言った。
「そうそう。駅前で県道と交差してるの」
高倉が言った。この辺にはよく来るらしい。彼女の家はもう少し遠い。
「やっと着いた。先輩,あれ」
「ん?」
周りを見渡していた聖志に高倉が声をかけた。
彼女の指さす方向には周りの家とは明らかに高さの違う,大きな建造物が。
「…葉麻,あれが家か?」
「あ,はい」
4階建ての一戸建て。地上階はシャッターが閉められている。恐らくガレージだと思われる。
3人は玄関に続く階段を上がる。玄関は地上2階にある。3階,4階は瓦葺きで,金持ちのボンボンの家にはよくある作りである。葉麻隆文の趣味をとやかく言うつもりはないが。
敷地面積はそんなに広くなく,周りの家の1.5倍というところか。面積を小さくして上に重ね,土地にかかる金などを倹約したものと思われる。
玄関を開ける。
「只今」
取りあえず挨拶をする。と,奥から母親が出てきた。
「お帰りなさい。麻由美ちゃん,いらっしゃい」
葉麻とは対照的に結構背の高い,スリムな体型の母親である。
「こんにちは」
「えっと,あなたは…」
母親は聖志を見る。
「初めまして,西原と申します」
「ああ,あなたが西原さんですか。娘から聞いております,お世話になってるようで」
「いえ,とんでもありません」
「お母さん,後で話すから取りあえず,ね?」
葉麻は少し照れくさそうに言った。
「あ,ごめんなさい。上がってくださいね」
「お邪魔しまーす」
「失礼します」
妙に長く見える廊下を歩き,リビングに通された。
リビングに入っていきなり目に付いたのが,プロジェクションテレビ。40インチはあると思われる。その両隣には巨大なスピーカー,サラウンド効果を狙って後ろ側にも同じようなものがある。
「…凄い設備だな」
「お父さんが帰ってきて,そのままだったんです。今片付けますから」
葉麻は手慣れた手つきでスクリーンを片付けた。スクリーンは天井から吊され,その後ろ側にはカーテンを通してベランダが見えた。暗かった部屋に真昼の光が射し込んだ。
「佐紀,お父さんって単身赴任中じゃないの?」
彼女は自分の家であるかのように当然の如くソファに腰を下ろす。
「そうなんだけど,用事があるからって」
「…昨日か?」
「一昨日です。用があったのは昨日だったんですけど」
「今日は?」
「会社の方に戻りましたよ。…先輩,遠慮しないで座ってください」
聖志は立ったまま考えていた。
「ああ,さんきゅ」
夏向けに色を変えたソファに深く腰掛けると,聖志は辺りを見回した。
天井には埋め込み式の蛍光灯,スプリンクラー,火災報知器が設置されている。ただの住宅にしてはかなりセキュリティに力を入れているようだ。先程玄関にはカメラがあった。しかも玄関の屋根に埋め込まれていた。
ソファはプロジェクションに対してコの字を右に90度回したような形に配置され,中央のソファに座ると真正面にテレビがある。部屋の壁は白やアイボリー系統でデザインされたものを採用している。テレビが置かれている反対側の壁にはどこかの部屋へ通じるであろうドアがある。
「…先輩,じろじろ見ないの」
高倉がたしなめるように言った。どうやら彼女は聖志の行動パターンが分かってきたようだ。
「いやぁ,人の家って面白いもんで」
聖志は馬鹿面を作る。
「ちょっと待っててね,お茶入れてくる」
「ありがと」
「悪いな」
彼が言うと,葉麻は微笑んでキッチンへと行った。玄関へ通じるドアの左にキッチンへ通じるドアがあるようだ。
「…高倉はよく来るのか,ここへ?」
「うーん,中学のときは結構来たけど…今はあまり」
「そうか…」
「先輩,まだあれやってるの?」
「あれって?」
すると高倉は耳打ちするように声を潜め,
「あの仕事」
聖志は意味を理解した。高倉は現場に立ち会ったことがあるのだ。
「…そのことは口にするなと言ったはずだ」
彼は少し声を低くして言った。
「…ごめんなさい。ちょっと気になって…」
彼女はすぐさま謝った。しかし,好奇心が多い彼女にとって,こういうことには首を突っ込みたくなるのだ。
───彼女に知られたのは得策ではなかったな…。
聖志も彼女の性格を把握しているので,本当のところは情報が漏れた場合に,聖志が彼女に対して取る対処を話しておきたかったが,いきなり言うのも場所が場所だけに気が引けた。
「お待たせ」
少し暗い雰囲気を解消するように,葉麻が銀のお盆にアイスティーを乗せて持ってきた。
「ありがと」
「ううん,何にもなくて」
そう言いながら彼女はテーブルに置く。テーブルには高級そうな灰皿が置かれている。隆文が吸ったのか,吸い殻が結構な量入っている。
「葉麻のお父さんはヘビースモーカーだな」
「え?」
「灰皿がいっぱいだ」
聖志は灰皿に目線を走らせた。
「あ,それは…」
彼女の父は映画鑑賞が趣味であり,映画を見ている最中に何かしら邪魔が入ると怒るらしい。昨晩それがあったというのだ。
「何か分からないけど昨日電話があったらしくて,それでちょっとイライラしてたみたい」
ま,人間好きなことをしているときに邪魔が入るのはあまりいい気分ではないだろう。特に趣味に集中しているときなどは。
「そうみたいね,佐紀のお父さんって。あたしも一回だけ言われたことあるし」
「あ,そうよね」
「…ちょっと待て」
「え?」
聖志は葉麻のさっきの発言に少し違和感を覚えた。
「電話があった…らしいって,葉麻自身は何処にいたんだ?」
「あ,父がここにいたのは夜なんです。2時頃だったかな。それで,今日朝食のときにその話を聞いたんです」
「そういうことか…」
つまり,家族はすでに寝静まっている頃である。
「それで,結局電話に出たの?」
「出たみたい。真夜中だから」
───誰からだったんだ?
今日の午前2時頃と言えば,ちょうど研究所のコンピュータに侵入しようとしたときに何者かと接触した時間だ。
偶然か否かは分からない。今のところ教頭が一番怪しい。
───ここは警視庁に任せるか。
聖志がここで余計な行動をすると事情がややこしくなる。警視庁が行動しやすいようにしなければならない。
「…それで,普段から煙草を吸うのか?」
「吸うことは吸うみたいだけど…そんなに多くは」
「ほほう」
聖志と葉麻が話している間に,高倉はテーブルの上にあったテレビのリモコンで勝手にテレビを付ける。まるで自分の家にいるようだ。
それにつられて聖志もテレビを見る。
「…インターネットテレビではないか」
「さっすが先輩,一目で分かるね」
高倉は既に知っていたようだ。
インターネットテレビはISDNより電送速度が速く,約2メガバイト/秒を誇る。
「インターネットか…。家族で使うのか?」
「ええ。私もたまに使います。麻由美なんか来たら絶対使うもんね」
「そりゃそうよ,家にないんだもん」
「お前な…」
やはり当然の如く彼女は言った。
「先輩はやってないの?」
「パソコンでするけど…葉麻の家にはあるのか?」
「はい,父が持ってます。でもインターネットだけはこれでするみたい」
「ま,そうだろうな」
パソコンを持っているということは,当然ながら電話回線を通って研究所へアクセスできる。それに彼は今日午前2時頃に自宅にいたという証言もある。
つまり,彼が正規のアクセス手順を知っていれば昨日聖志と衝突した人物は葉麻隆文であるとも考えられるのだ。
しかし,動機が分からない。何故あの研究所のデータを消そうとしたのか。恐喝された可能性も考えなければならなくなってきた。
と,ジャケットの内側の電話が振動した。それにつられるように壁にある時計を見ると3時半を指していた。
───そろそろ行くか。
「葉麻,俺はそろそろ帰る」
「え,もう帰っちゃうんですか?」
「しなければならない用事を思い出した」
聖志はそう言って立ち上がる。
「では,邪魔したな」
「あ,はい。また今度」
「またねーせんぱーい」
彼はリビングを出て玄関へ向かう。…と。
「もうお帰りですか?」
葉麻の母親が出てきた。聖志は彼女の名前を知らない。
「あ,お邪魔しました」
「いえ,今後も娘の面倒見てやってください」
「喜んで。では」
靴を履くと,玄関を出る。それからようやく既に切れている電話を取り出し,リダイヤルする。
「こちら藤井」
「…何か用か,藤井?」
「ああ,中槻が学校に入った」
「何?」
「学校が休校なのを狙ってまたあのドアの所へ行くつもりじゃないのか?」
「…そうだな…。お前は今何処にいる?」
「中庭さ。窓から彼の姿が見えた」
やはりノーマークだった彼が動き出した。
「OK,行動を見守ってくれ。処置は任せる」
「分かった」
「それと,今夜9時だったな?」
「ああ,長瀬宅だ。じゃ」
藤井が手短に電話を切った。恐らく近くに中槻がいるのだろう。
聖志は早足で地下街の入口に向かう。外はかなり暑いので少しでも涼しいところへ行くためだ。───と,また電話がコールした。
「はい」
「もしもし,鍵川ですが」
「ああ,署長さん。どうしたんですか?」
「どうしたんですか,じゃないでしょ。どんな情報をくれるの?」
「…ただであげるわけないでしょ。交換条件と行きましょうか」
「…またなの? この間もそんなことしてたような気がするんだけど」
───覚えてたか…。
「どうします?」
聖志は話を先へ進めた。
「…分かったわ。いつでもいいから来て」
「分かりました」
そんなわけで今日2度目の高崎署。車を指定席に停め,署に入る。
中槻の方は藤井が処理するはずなので,9時までに仕事を済ませていれば問題ない。
───PM4:17。
聖志はいつものように刑事課の前を通り過ぎ,署長室のドアをノックする。
「どうぞ」
遠慮なく入ると,刑事課長の池和が署長のデスクの前に立っている。
「…以上です」
「そうですか,ご苦労様」
聖志は黙っていつものようにソファに座る。鍵川が一般の仕事をしているところを見るのは初めてなので少し珍しい感じがした。
「では失礼します」
池和は敬礼し,傍らにいた聖志に軽く頭を下げた後,廊下へ消えた。
「お待たせ」
気のせいか,鍵川は少々疲れた顔をしている。
「…どうかしたのか,やつれてるぞ」
「このごろ事件が多発してて…」
彼女は頭を抱えた。
事件が多発して忙しくなるのは刑事課の方だが,署長の方にも事後処理などが回ってくることがあるのだ。
「それで,交換条件って?」
「…取りあえず,俺の持っている情報は前北靖子殺害事件の犯人の目星」
「本当に!?」
「…ま,私見だし,これという物証もない」
「でも,十分よ。そこから当たっていけばいいことだし。それで,こちらは何をすればいいの?」
───今日は話が早いな。
いつもだと絶対こういう話の展開にはならない。
「2つあるが,一つは日本コンピュータシステム株式会社社長の最近の行動の入手。これは急を要する。もう一つはこの間から言っている中国における長瀬殺害現場目撃者の発見と証言の入手,もしくはあの現場写真にあったガラスの破片からの情報収集。これがその情報との交換条件だ」
日本コンピュータシステム株式会社社長というのは,言うまでもなく葉麻隆文である。特に今日の午前2時から3時の間の行動内容を詳しく,と付け足した。
「…分かった。池和刑事に頼んでおくわ」
「じゃ,俺の用はこれだけなんで」
と言って聖志は立ち上がった。
「この,サテラの社長の情報は早い方がいいの?」
彼女はメモった紙を見ながら旧社名を言った。
「ああ,今日中に出来るならその方が嬉しい」
「了解…と,ちょっと待って」
足早に出口へ向かう彼を呼び止めた。
「なに?」
「情報は?」
「それはそちらの情報が入ってからだ」
「…どっちの情報でもいいのかしら?」
「どちらかと言えばサテラの件を頼む」
「…分かったわ」
それを聞いて聖志はドアを開けようとしたが,一つ疑問を思い出した。
「そういえば」
「え?」
「今日,県警の方へ行ってたらしいということを聞いたんですが…」
今朝ここへ連絡を入れたときに池和刑事から聞いたことである。
「ああ,あれね」
聖志はさっきのソファに座り直す。
「事件が多発してるって言ったでしょ? そのことで県警から警戒態勢を強化せよ,だって」
「…ちなみに,どんな事件?」
「あなたが追ってる件とは全く別よ。誘拐事件とか,盗難事件とか」
聖志が追っているのは中央学院公金横領事件の真相である。しかし,全く別の事件と関わりを持っていないとは言い切れないのだ。
「…盗難とは?」
「車の盗難。家の前に停めてあったはずの自動車が盗まれたって」
彼女は知ってか知らずか,機密をべらべらと喋っている。恐らく疲れから来ているのだろう。
「盗難車は?」
「まだ発見してないわ。それもうちの管轄なのよ」
その後勢いに乗った彼女は聖志に対して愚痴をこぼしまくった。稀に見る彼女の姿に聖志は驚いていたが,鍵川はそのままおよそ2時間ほど喋り続けた。
───警視ともあろう者が,何たることか…。
───PM6:42。
ようやく解放された聖志は高崎署を出た。
「西原捜査官」
「え?」
不意にかけられた声に振り向くと,
「星野警部」
スーツ姿の彼がいた。
「どうです,これから食事でも」
「いいね,行くか」
彼等は署の近くの定食屋に入り,夕食を取ることにした。
落ち着いた雰囲気の店内のカウンターに座り,適当なものを頼む。
「どうだ,仕事は?」
お茶をすする聖志に星野が言った。
「順調だ…と言いたいところだが,そうでもない。そっちはどうだ?」
「俺は毎日大嶋宅にへばりついている。一緒にいる刑事も今一つ張り合いがないみたいだ」
「そいつは困るな。解決するまではしっかりと警戒して貰わないとな」
「わかってるさ,以前のようなヘマは俺もごめんだからな」
横石にやられた傷はすっかり回復し,現役に復帰している。
「さっき署長に会ってきたが,かなり参っているようだな」
「…まあ,そうだろうな。このごろ物騒だし」
星野は当然のように言った。この世界の生活は鍵川より星野の方が多少長いだけに,そういうところは大体見分けが着くのだろう。
「…学校はずっと休みか」
「ああ。学校上層部があれだからな」
今のところずっと事情聴取が続いている。学校関係者に何度事情を聞いたところで,聞けることは限界がある。ま,現状から言えば警視庁としてもそれぐらいしか打つ手がないのかも知れないが。
「舞には?」
「全く」
星野はやはり親バカだった。
「お前,この事件が解決したらどうするんだ?」
「どうするって?」
「通うのか?」
これまで通り中央学院に行くかどうかである。
「…それは分からないな。すぐに次の任務が来るかも知れないし」
「…そうか」
この後両者は来た料理を黙々と食べ続けた。
「そっちはどういう見解なんだ?」
食べ終わった聖志がそう尋ねると,
「…そうだな,遺跡の所有権を巡っての争い,という風に受け止めているが詳しくは話せない」
「なるほど」
───つまり,俺達とあまり変わらない見解を持っているというわけか。
聖志が任務を受けたときは学校資金横領事件から入ったのだが,結局行き着く先は同じようだ。
「じゃ,俺はこれで」
「ああ。無理はするな」
「わかってる」
聖志は星野の言葉を背に受けて店を出た。