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「お兄ちゃん,何処行ってたの?」

「少し散歩に」

玄関を入るなり,買い物から帰ってきたと思われる美樹が尋ねてきた。

「ホントにもういいの? 無理しないでね」

心配顔で彼女が言った。

「分かってるよ」

聖志はそう言って彼女の頭を撫でる。

リビングまで行くと,聖志は倒れる間際にテーブルの上に書き残したメモを見つけた。それには,

「中国大使館…? 何これ?」

と,良すぎるタイミングで舞がそれを摘み上げた。

「修学旅行の下調べさ」

こんな適当ないいわけで疑問を回避できるとは思わないが,仕事のことを直接出すよりはいい。

「あ,そうか。確か中国だって言ってたもんね」

「いつだっけか?」

「…9月頃じゃなかったかな? 夏休み明けすぐだと思う」

大概の学校がそうであるように,中央学院もその例に漏れずである。

「何の話してるの?」

美樹が紅茶を運んできた。

「さんきゅー」

「うん,こっちの学校の修学旅行」

「あ,もう2年生だもんね。うちの学校はどうなるのかな…?」

「多分中国なんてせこいところじゃないだろうな。ハワイとか行くんじゃないか?」

新宇部学園は私立なので,公立とはまた違うだろう。

「…そういえば舞,あれから学校へ行ったか?」

「あれからって?」

「若井田が新聞に載った日から」

「うーん…あ,一回だけ本を返しに行ったけど」

「いつ?」

「30日。そういえば,中槻君と会ったわ」

「どこで?」

すかさず突っ込む。

「…私が見たときには中庭にいた。何してたのかは分からないけど」

───中庭にいたということは,作業に入る前だったのか。

今となっては中槻の行動は大して重要視する必要はなくなったが,どうしても彼の名前を聞くと行動内容を尋ねてしまう。

「そう言う聖志は行ったの?」

「いや。試験がいきなり休みになったからそこらへ遊びに行ってた」

「…やっぱり? 私もそうだったりして」

舞は笑って言うが,実は彼女はこういうことはしない。恐らく時間が増えたというので試験勉強を死ぬほどやっているに違いないのだ。

「…お前,多分教科書を暗記しただろ」

「え,何で分かったの?」

───やっぱり。

「そんなことしてるの?」

美樹は驚いている様子。

「…まあ,適当にだけど」

舞は照れながらそう言った。

「そこまでしていい点を取りたいのか?」

「いいじゃない,悪いよりは。ね?」

そう言って美樹に振った。彼女は恐らく学年で1,2を争う成績の持ち主である。そこらの生徒が一夜漬けで試験を過ごしているのに,彼女は成績に関しては容赦しない。特に1年生3学期の実力テストは凄まじかった。学年平均33点というテストを,いとも簡単に満点を取ってしまったのだ。猫田の再来だ,とは中條教諭の言である。

「猫田って? 先輩?」

舞がきょとんとした顔で言った。

猫田とは,去年卒業した先輩の名前である。彼女もまた成績優秀で,中央学院始まって以来の東京大学現役合格という偉業を成し遂げたのだ。現在は,何と東大を蹴ってケンブリッジ大学で医学を専攻しているらしい。

「知らないのか? 進路室に写真があるだろ」

学校の誇りだとか言って進路指導部の教師が額に入れた写真を掲げているのだ。

「あ,あれね。…別に,普通の人だったけどなぁ」

───当たり前だろ。

「じゃあ,勉強は舞ちゃんに見て貰えば間違いなしだね」

「ああ。困ったときは尋ねるといい。喜んで教えてくれる」

聖志は勝手な宣伝をしておく。舞は嫌がるどころか嬉しがっている。

とるるる…

電話が鳴る。

聖志はソファから立って受話器を取る。

「もしもし」

「西原さん,内田です」

興奮気味の内田が次に言ったのは,聖志が待ちに待っていた言葉だった。

「証拠が出ました」

「ホントか!?」

思わず声を張り上げた。

「はい,詳しくは署の方で」

「OK」

思わぬ朗報がもたらされた。ようやくこの任務の終止符が打たれるときが来たのだ。

「お兄ちゃん,どうしたの?」

聖志は内心の喜びを笑顔で表した。

「…舞,明日は学校があるぞ」

「えっ?」

彼女は意味が分かったのか,急に帰り支度をし始めた。

「…舞ちゃん,急にどうしたの?」

いきなり鞄を持って立ち上がる彼女に美樹が尋ねる。

「ごめんね,急用が出来ちゃって。じゃあね,聖志」

聖志が頷くと,彼女は急ぎ足で玄関を出て行った。それを確認すると,彼は早速JSDO本部長と藤井に報告した。

「…お兄ちゃん」

美樹の目は,一体何が起こったのか説明して欲しいと訴えていた。

「…やっと,俺の任務が終わりそうなんだ」

一通り説明してある美樹には,この言葉で十分である。

「…本当に?」

「ああ。だから,多分今日限りだ」

「そうだったの…。おめでとう,お兄ちゃん」

彼女は事件の内容を知らないので,純粋に事件の解決を喜んだのだろう。

「さんきゅ」

「…でも,舞ちゃんはどうして急に帰っちゃったの?」

「中央学院は期末考査中なんだ。それが明日から始まるから」

「…なるほど。凄いね」

感心したのは,舞の勉強意欲にである。

 

───PM4:53,高崎署。

刑事課に来ると,内田が待っていた。

「西原さん,ご苦労様です」

「こちらが言わせてもらいたいな。よく見つけたな」

盗難車からの証拠探しは,24時間態勢で20人掛かりで挑んだ。その甲斐あって,ダッシュボードとサイドミラーから能島の微かな指紋が出たそうだ。

刑事課に入ると,全員が起立して敬礼した。

「ご苦労様です,西原捜査官」

課長は神妙な面もちでそう言った。

「いや,諸君等の協力に感謝する。ご苦労だったな」

彼はそう言って敬礼し返した。

「それにしても,妙に形式的なことをするんですね,池和さん」

「これは署長の指示で…」

「そう,私の指示で」

隣の休憩室から彼女が顔を出した。彼女も少し興奮気味のようだ。

「…奴は?」

「取調室」

彼女はそう言って壁の小窓を指さす。

聖志はその小窓から取調室を見る。座らされているのは,間違いなく中央学院教頭,能島英一である。その表情は何とも言えない感情を醸し出していた。どちらかと言えば計画に失敗した悔しさだろうか。だが,長年の計画に疲れた感じの表情にも取れる。

「…まだ何もしていないのか?」

「ええ,逮捕状を取るまではね」

どうやら彼女は盗難容疑ではなく,本件の逮捕状を彼に突きつけるらしい。ま,そっちの方が聖志としてもすっきりするし,それは能島にとっても同じである。

残念ながら聖志はJSDOの人間なので取調室で直接取り調べることは出来ないが,池和刑事を通じて被疑者に対して質問をすることが出来る。あくまでも聖志の任務は,彼がどういう理由で公金を横領し,何に使用するつもりだったのか,それを調査することである。逮捕までこぎ着けたのは,聖志の性格上放っておけなかったということと,警察とのリンクがあったからである。恐らく数日中には中央学院の上層部が入れ替わるだろう。そして,明日の朝刊には大々的に第1面に載ることは確実である。

30分後,地方裁判所からの逮捕状が届いた。罪状は大嶋水穂拉致及び殺害未遂容疑である。取調室に罪状を持って行った鍵川と池和,他数名の刑事によると多少はいいわけを持っているかと思いきや,いとも簡単にその事実を認め,その事件に関連のあった人物を全て自供した。

彼の供述によると,学校地下の遺跡を買収し現在の私立考古学研究所所長,大嶋淳次がこの学校を設立。現在の文部大臣小倉がこれに目を付け,文部省が直接その学校を買収し,そこに能島を送り込んだ。小倉は詐欺容疑で島根県警から出たばかりの能島の能力を見込み,手を組んでこの計画を持ちかけた。

学校地下にある遺跡は正式には旧七瀬遺跡といい,それを発見し,調査した考古学研究所のメンバーは日本でも珍しい古代文明の発祥地であると予想した。それを県の教育委員会の会議にかけたところ,たまたま訪問していた小倉の耳に入り,能島に指示を送り始めた。ところが遺跡調査をリードしていた所長の体調が思わしくなくなり,調査は中断されることとなった。それを知った能島は大嶋の娘である大嶋水穂を他県の高校から引き抜き,中央学院に就任させた。つまり,彼女を人質に大嶋所長を強請ろうとしたのだ。1人では困難だと判断した能島は,この計画に乗りそうな5人を使い,大嶋水穂とその周りの人間を排除しようと考えたのだ。

ちょうどそのころである,聖志がJSDO本部長垣川宗司からこの事件についての調査命令を受けたのだ。聖志が請け負ったのは公金横領の件である。それがJSDO諜報部に発見されたのは5月中旬だった。この情報は警視庁には入っていない。警視庁に行くと,法律でマスコミに報道しなければならないからである。

公表はされていないが,公金横領金額は1億8000万円に上る。そのほかにも,能島は島根県警に見つかるまでは結婚詐欺でかなりの額を巻き上げている。

何故そんなに金を欲したかというと,地下の遺跡を買収するためである。9年前,大嶋淳次はその提案に対して74億円を要求した。能島と小倉はその土地の買収に固執していたので,本当に資金繰りを考えているところであった。しかし彼は売却するつもりは毛頭なく,74億円という法外な値段を付けたのだ。だがその思惑は外れた。去年,能島は小倉の資金でその遺跡ごと買収しようと大嶋に交渉したが,大嶋は当然の如くそれを断った。それに腹を立てた能島は,前もって中央学院に就任させておいた大嶋水穂を使って強請り始めた。大嶋所長はこのことを恐れて,取りあえず買収の提案に対して頷いたものの,本当に資金を持ってくるとは思わなかったのだ。

大嶋水穂を人質に取っているものの,最初の拉致は聖志によって失敗に終わった。この後,取りあえずこの件に対して関与していない,岡田教諭が自宅での一時待機を命じた。人質が使えなくなってしまった能島一味は,今度は研究所の維持費である遺跡の情報を抹消しようと画策したのだが,それらは全てJSDOに妨害され失敗に終わった。

これが,この事件の真相である。最後は警察に協力いただいたが,聖志は自分の任務を果たしたのだ。

「西原さん」

取調室に行ったはずの内田刑事が刑事課の出口で手招きして呼ぶ。聖志はそれに答える。

「どうした?」

「今だけ入っていいそうですよ」

彼はそう言って取調室のドアを指さす。

あまり気が進まなかったが,聖志はそのドアの奥に入った。

入ると同時に,能島が顔を上げる。明らかに驚愕の表情を浮かべて。

「お,お前はまさか…!?」

向こうはどうやら聖志のことを知っているようだ。聖志は能島に学校内で直接の面識はない。

「俺がどうかしたのか,能島」

「あんたが西原なのか!?」

「よくご存じで,我が教頭」

彼は微笑と共に言った。

「…そうだったのか」

能島は諦めの表情が入った。

「どうして彼を知っているのか,その辺りから話して貰おうか」

能島の向かい側に座っている池和はそう言って話を促した。

聖志も是非聞きたかったので,手近なパイプイスに腰を下ろした。

能島は聖志の睨んだ通り,長瀬和義とは見知った友人関係だった。そこで彼にこの計画を持ちかけたところ,大嶋が利用できなくなった以上周りから固めるしかない。そこで,長瀬に前北靖子と事実上人質として入籍した。だが,長瀬の仕事が長引いたことと,突如中央学院の訪問があったために犯行が遅れた。長瀬はそこで聖志の情報を知り,能島に報告した。

教会での殺人未遂事件当時は能島にその情報はなかったが,その後情報が入ると聖志への攻撃を開始したのだ。妹である美樹の誘拐未遂事件,育ての親である星野警部殺害未遂,これらは全て能島の指示によるものであると自供し,同時に葉麻隆文を使って研究所に入ったのも自分であると話した。

葉麻隆文は,知っての通り日本コンピュータシステム株式会社社長である。また,考古学研究所のシステム設計責任者でもある。教頭の立場にあった能島は,生徒の中から今年入学したばかりの葉麻の娘である葉麻を発見。これをネタに葉麻を強請り,システム構成を説明させてデータを削除しようと目論んだ。

「場所は長瀬宅のあの部屋だな?」

池和の言葉に能島は頷いた。

状況だけを見ると確実に葉麻隆文の仕業である。そのための小細工をしたのが能島だったのだが,藤井との調査で全て解明された。

「…西原さん,質問等は?」

池和は首を後ろに回して尋ねた。

「ああ,一つだけ。…能島,長瀬を殺ったのはお前だな?」

その質問に,ただ頭を下げた。直接の凶器はベルトであると付け足した。つまり,絞殺以外の死因に見せかける必要があったのだ。これは他人に容疑を擦り付けるためであり,捜査を別の方向に向けるためだった。前北を殺したのも同様の手口。死因は絞殺,しかし前北靖子の血痕のついた包丁がキッチンに放置されており,しかもそれには長瀬の指紋が付いていた。犯行を犯したのは能島である。残ったキッチンの包丁は,捜査の方向を長瀬にし向けるための小細工だったのだ。

聖志はようやく謎が解けたのと同時に安心した。

「…我が校の埃だよ,貴様は」

聖志はそう言い残し,部屋を出た。

彼は刑事課に戻った。

「どう? 実物は」

変な感想を聞かれ,聖志はただ首を横に振った。

時計を見るといつの間にか7時近くになっている。

「…あとの処理はこっちでやってくれるのか?」

「ええ,任せて」

鍵川は嬉しそうにそう言った。手柄は結果的に全て警察側になったのだから。

聖志は少しうなだれた表情で,

「じゃ,警視」

そう言って敬礼した。

「…はい。またね」

聖志は隅のソファに掛けて置いた上着を持って,刑事課をあとにした。

署を出ると,ちょうど巡回に回っていた星野が戻ってきた。

「星野警部」

「西原さん,やっと解決しましたね」

「ああ。ご協力,感謝する」

「微力ながら尽くしましたよ」

そう言いながら一礼し,別れた。

 

───7月2日。

たった3日という短い臨時休業のあと,授業が始まった。期末考査の予定だったが,一段落つくまで延期となった。昨日の夜は何も考えずに眠ってしまった聖志にとっては好都合だった。

当然というか,やはり今朝の朝刊にはあのことが載っていた。朝早くから全校集会が開かれた。これはPTAも参加し,校長,教頭なきあとの生徒指導部の教師がひたすら謝っていたのはなかなか滑稽な姿であった。

授業は半日で終了した。恐らく教師達はあの事件の事後処理に追い回されることだろう。そういえばさっき正門前を見たとき,マスコミのカメラとインタビュアーが山のようにいた。

───さて,岡田教諭はどういう会見をするのかな…?

そんなことを,誰もいなくなった教室でぼけーっと考えていると,

「…まだいたか」

「やはり来たな」

藤井が教室に入ってくる。

「…藤井は事後処理はしなくていいのか?」

「俺は捜査員だからな」

───…単に逃げただけだな。

「それより,昨日高崎署へ行ったか?」

「俺は行ってない。特に行く必要もなかったからな。俺の任務はお前の動きを逐次報告することだったからな」

「そんな地味なことやってたのか」

「悪かったな,地味で」

藤井は平本の椅子に座り,足を組んだ。

心地よい風が教室を吹き抜ける。

「…あの遺跡の扉はどうなった?」

「今朝早くに警察が封印しに来た。もうあの扉は開けられない」

藤井に聞くと,コンクリートを流し込んで,完全に埋めてしまったそうだ。これはもちろん大嶋の許可付きである。旧七瀬遺跡はその姿を晒すことなく,地に眠ることになった。

「そうか。中槻のマークはもういらないな」

「ああ。…出るか」

聖志はそう言って鞄を取った。

2人は廊下を歩き,昇降口へ向かう。

「報道陣にはどうするんだ?」

「ああ,岡田先生が報告するみたいだ」

やはり,最後には彼が締めることになるようだ。学校側としても,一番信頼の置ける人物を選出したようだ。

「あ,今日は大嶋先生が来てたぞ。挨拶して来いよ」

「…別にいいだろ。あまり気が進まないし」

「そうか。じゃあ俺はやることがあるから」

「ああ,お疲れ」

聖志はそう言うと,1人昇降口へ向かった。

靴箱から自分の靴を取りだし,履き替える…と。

「随分遅いわね」

「大嶋さん」

彼女は学校の校医に戻ったようだ。

「…ようやく本来の仕事が出来るわ」

「そうみたいだな。いいことだ」

「…お父さんも喜んでたわ」

「ま,そうだろうな。残念だが遺跡は埋まってしまったけど」

「それはお父さんが自分から言ったのよ。あんなものがあるから悪いんだって」

彼女は少しおかしそうに言った。

「考古学者ならざる台詞だな…。取りあえず一つ,重荷が下りたというところだな」

「ええ」

そう頷いたあと,少し表情を堅くして,

「…一つ聞いていい?」

「ん?」

「……高校生よね?」

聖志は少し考えたあと,

「ああ。間違いない」

そう,はっきりと答えた。