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―――6月25日。

「そんなわけで,中槻政彦に連絡を取らないといけなくなった」

「いたのか,宝探しが」

「ま,その確率が高い,というだけなんだけど」

AM8:03。いつも昼食を取る体育館裏である。

「にしても,どうやって連絡を取るんだ? 仮にJHS所属っていうことが分かっても,本部がどこにあるかも分からないし,JSDOも分からない情報なんてな…」

「その辺りは授業中にでも考えるさ。今日のC科学はそれに当てる」

「お前な,俺の授業をなんだと思ってるんだ」

実は,藤井は化学専門にも関わらず,今日のC科学は彼が担当するらしい。

「どうせ自習だろ?」

聖志はそう言いながら,正門へ向かう。

「課題は出すから」

「出すな,そんなもの。時間の無駄だ」

「仕方ないだろ,教師の宿命だし」

藤井は吐き捨てるように言った。彼自身も聖志の言うことがよく分かるのだが,教師という立場であるが故にたとえ時間の無駄となってもしなければならない。

「ま,いいさ。じゃあそのときに」

「はいはい」

正門前に来ると聖志は早々に会話を切り上げ,昇降口へと向かった。

久しぶりに早く学校に来たが,昇降口は閑散としている。大概の生徒は5分前ぐらいに教室に入ってくる。よくもまあ,それだけ正確に来れるものである。

上靴に履き替え,ぺたぺたと自分の教室に向かう…と,保健室の前を通りかかると,

「あら,西原クン。今日は早いのね」

保健室のドアが少し開き,彼女が顔を出した。

「大嶋さん」

学校で会うのは久しぶりだ。ちょうど今着いた所らしく,まだ白衣には着替えていないらしい。

「あれから…どう?」

聖志は少し声を落とし気味に言った。

「うん…刑事さんが来てね,色々質問されたわ」

刑事とはもちろん星野のことだろう。彼女は俯いて言った。

―――確か,彼女のアリバイは完璧だったらしいが…。

「私,狙われてるの?」

「え?」

「あのときも,何が何だか分からなかったけど…。西原君が助けてくれたとき」

「…不安?」

「当たり前じゃない! …この間も刑事さんが,警備を付けるって…」

語調がきつくなる。かなり精神的に追いつめられているのだろう。

「…」

「西原君,全部知ってるんでしょ?」

「…昼休み,時間ある?」

聖志は言える範囲内のことを彼女に知らせておこうと考えたのだ。

「分かった。あけておくわ」

「じゃあ,屋上で」

「屋上? 立入禁止なんじゃ…?」

「教師なら入れるだろ。人目に付くところは避けた方がいい」

彼女は黙って頷いた。

と,いいタイミングでチャイムが鳴った。

「それじゃ」

「ええ…ご免なさいね,取り乱しちゃって」

「仕方ないさ。じゃ」

かくして,授業は始まった。

1時間目から4時間目まで全て藤井のC科学である。聖志にとっては非常に楽かつ嬉しいことである。4時間を作業の時間に当てることができるのだ。

「じゃ,この課題を授業の終わりに提出してくれ。残りの時間は何をしてもいいから」

と,教師用のコンピュータの前で彼は言った。机には,文字通り山ほどプリントが積まれている。藤井はそれを生徒に配る。

―――なんてことを…。

一番端っこの席で聖志は驚いた。プリントの内容の薄さに。

「西原君,分からないところ教えてね」

隣の平本は彼に助けを求めた。

「できることなら」

「ありがとう」

PCルームは通常の教室と違って縦方向に長いパソコンデスクが6列置かれ,各列ごとが向かい合っている。パソコンは個人に一台割り当てられている。

―――取りあえず聞いてみるか。

聖志は教師用コンピュータにチャットソフトでアクセスする。大嶋水穂のことで意見を求めるためである。

“そういうことならOK。”

あっさりと返事が返ってきた。恐らく,彼も仕方ないと思ったのだろう。それに,こっちが黙っていたとしても,星野警部あたりが彼女に真実を話すだろう。

―――じゃ,次の作業に入るか。

次の作業とは,もちろん中槻氏を探すことである。いくら何でも校内で彼を知っている人物はいるとは思えないので,簡単なホームページを作成することにした。これなら世界各国からの情報が来るだろう。当然英語版も作成する。

“情報はこちらまで。”

自宅のパソコンのダミーアドレスを使って情報を集めることにしたのだ。もちろん向こう側からこちらのパソコンをいじれるようにはしていない。テキストデータのみを受け付け,ウイルスなどは入れられないようにしてある。

念のために校内の情報も収集しておく。

自習と言うこともあり,課題を真面目にこなす奴など余りいない。そこで,PCルーム全体にチャットで中槻氏のことを聞きまくる。少しでも情報はあった方がいい。

情報を流したあと,返答が来るまで課題をしておくことにした。

―――4時間目。

やっとの思いで課題を全てこなした。尋常じゃない量だった。

―――あのやろ,俺の作業を妨げる気か。

どうでもいい課題に2時間も費やしてしまった。

しなければならないことが終わったので,返答が来ていないかどうかチェックする。

―――らっきー。

予想に反して一件だけ,情報が返ってきていた。

“中槻さんって,私の友達が付き合ってる人です”

そういう返事があった。

―――返事をしたのは誰だ?

コンピュータの識別番号しか返ってきていないので,直接名前を聞くことにした。

“返事したのは誰?”

と,思わぬ答えが返ってきた。

“平本です”

「へ!?」

あまりに意外な答えに,声を上げてしまった。

「平本?」

「え?」

「中槻,知ってるのか?」

「え? …このメッセージって西原君?」

「そう」

「そうだったの。…知ってる」

「フルネーム知ってる?」

「…確かね,…」

「…」

彼女はキーボードの上の手を止めたまま考えている。

「……政雄だったかしら」

聖志が期待していた答えではなかった。中槻政雄だと答えたのだ。

「そうなのか」

彼は些か拍子抜けした。しかし,あまりに名前が似ている。

「よかったら,その付き合ってる友人の名前を教えてくれない?」

「…どうして?」

意外な返答が返ってきた。彼女のことだから,素直に言ってくれると思ったのだ。

「中槻って俺の知り合いなんだけど,居場所が分からないんだ。それで,その付き合ってる人の学校が分かれば中槻の居場所も分かると思ったんだけど」

「そうなの。…でも,知り合いならフルネームぐらい分かるんじゃない?」

「本人かどうか,確認したのさ。俺が尋ねた人物かどうか」

咄嗟に考えたにしては,結構真実味のあるいいわけだ。

「そういうことなの。…新宇部学園よ」

彼女は何故か,その友人の名前だけは伏せた。言いたくないわけでもあるのだろうか。

「分かった。ありがとう」

聖志はそれで引き下がったが,彼女は意外なことを言った。

「…名前はいいの?」

「先に言わなかったんだから,言いたくないんじゃないのか?」

「あ…,うん」

彼女は,残念とも,哀しげともとれる表情をした。

「じゃあOK」

彼はそれで話を打ち切った。ここまで分かればあとは調査をするだけである。

―――キーンコーン…。

昼休みを知らせるチャイムが鳴り響いた。最後の時間は平本との妙な駆け引きで終わった感じがあるが。

 

昼食を10分で平らげ,屋上へと向かう。

予定通り大嶋が来ているようだ。屋上への扉が開いている。

―――暑いな…。

屋上へ下りると,真夏の太陽が降り注いでいる。思わず目を細めた。

後ろ手で屋上への扉の鍵をかける。

広いコンクリートの地面は真昼の太陽に照らされ,蜃気楼が見えてしまいそうに熱くなっている。辺りを見回すが,彼女の姿はない。

―――裏へ回ったか。

階段の出口の反対側へ回る。

こちら側は人工芝が敷かれ,木でできた椅子と机が並べられ,空中庭園を再現したようになっている。ひさしの上には太陽エネルギーを蓄える太陽電池が数ヶ所に設置されている。

大嶋は学校の東側にある七瀬湖を,風に白衣を翻しながら眺めている。

「そんなところにいると目立つぞ」

「あ,やっと来たな」

彼女は振り返り,ちょっと唇を尖らせて不満げに言った。

「見つかると後々厄介なことになる」

「何よ,待たせといてその言い草は」

聖志の向かい側に座り,そう言った。

「女の子には優しくしなさいって,教わらなかったの?」

「悪いな」

彼は少し苦笑いして答えた。

「それで」

大嶋は真面目な顔になって話を促した。

「何から聞きたい?」

「…私が狙われる理由,教えて」

「いきなり核心だな」

聖志はそう言ってから,話を始めた。

「恐らく,学校地下の土地の所有権を巡る抗争」

「学校地下って?」

「学校の下の土地。今,大嶋さんの家にお父さんが来てるだろ? 確か,淳次さん」

「…ええ」

「彼はもうすぐ寿命であることを自ら感知し,その土地の所有権を大嶋さんに移行しようとしている」

「…そうよ」

「何だ,知ってるんじゃないか」

「でも,学校の地下だなんて,聞いてないわ」

「…ま,そういうことなんだ」

「それで,何故私が…」

「じゃあ,大嶋さんの身に起こった出来事について」

聖志は彼女の周りで起こったことを箇条書きのように言った。

まず,校長室に軟禁されたこと。次に,前北教諭の結婚式当日に行われる予定だった,教会での事件のこと。そして今回の前北教諭殺人事件。

「待って。校長室の事件のことは分かるんだけど,その次の,彼女の結婚式の当日には別に何も起こってないわよ」

「大嶋さんの招待状にだけ,会場が教会だって書いてあっただろ。あれが2回目」

「え!? あれって単なる間違いじゃなかったの?」

「あれは,計画的だった」

もしその通り彼女が教会に行っていれば,間違いなくあの教師3人に殺されていただろう。

もちろん,彼の口からはその決定的な言葉は言わない。

「それで,あのとき付いてきたの?」

「付いて来たって?」

「結婚式に」

確かに,大嶋とエンパイアホテルに入った。

「ま,そうだな。大嶋さんが急に気が変わって教会へ行かないようにするために」

実際は警護だったのだ。

「そのあとだろ,3人の教師が逮捕されたって報告が来たのは」

「あ…」

彼女はようやく理解したようだ。

教会では3人の教師が逮捕された。鴇田,相田,山松だ。

「あの3人が教会で待ち伏せしてたらしい」

「…そうだったの」

彼女はさほどショックを受けた様子はない。答えを予想していたのだろうか。

「今の事件は全てこの学校に関係者が存在する。一番最初の事件,2番目の事件,前北さんの事件。それは何故か」

「…」

「この学校の関係者が,地下の土地を欲しがっているからだと思う」

「地下を…?」

「そして,その所有権は大嶋さんに移る。つまり,あなたがいなくなれば,国のものとなる。それを買い取れば自分のものとなるわけだ。ま,そんなにうまく行くとは思えないが」

「ね,学校の地下には,何があるの? …まさか,遺跡じゃないでしょうね」

この学校は遺跡の上にあるという話を持ち出した。

「…さあ。それについては何とも言えない。何しろ見えてないんだから。…でも,なるほどね。遺跡か」

聖志は何気ない大嶋の一言に,意外なほど引きつけられる何かがあった。

「今度,お父さんに会わせてくれない?」

「え?」

「その土地について,詳しく聞きたいんだけど…」

「…お父さんは,そんなに喋れないの。多分わかってると思うけど,肺ガンを患ってるの。だから…」

彼女は悲しそうな顔でそう言った。

「…そうだったな…大嶋さんはその土地について何も知らないの?」

「…刑事さんにも聞かれたわ。でも,何も知らないの。父も…」

「教えてくれないのか?」

「何回か尋ねたんだけど…いつも表情を暗くして,考え込んでしまうの」

―――考え込む…ということは,話そうかどうか迷っているのか? 

迷っている時間があるのなら,早く彼女に知らせておいた方がいいということは彼自身も分かっているはずである。それなのに迷っているということは,その情報にはそれだけのものがあるということだ。

「もう一回,尋ねてみてくれない?」

「え?」

「もう一回,尋ねるの。今の状況を詳しく説明して」

「…でも」

「今聞いておかないと,…こういう言い方は何だけど…」

「分かってるわ,先は長くない」

彼女は俯いた。

「それなら,後継者である大嶋さんが聞いておかないといけないっていうことは分かってるはずだ」

「でも,父が苦悩する顔を見るのは嫌なの」

彼女は頭を振る。

「そんなことを言ってるときじゃない!」

「他人事だからそんなことが言えるのよ!」

彼女は感情を表に出した。やはり精神的に追いつめられている感がある。

「じゃあもし,あなたが私の立場だったらどうする!? 無理にでも問い詰めるの? ほとんど喋れない自分の父に対して!?」

彼女の瞳からは,やりきれない涙が流れていた。聖志は初めて,捜査に目がくらんで彼女の感情を無視していたことに気付いた。彼女を傷つけたのだ。

「………そうだな。悪かった。お父さんの状態もよく知らないで…」

聖志は謝罪した。彼女の傷は癒えるはずはないが,せめて詫びだけはしなければならないと思ったのだ。

「…ご免なさい。……最近感情がコントロールできないの…」

―――無理もないな。

と,昼休み終了のチャイムが鳴り響いた。まるで,間を置けと言っているかのようだ。

聖志は椅子から立ち上がり,東側のフェンスに手をかける。

いつもは国道から見ているのだが,屋上から見る七瀬湖もやっぱり七瀬湖である。しかし,やはり違って見えるのが不思議なところである。

―――正直,彼女が自分で尋ねてくれると一番ありがたい。

いくら彼女の前で大嶋淳次が苦悩する表情を浮かべると言っても,警察の取調室で全く知らない刑事に根ほり葉ほり聞かれるよりは1000倍マシだ。彼女はそれを分かって拒否したのだろうか。

まだ高崎署に行くならいいが,県警などに送られるとかなり精神的に追いつめられかねない。県警の刑事などは事件の解決を最優先に考え,人の事情など二の次になる。

それに,実際彼女が所有権を受けたとして,その土地が一体どういうものなのか,どのくらいの価値があるのかを知っておかないと,とてつもない損を被ることになりかねない。

―――5分の沈黙。

彼女が聖志の隣に立った。

「…私,自分で聞いてみるわ」

「そうか…」

聖志は一安心した。

「ありがとう」

「え?」

「言ってくれて。言ってくれなかったら,一生聞かないつもりだった」

「そう。俺も助かった。聞いたら,真っ先にここへ連絡して」

彼は,彼女の手にメモを握らせると,最後に彼女の笑顔を見て屋上を去った。

 

 


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