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―――6月26日。

聖志が起きたのはAM7:00。速攻で制服に着替える。

リビングへ行き,久しぶりに朝のニュースを見る……と思いきや,やっているのは何やら見たことのない番組が。

―――あり?

「おはよう,お兄ちゃん」

「あ,ああ…」

「どうしたの? 今日は学校?」

彼女は私服姿である。キッチンから出てきたところを見ると,朝御飯を作っていたようだ。

「え? …何曜日?」

「やだなぁ,今日は日曜日だよ」

エプロンを外しながら,彼女は苦笑い。

「! そうだったのか…」

通りでニュースがやっていないわけだ。

―――曜日の感覚がなくなっているとは…。

頭を抱えてソファに座り込む。

最近色んなことがありすぎて,授業も全く頭に入らず,曜日の感覚もなくなってしまった。

「疲れてるんじゃないの?」

美樹は気遣わしげに言った。

「俺は老人か」

「そうじゃなくて…ホントに疲れてそうに見える」

彼女は真面目な顔をして言った。しかし,彼女は元が真面目な顔なので,冗談を言っているのか本気なのかがたまに分からなくなる。だが,これは真面目な意見のようだ。

「そんなバカな」

「ホントだよ。仕事に根を詰め過ぎなんじゃない?」

「…そうなのかなぁ…いや,そんなはずはない。今だってちゃんと寝てたじゃないか」

聖志は自分に言い聞かせるように言った。

「そうじゃなくて,精神的に」

「…そうかなぁ」

「だから,今日ぐらいゆっくりした方がいいよ」

「でもなぁ」

「デモもストもないの」

「あ。俺の受け折りだな」

「ふふ,いいじゃない」

美樹が彼の家に来て,その日寝る間際に言った言葉だった。

「…そうだな」

そういうで,今日は一日何もしないことにした。

―――AM8:32。

何もしないと決めたものの,やっぱり何かしないではいられないのだった。

気が付くといつものようにパソコンの前に座り,キーボードを叩いている。

「…お兄ちゃん」

控えめな声に,聖志は後ろから声をかけられて振り向く。

「どうした?」

「今日ね,友達が来るの」

「ふーん,そうか……なに!?」

普通に聞けば大したことはないのだが,聖志にとっては普通ではないのだ。

「来るって,ここにか?」

「うん,そうだけど…」

―――あのこと,言わなかったっけ…。

「この家の場所を知ってるのか?」

「ううん,駅まで迎えに行くの」

「…そうか」

―――ここには近付けない方がいいんだが…そこまでするのも…。

美樹の表情こそ余り変化がないものの,結構ウキウキしている感じは伝わってくる。彼女がこんなに嬉しそうなのはこちらに来てから初めてだ。

「どうしたの?」

「…いや。俺が帰ってくるまでは玄関の鍵を開けるなよ」

「あ,うん。お兄ちゃん,どこかへ行くの?」

「ああ。それと,何かあったら友達と一緒にベランダの外へ出てこれを使え」

彼はそう言うと,ジャケットのポケットから小型の発信器を手渡した。

「…うん,分かった」

「じゃあ,一緒に出よう」

聖志は取りあえずジャケットを着て,グロック,携帯,身分証を装備する。

今日の予定は新宇部学園の場所の確認。時間があれば学校の周辺も調査する。

「お待たせ。行こう」

美樹の声に,聖志は玄関へと向かった。

 

まだ朝だというのに,歩いていて汗が出てくる。夏の太陽は容赦がない。

「お兄ちゃん,今日はどこへ行くの?」

聖志の左を歩いていた美樹が見上げて尋ねた。

「美樹の学校」

「え? 宇部学?」

「ああ」

どうやら学生の間では新宇部学園を単に宇部学と呼ぶらしい。

「なんだぁ。今日じゃなかったら,案内してあげたのに」

彼女は心底がっかりした様子。

「悪いな。でも,学校の場所を見に行くだけだから。また今度,校内を案内してくれ」

「うん,任せてよ」

笑顔で美樹が言った。

「ところで,友達はどんな人?」

「うーんとね…」

彼女はその友人のことを話し始めた。

同じクラスの女子3人。氏名は安藤由利,佐倉春奈,立川佳美。いつも美樹がよくつるんで喋ったり,昼食を取ったりしているらしい。

一番仲がいいのが佐倉で,性格は美樹とは正反対の元気な子。それ故にうまくかみ合うところがあるらしい。

安藤は絵に描いたようなお嬢様で,勉学,芸術に優れており,慎ましやかである。その通り良家のお嬢様らしい。

安藤と仲がいいのは立川。彼女は自分の夢に向かってまっしぐら。夢のためなら何でもやりかねないという感じである。美樹は彼女の夢を知らないが,歌が妙にうまいことや,吹奏楽部でかなりいい成績を残していることから,音楽系のことではないかと推測しているらしい。

美樹が言ったことを総括すると,大体こんな感じである。

彼女は本当に嬉しそうに友人のことを話す。こちらへ来た不安がかなり消えていっている。

―――いい傾向だな。

「でね,お兄ちゃんのことを話したら,みんな会いたいって言ってたんだ」

「それは光栄だな」

「それでね,今日は会えるかなって言ってたんだけど…」

「そうか…それは悪いことをしたな」

「ううん,わたしが勝手に言ったことだから…」

そう言っているうちに駅前に着いた。

日曜日だけあって,駅の切符自販機の前には子供連れが多い。

「あっ」

美樹は短く声を上げた。

「みんなだ」

彼女が指さす先には,例の友人と思われる女が3人。手を引かれるままに,聖志は彼女等の方へ歩く。

「あー,美樹」

「みんな待った?」

「ううん。ね,この人は?」

ロングの髪を後ろで束ねた女が言う。

「あ,わたしのお兄ちゃん」

美樹は右の手のひらを上にして,聖志の自己紹介を促した。

「妹がいつもお世話になってるようだな,兄の聖志だ。よろしく」

聖志は少し緊張気味にそう言った。正直,年下に自己紹介するのには慣れてないのだ。

「びっくりしたー,美樹の彼氏かと思った」

さっきのロングヘアの子がそう言った。

「初めまして,わたしは美樹さんの友人の安藤由利です。美樹さんにはいつもお世話になっております」

その子は軽くお辞儀をしてそう言った。本当に良家のお嬢様を絵に描いたような挨拶の仕方である。カールヘアがふわりと宙を舞う。

「もう,由利ったら堅いんだから。あたしは佐倉春奈です。で,こっちは…」

「立川佳美です」

2人とも軽く頭を下げる。

そのあと少し雑談を交わした後,聖志はホームへ向かった。

 

快速列車に乗り込み,クロスシートに身を預けること約40分。

聖志は宇部駅のプラットホームに立っていた。

大嶋の家を訪ねたときに一度だけ来たことがある。そのときは夕暮れだったので随分と印象は違う。駅の南側は駅前の延長で市街地になっていて,町を隔てた向こう側には夏の日差しを反射してキラキラと光る海が見える。残念ながらここには砂浜がないので海水浴はできない。

対する北側には,美樹が言っていた通り小高い丘があり,駅のホームからでも新宇部学園の校舎の一部が見える。

―――とっとと行くか。

聖志は改札を出ると,内ポケットに忍ばせた地図を見た。

簡単に書いた地図だと思っていたが,そのままの地形が描かれていた。本当に駅から線路に沿う道が出ており,踏切を渡ると国道を挟んで小高い丘にさしかかる。坂を上りきると,ちょうど校門前に到着する。

正門は東側だが,学校は校舎が南に面している。校舎の正面には,生徒が昇降口へ向かう広い通路があり,3mはあるであろうフェンスの南側は,緩やかな斜面が下を走る国道沿いまで続いている。

今の段階では校舎に入れないので,周辺の状況を調べておくことにした。

取りあえず正門をくぐる。

昇降口までは赤い敷石が綺麗に敷かれ,どことなく高級感が漂っている。校舎側には十分なスペースを取った花壇があり,背の高いものから低いものまで色々な植物が生息している。

当然だが休日なので,昇降口は鍵がかかっている。が,校舎の向こう側から,運動部の生徒の声がこだましている。

校舎の一番西側まで来ると,グランドへ抜ける通路を発見した。通路とは言え,恐らく校舎とフェンスの間にできた隙間であり,人ひとり通るのがやっとである。

―――ん?

と,聖志は人気を感じ,咄嗟に壁に張り付く。

通路のグランド側には,背の高い,サマージャケットを羽織った男らしき人物がひとり,グランドの方を伺いながら何やらメモっている。

―――誰だ?

もう一度通路を覗いたと思ったとき,その男が振り向いた。

「あ,西原さん」

「―――伊野坂か?」

「やっぱりそうでしたか。ご無沙汰してます」

彼はそう言いながら,通路から出てくる。

 彼は本部長が推薦したJSDO2級捜査官の伊野坂正彰。某国立大学を出た26歳で,担当だった警部補に言わせると,拳銃より強い武器を持つ男らしい。

「あれ以来か,直接会うのは」

「そうです」

担当の警部補に,彼の銃撃指南を頼まれた時である。聖志が16歳の時だった。しかし,銃撃指南に行ったはずが柔道の相手をさせられて死ぬ思いをしたことを,今でもしっかりと覚えている。

「僕は教師側から潜入命令を受けてますが…」

「手続きは?」

「済ませました」

「じゃあ,明日からか」

「そうですね,気合い入れていきましょう」

「おいおい,柔道をしに来た訳じゃないんだぞ」

「いえ,半分はそんなものですよ。僕の担当は体育らしいですから」

「げ…」

思わず聖志は顔をしかめた。伊野坂の柔道は,ほとんどエクストリーム系の格闘技と化しているのだ。そのほか,剣道,空手,弓道など,スポーツなら何でもOK。しかも全て段持ちなのだ。

「なんか,君ひとりで十分のような気がしてきたんだけど」

「いえ,僕は体は丈夫ですが,如何せん頭の方が回らないので,その辺りよろしくお願いします」

頭が回らないというのは,人をじっくり観察して,そこから推測されるデータを情報として人に伝える能力のことである。学業は国立大学を出ただけあって,人並み以上に切れるところがある。

「…変わってないな,その辺り」

「お陰様です」

そのあと彼等は学校周辺を捜査した。下手に学校に侵入すると,不法侵入でこちらが罪を問われてしまうのだ。

―――PM4:32。

「そろそろ引き上げますか」

「そうするか。じゃあ俺は明日からここの生徒なのか?」

「ま,そういうことです」

「それで,今通学してる学校の方はどうするんだ?」

聖志の通う,中央学院である。

「それはJSDOが何とかしてくれるそうです。本部長閣下の直伝です」

「そうか…それなら安心だな」

「ただ,中槻という生徒がいるかどうかは分かりません。この学校の機密は特に厳重ですから。理由は分かりませんが…」

「つまり,厳重にする価値のある情報があるということだ。俺はここのコンピュータ情報を全て頂くつもりだ。伊野坂には補助をして貰う」

「補助って,僕その手のことは…」

彼は本当に困った顔をする。

―――ホントにダメなんだな。

「補助と言っても,君にできる範囲内のことだ。別にパソコンでハッキングしろ,なんてことを言うつもりはない」

「恩に切ります」

「ま,そういうことにしておこう。では明日からよろしく」

「こちらこそ」

 

―――聖志宅。

リビングでは美樹とその友人達が,机の上でノートを広げている。

「美樹,ここ教えてよ」

「あたしも!」

彼女等は期末テストの勉強中である。

「春奈,少しは自分で考えたらどうなの?」

子供をしかるような口調は,安藤由利のもの。両親が厳しいのか,自分のことは自分で,という考え方らしい。

「だって,わからないんだもん」

「まあまあ,少し休憩しよ。わたし,紅茶入れてくるね」

間を取り持つのは美樹の役目である。

「あ,私も手伝うわ」

「いいよ,由利は春奈をみてあげて」

美樹はそう言って4人分の紅茶を用意する。

台所の戸棚に紅茶の葉の缶が置いてある。聖志が一人だったときに愛飲しているものである。

と,午後2時のアラームが鳴った。

―――もう帰ってきてもいいのにな…。

学校に行くだけと言っていたものの,やはり色々な仕事をしているのだろうか。

―――今日は何もしないって言ってたのに,やっぱりこうなっちゃうのか…。

妹の美樹には,聖志の多忙さは他人より数倍わかる。彼はほとんど毎晩,午前4時頃まで起きて作業をしている。たまに電話がかかってくるのも,その関係だろう。いくら何でも学生離れした生活を送っている聖志が,たまに自分の知らない大人のように見えるときもあるほどだ。長い間会っていない間に別人になったように見える。

「ありがと」

銀の盆に,少しお菓子を添えてテーブルに置く。

「美樹って紅茶入れるの上手よね」

佳美がしみじみと言った。

「ほんとね,上品って言うか…」

「そんなことないよ」

「でも好きよ。お兄さんに入れてあげたりするの?」

一人っ子の由利は,興味ありげに尋ねた。

「うん,たまにね。でも,ここに来て最初に紅茶を入れてくれたのは,お兄ちゃんなの」

「あ,そうなんだ。じゃあお兄さんも上手なの?」

「いいなー,羨ましい」

「あたしの兄貴なんて,ただ喧嘩するだけだもんね。別に才能があるわけじゃないし,いらないよ」

春奈が身内の毒舌を吐く。

「でも,春奈っていいよね,門限がなくって」

佳美は紅茶を一口飲んで言った。

「門限がないって言うか,親が放任主義だから」

「それって…ご両親に放って置かれてるってこと?」

「…うーん,そうとも言うかな」

「でも,縛られるよりはいいんじゃない? うちなんて,理由もなしに8時なの。今どき8時なんてー」

春奈が羨ましがる。

「きっと心配なんじゃない?」

「そうなのかなぁ,わかんないけど。そう言う美樹はどうなの? あのお兄さんに言い付けられたこととかある?」

美樹は少し考え込み,

「…特にないかな」

彼女ははにかんでそう言った。

「ふーん。結構頭いいんじゃない? あの風貌からして」

春奈はさっき駅前であった聖志を思い出していた。

「どこの学校なの?」

「中央学院って言ってたけど…」

「市立中央学院…確か,近くなんじゃない?」

「うん。わたしよりちょっと遅く出るの。帰りも少し早いみたい」

「あたしも中央学院に友達いるよ。ね,部活は何してるの」

「広報部だったかな。部員さんから電話もあったみたいだし」

「え,そうなの!? じゃあ麻由美と一緒だ!」

彼女等は少しの間,勉強を忘れて談話を弾ませた。

「…どうしてかな,お兄さんのことを話してるときの美樹って,生き生きして見える」

由利が素直な感想を口にした。

「やっぱ,あのお兄さんが好きなんでしょ」

春奈は少しニヤついて言った。

「…そうなのかな」

彼女は少し恥ずかしそうに言った。

 


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