―――PM4:15。
ほとんど生徒のいなくなった教室で,聖志は頬杖を付いてぼけーっとしている。
午前中に仕入れた情報は,中槻についてのものである。驚いたことに,中槻は平本の友人が付き合っている相手だということである。その友人の名前は聞きそびれた…というか,あの状況では断った方がいいと判断したのだ。平本が何故妙な駆け引きをけしかけてきたのかはっきりしない限り,変に突っ込まない方がいい。
中槻政雄―――名前は少し違っているが,恐らく本人だろう。どうにかして本人と連絡を取らなければならない。しかも大嶋に魔の手が伸びないうちに。
―――しかし,中槻は学生なのか?
聞く限り,そういう風に聞こえる。高校2年と付き合っているのだから。しかし,具体的な情報がない限り,即断は禁物である。
―――あとは,新宇部学園の情報か。
これに関しては美樹に聞けばいいのだが,いくらその学校の生徒でもそんなに詳しいことは分からないだろう。よって,新宇部学園を調査もしくは潜入する必要があるだろう。
もし彼が見つかり,我らの要求に応えてくれれば未知への扉は開かれる。あの扉の向こう側に一体何があるのか。大嶋の言いようではないが,本当に遺跡があるのかもしれない。
大嶋校医の父,大嶋淳次は現在76歳。肺ガンを患い,本来なら入院しているはずだが彼女の家にいるらしい。恐らく彼女に土地のことを言うためだろうが,彼はまだ躊躇っている。それほどの価値があるのか,それとも彼女に言ったところで理解してくれないと考えているのか。
ま,彼女に任せておけば何とかなるだろう。下手にこちらからコンタクトを取ると,警戒されて口を割らなくなる可能性も出てくる。
―――そうだ,警備は誰がするんだ?
彼女は確か,警備を付けられると言っていた。恐らく近所の星野警部か,高崎署の刑事がするのだろう。その刑事が余計なことをしなければいいが。
いつの間にか誰もいなくなっている教室を見て,時計を見る。
PM4:32。
―――さて。
聖志はようやく椅子から立ち上がった。自宅に戻って美樹から新宇部学園の詳細を聞かなければならない。
パソコンの入った鞄を担ぎ,廊下に出る。―――と!
「おわっ! 聖志!」
出会い頭にぶつかりかけた。
「飛島か,何してんだ?」
「ああ,ちょっと忘れ物」
乱れたブレザーをなおしてそう言った。
「へぇ。んじゃ」
聖志は彼の隣をすり抜けようとする。
「お前な,少しぐらい待とうという気が起こらないのか?」
「何だ,待って欲しいのか?」
「ああ,そうだ。待て」
妙に挑戦的な言い方をする彼。
「分かった。早くしてくれ」
「おう」
日の傾いた歩道をダベリながら歩く。飛島と帰るのは久しぶりである。
「…聖志,あのあと広報部はどうなったんだ?」
あの後とは,前北靖子殺人事件のことである。
「ああ,事情聴取みたいなのを受けただけで,特に変化はない」
「そうか? なんかみんな元気ないみたいだけど」
「そりゃそうだな。何しろ前日に本人に直接会ってるから」
「あ,そうか。それはそうだな…それにしては,お前は普段と変わりないんだな」
「…そうみたいだな」
彼は人事のように言った。
「あの子はどう?」
「あの子って…ああ,あいつか」
もちろん,葉麻のことである。飛島は,未だに名前を知らないらしい。
「彼女はかなり参ってたな…」
「そうなのか」
彼は不気味に含み笑いを漏らした。
―――たく,なんて奴だ。
「人の不幸を喜ぶとは,お前も落ちたな」
「そういうことじゃない。落ち込んでいる女の子を慰めるのはポイント高いぞ」
彼は勝手に恋愛講座を開きだした。
「…そうなのか」
「お前も,もう少し女のことを勉強した方がいいぞ」
「余計なお世話だな」
「それより彼女の名前,早いところ教えろよ」
「…森安に聞けばいいだろ。何で聞かない?」
「この間電話したら,お前に聞けって言われた」
「ホントなのか?」
「…ああ」
―――何で教えないんだ,奴は。
「じゃあ直接聞け,彼女に」
と,聖志は少し前の方を歩いている背中を指さした。
「あれ? 彼女?」
「そうだ。早く行って来い」
―――全く,なんて都合ののいい奴だ。
そう思っていると,飛島は彼女の方へ少し早足で歩いて行った。
―――また警戒されなきゃいいがな。
聖志はそう思いながら彼等の背中を見やった。
―――PM5:53。
「ただいま」
玄関の方で声がした。しばらくすると,リビングのドアが開いた。
「お帰り」
「ただいま,お兄ちゃん」
―――そうだ,例の件を聞いておかなくては。
「美樹,夕食後に少し時間をくれ」
「え? 何するの?」
「聞きたいことがあるのさ」
聖志がさらりと言うと,彼女は不思議そうに頷いた。
その後聖志は簡単だが量のある夕食をテーブルに並べ,2人で囲んだ。
「お兄ちゃん,眠くないの?」
「なんで?」
唐突の質問に聖志は少し驚いた。
「だって昨日寝てないんでしょ?」
「…そうだったっけか」
―――そう言われると,そんな気がする。
聖志はもう既に朝の記憶が飛んでいる。
「もう,そんなんじゃ体壊しちゃうよ」
「分かった。気を付けるよ」
彼が素直にそう答えると,彼女は優しく微笑んだ。
「お兄ちゃん,話って何?」
「それは食べ終わってから」
「そんなに長いの?」
「全然。俺がそうしたいだけ」
食べることに集中すると,思考回路が働かないような気がしたのだ。
「で,話というのは」
夕食後,落ち着いてから聖志は話し始めた。
「お前の通ってる学校のこと」
「学校?」
「そう。美樹の知り合いでも同じクラスでもいいんだけど,中槻と言う奴はいるか?」
聖志は本題に入った。
「中槻…」
彼女は考え込んでいる。
「分からない。同じクラスにはいないと思う」
「それじゃ,全校生徒のリストかなんか,持ってない?」
「全校生徒のはないけど,クラスのなら持ってるよ」
彼女はそう言うと,部屋からプリントを持ってきた。
聖志は受け取り,気を付けて目を通す。それからハンドコピー機でコピーを取る。
「さんきゅ。じゃあ,学校にコンピュータはあるか?」
「コンピュータ室ならあるけど」
「そうか…。学校はどこ?」
「え? 場所?」
「そう。地図描いてくれない?」
彼はそう言うと,メモ用紙を差し出した。
美樹は小さな手でペンを受け取ると,思いの外達筆に学校までの簡単な地図を書き上げた。
「…こんな感じかな?」
新宇部学園は,JR宇部駅からおよそ徒歩10分で到着する。宇部駅から線路沿いに歩くと四つ角がある。それを北に折れると,JR東北線の踏切と坂道があり,それを登り切ると新宇部学園がある。駅から見るとちょっとした高地になっている。ちなみに旧校舎は,その高地の下―――現在は墓地になっている―――に建っていた。
「なるほど…」
聖志はその地図に見入った。
「お兄ちゃん,学校に来るの?」
「…分からない。でも,もし会ったとしても声はかけないでくれ」
「…仕事で?」
「ああ,恐らく」
今の時点ではJSDOがするか,警察がするかは分からない。
「…でも,廊下ですれ違ったときなんかはどうしたらいいの?」
「無視しろ」
「どうしても?」
「…これは多分学校内調査になると思う。で,俺と美樹が兄妹だと分かるとだな,いろいろと不都合が起きるわけ。俺にも美樹にも」
「ど……うん,分かった」
「悪いな」
聖志は美樹の配慮に感謝した。
「後で話せるときが来れば,話す」
「うん」
「―――とまあ,そういうわけで,潜入捜査をさせて欲しいんですが」
聖志が敬語を使う相手は限定される。
「君の意見は一理あるな。しかし…君に負担をかけるのも考え物だな」
JSDOの本部長,垣川宗司は聖志の妹がここにいることを分かっている。
「他の人を使うんですか?」
「…その方がいい。ま,君の意見は取り入れるが」
「他の人を使うと言っても,一体誰を?」
「そうだな…君の後輩に当たる,伊野坂君を起用する」
「彼を?」
JSDOの2級捜査官である。
「ああ。なんと言っても彼は大学を出てるからな,十分教師としても通用するはずだ」
確かに彼は国立大学を出た秀才である。聖志より6歳年上で,過去に本部で何回か会ったことがある。
「お言葉ですが」
「言ってみたまえ」
「彼を使うということは,多分教師側からの潜入ですね?」
「そうだ」
現在の藤井と同じように,教師の中に潜入させると言うことである。
「しかし先ほど言いましたように,中槻は学生である可能性もあるのです。教師の目に映らない学生は多いと思われます」
「…つまり,教師側だけでなく,生徒側の潜入も考えた方がいいと?」
「はい」
実際のところ,本部長もそれは考えていたはずである。しかし,こうやって教師側からの調査だけを提案したところを見ると,中槻の存在自体はあまり重要視していない節が伺える。
「しかしだな,その遺跡を調査してどうするんだ?」
「犯人の狙いを知るためです。そうすれば,誰が裏で操っているのか,見当が付きやすくなると思います」
「…君はもしかして,あの3人の教師と,長瀬との関連を調べようとしているのか」
3人の教師とは,教会で待ち伏せしていた奴等である。
「そうです」
「なるほど。前北靖子の事件と,大嶋の事件を一網打尽にできるわけか」
「うまく行けば,ですが」
「…そうだな,元々この件は君の担当なんだし,分かった。任せる」
「ありがとうございます。…ところで,3人はどうですか?」
「相変わらず,黙秘を続けてる。担当の者も嫌気がさしたと言っている」
「…そうですか。事情聴取は恐らく無駄ですね。真犯人の顔が割れるまで」
「うむ,私もそう思って最近は拘留しっぱなしだ。では,そちらは頼んだぞ」
「はい」