この物語はフィクションです。
暑い日だけど,涼しい風が吹き抜ける日曜日。ボクはお母さんに言われたとおり,家周りの掃除をしていた。
―――今日はみんなと遊びたかったのに…。
別に約束がある訳じゃないけど,いつもの広場にいけばみんな集まってくる。
「はあ…」
ため息をつきながら,ふとお隣さんの家を見る。ボクと同じ背丈のフェンスの向こうにちょっとしたお花を育てるビニールハウスみたいなのがある。いつもはおばあちゃんが水やりをしてるんだけど…いつもと違うみたい。おばあちゃんより少し背が高くて,細い体と,紅くて短めの髪の毛。
―――あ,お姉ちゃんだ。
今より小さい頃に何度か会って,それっきりだった。隣のおばあちゃんに聞くと,お姉ちゃんはお勉強しに遠くの町へ行ってるって言ってた。あれからずいぶん経ってる。
ちょっと見ていると…。
―――。
目が合っちゃった。
な,なんか恥ずかしい。少しどきどきしてる。
お姉ちゃんはそこから出て,
「もしかしてマイケル君?」
フェンスの向こうから呼びかけてくれた。
「う,うん」
恥ずかしいけど,思わずほうきを放り出してフェンスのそばへ走った。クリーム色のズボン,ライトグリーンのシャツと白い上着…ボクが覚えてる,優しげな感じ。
「あは,大きくなったね。元気だった?」
お姉ちゃんは優しい笑顔でボクの頭を撫でてくれた。
「う,うん。士学生[1]なんだよ?」
「ちゃんと勉強頑張ってる?」
「うん!」
「そっかぁ,偉いね」
そう言ってまた撫でてくれた。
「あの,お姉ちゃんもお勉強忙しいの?」
「ええ,頑張ってるわよ。今日と明日はお休みなの」
フェンスの上から見下ろすお姉ちゃんは,目を細めてボクをかわいがってくれる。
「マイケルー,お掃除終わったのー?」
ボクの夢のような時間を切り裂いたのはお母さんの声だった。
「もう…まただよ,あのオニババア」
「こーら。だめよ,そんなこと言っちゃ」
少し厳しい顔になってお姉ちゃんが怒った。
「だって…」
「マイケル君,士学生になったんでしょ? 言っていいことと悪いことはちゃんと区別しないとダメよ」
「…うん…」
すると,お母さんが勝手口から出てきた。
「あら,こっちにいたのね。…あら」
お母さんがボクとお姉ちゃんを見る。
「クレアちゃんなの?」
「ご無沙汰してます,おばさん」
「あらぁ,見ないうちにずいぶん綺麗になったじゃない。お元気そうで何よりだわ」
「いえ,そんなことないです。おばさんもお元気そうで」
お姉ちゃんは少し照れた風に微笑みながら,お母さんと話した。
「その後どうなの? 選抜されそう?」
「まだ分かりません。でも,多分いけそうです」
「そう,よかったじゃないの」
お母さんはそう言ってクレアお姉ちゃんの手を握る。
「辛いこともあるだろうけど,頑張るのよ?」
「はい,ありがとうございます」
「マイケルも,ほら」
何がなんだか分からないけど,お母さんが振ってきた。
「うん…おめでとう,お姉ちゃん」
「…ありがとう」
自分で言っていて,お礼を言われたんだけど何のことか分からない。
「今日はまだいいの?」
「はい。明日まで休暇をもらっていますから」
「だったら,久しぶりにうちで食事なさいな。新しいメニュー,考えたのよ?」
お母さんはいつも以上の笑顔でお姉ちゃんにそう言った。
「いいんですか?」
「何言ってるの,昔のクレアちゃんは遠慮なんかしなかったわよ?」
「それじゃあ,お言葉に甘えます」
その日はお姉ちゃんと一緒に夕ご飯を食べた。いつもより豪華なご飯で,ボクももの凄くたくさん食べた。お姉ちゃんも,すごくおいしいと言って食べていた。
ご飯の後はリビングでたくさんお話しした。そのうちにボクは眠くなって,お姉ちゃんのお膝でいつの間にか眠っていた。
ボクが気付くと自分の部屋のベッドだった。部屋の明かりがついてないのに,なぜか明るい。
少し気になってベッドの上の窓の外を見ると,隣の家の玄関口におっきな車が来て,そこから3,4人ほどの人が出てきて,最後に男の人が出てきた。
そしてしばらくすると,お隣さんの家の玄関が開いて,大きな鞄を持ったお姉ちゃんが出てきた。
昼間とは違って紅いズボン,紅い上着を着ていた。すると車から出てきてた人たちが,お姉ちゃんに向かって気をつけして,肘を曲げて,手をおでこのあたりに持っていった。その後でお姉ちゃんも同じことをした。
それが終わると,最後に出た男の人と,家から出てきたおばあちゃんが何か話をして,最後に握手した。
―――。
ボクはとっさに窓を開けて,
「おねえちゃーん!」
そのボクの声に,周りにいた人たちが一斉に腰に手を持っていった。でも,お姉ちゃんが何か言って周りの人たちはすぐに元の位置に戻った。
お姉ちゃんは振り向かないでそのおっきな車に乗った。その後,周りの人がみんな乗ると,おっきな車は走って行ってしまった。
次の日,ボクは隣のおばあちゃんに,お姉ちゃんはどこへ行ったのか尋ねた。
「これを読んでみなさい」
おばあちゃんは白い封筒を一つボクに渡してくれた。
―――急にこんなことになってごめんね。予定が変わっちゃったの。
一日だけだったけど,マイケル君に会えてよかった。大きくなってたよね。私もマイケル君を見習って頑張るからね。
もし私が生きて帰ることがあったら,また私に会ってね。お母さんの言うことしっかり聞いて,お勉強頑張るんだよ。
それじゃ,またいつか会おうね。
PS.マイケル君のこと,大好きよ。
少し急いだ感じの筆記体だった。
あれから6年,俺は隣の家に彼女を見たことはない。今もおばあさんは健在で,いつも俺に優しくしてくれる。
「あの子が帰ってこないことが,あたしの生き甲斐なのよ」
たまの会話で出てくる言葉だ。
俺は今でもあのときの会話を覚えてる。
「お友達はできたの?」
「友人と言えるほどの人はいませんけど…あそこは気に入っています」
「恋人はどう?」
「…まだ,できそうにないです。私,恋愛できるのかな…」
「大丈夫。あなたぐらい綺麗なら軍隊の男なんてイチコロよ。あなたの良さが分からない男なんてよほどの馬鹿よ。現にマイケルもあなたのこと,大好きよ」
「うふふ…ありがとう」
俺はあのとき,頬にキスされたのを感じた。…思えば,あれが俺の初恋だったのだろう…。
○あとがき
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
このお話は,あるながーいお話の一人物を取り上げて,思い付きで書いちゃったものです。本編をアップしていないので,この人物がどういう役割の人間かは全く分からないと思いますが,本編抜きで少しでも楽しんでいただければありがたいと思います。