この物語はフィクションです。

 

 

―――市内最大の繁華街。

誰もが振り向くであろう高級ファッション店。色とりどりの,完璧にディスプレイされた流行の洋服がショッピング街の若者の購買意欲を刺激している。

休日の昼間だけあって人出はかなり多い。はしゃぐ子供たち,幸せそうな家族連れ,日頃の鬱憤晴らしに集まる若者,休日に羽を伸ばす人々。繁華街のあるべき姿がそこにあった。

だが,一体誰が次の瞬間を予想しただろうか。

ガッシャアアアン!!

目と鼻の先にある前のガラス張りの店舗が,真っ赤な炎を上げて内側から吹っ飛んだ。綺麗にディスプレイされていた洋服とアーケードの屋根がバラバラになったガラスとともに宙に舞う。

聖志は反射的に横に飛び,逃げまどう人々の間をすり抜け,手近な建物の陰に身を隠し懐からグロックを取り出す。それと同時ぐらいにさっきまでいた通りに,大音響とともに銃弾がばらまかれ始める。

―――数攻めか。

ババババババババッ!!

耳をつんざく音と狙いを定めずただ銃弾をばらまくだけの無駄な行為だが,少なくとも威圧感はある。だが当然ながら聖志は慣れっこなので全くと言っていいほど効果はない。そんなこととはつゆ知らず,彼等は更に他の建物も破壊し始める。煌びやかなショッピング街はたちまち戦場と化し,鉄と硝煙の匂いが充満してきた。

聖志は慎重に様子を見ながら一人ずつ敵を倒そうと考えるが,はっきり言ってきりがないしすぐに蜂の巣にされるだろう。

―――…30はいるか。

大体の目測だがそう大きくずれた人数ではないはずだ。…と,通りを挟んで向かい側にも建物間の路地があるのが視界に入った。

 

聖志と敵を挟んで反対側の建物の影に,同じように俺は待機していた。

―――そろそろ動くか。

予定通り敵は聖志に食いついた。敵が乱射している間は外に出れないのでそのまま待機。

―――と,その刹那,

ババッ!!

グロックから発せられた2連射の銃声の直後,俺はM16を膝立状態で素早くボルトを引きながら構え,セーフティを外し,スコープを覗く。次の瞬間,聖志が左側の路地から横転しながら飛び出て来る。それに呼応し,敵が一斉にそちらを向く!

一射線上に7人が並ぶ。徹甲弾で一撃だ。

―――今だっ!

完璧なポジショニング,完璧のタイミングだった。

…はずだが。

カチッ。

―――あれ?

トリガーを引いた瞬間の,来るはずの心地いい反動が来ない。

その一瞬の間に聖志が飛び込んだ路地が蜂の巣にされた。当然生きているはずはなかった。

作戦失敗。

―――あ〜あ。

聖志が死んだ。

俺はがらくた同然のM16を担ぎながら立ち尽くした。

 

「お前,真面目にやってんのかっ!!」

シミュレータを無事終え,開口一番右隣の席で聖志が俺に向かって言い放ったのがそれだった。珍しく激怒している。

「俺が死んだぞ!!」

俺が見た最後の映像。建物の陰だったが,見事に敵小隊に蜂の巣にされていた。

「9パラのシャワーだったな」

9パラってのは,敵が使ってたマシンガンの弾のこと。

「だったな,じゃない!!」

―――まるでゴジラだな。

字の如く火を吐くように怒っている聖志を見ながら,俺は自分の中で満点と思えるほどの想像をしていた。

「弾切れだなんて間抜けもいい所だぞ!」

「ハハ,だよなー。俺も漫画かと思ったよ」

無意識に手が頭の後ろへ行った。

JSDO地下施設での戦闘訓練シミュレータにおける訓練の一つ,小隊単位の敵集団を迎撃する作戦。

とりあえず分かると思うが,今のは聖志が敵を誘導しつつ,俺のライフル射線上に敵を一直線に並べた上で敵の頭を徹甲弾でぶち抜くという策だった。本来ならもう少し離れた所からやるものなのだが自分の命中精度と経験,尚かつ聖志との連携を考慮に入れるとこういう初歩的なものにコンピュータが勝手に判断した。だが想定以上のへぼいミスをしてしまったのだ,俺が。

「だからお前はいつも俺の下なんだ」

―――なにっ!?

聖志が涼しい顔をしながら聞き捨てならない言葉を言った。

一応JSDO捜査官にも階級というものが存在する。軍隊ほどはっきりしたものではないが,企業などの上司と部下,という感じだ。俺が課長なら彼は次長,俺が次長なら彼が部長。

…まあ要するに,俺の方が階級が低いわけだ。“年上の”この俺が。

「だからってどういうことだよ」

温厚な俺もさすがにカチンと来た。

「つまらないミスをしてるからだ」

「いつもしてる訳じゃないだろ,俺だって調子の悪いときぐらいある!」

「確かに,いつもじゃないな。たまにだ」

彼は腕を組んで呻った。

その通り,いつもじゃない。物わかりがいい上司じゃないか,年下の上司め。

「だが,そのたまたまが実戦で起きたらどうする?」

「そこまでアホじゃない」

「今のが実戦だったら俺が死んだぞ」

「今のは訓練だろ。無意味な仮定はするなといつも言ってるのはお前じゃないか?」

「俺が言う無意味な仮定は,アメリカマフィア級の凄い奴を仕留めたらどうするとか,女優のボディーガードに雇われてその後恋に落ちて結婚したらどうするとか,そういう類のことを言ってるんだ」

「んなアホなこと誰が…」

―――って俺が言ってることじゃないかっ!

俺がミスして聖志が(シミュレータ上だが)死んだのは今回だけじゃない。パートナーを組んで早半年,確か4,5回は死んでる。

聖志も経験は浅いものの個人成績ではかなりいい成績を残している。

片や俺はたまに肝心な所でつまらないミスを起こす,聖志に言わせれば“本番に怖いタイプ”だ。訓練中は,自分で言うのもなんだがそれはもう素晴らしい成績を収めている。さっきのを見て貰っても分かるように聖志のアクションを見てからのポジショニング,タイミングは完璧だ。誰がなんと言おうと完璧だ!

「だから心配なんだ」

シミュレータでいい成績を残せても実際は違うと言う。それはよく分かるんだ,俺だってバイクの運転免許で経験済みだ。だが俺ははっきり言って年下に怒られるのは好きじゃない,決してM属性じゃないっ!

「いいだろ,お前は死んでないんだから!」

「いつも言ってるだろ,普段から銃のメンテをしろって」

いや,それ以前の問題だぞ…弾切れって。

聖志は年上の俺の顔を見ながら溜息を吐き,

「一度お前の個人技を見てみたいものだ」

少し悪戯顔で彼が呟く。

「俺の成績ぐらい知ってるだろ?」

「ああ。完璧だ」

彼の証言通り,俺は完璧だ。接近戦で俺に勝てる者はいない!

―――ん?

「ってことは,…お前が悪いんじゃないのか?」

俺の言葉に聖志が一瞬止まる。

「俺が?」

そんなバカなことがあるものか,俺は長官に抜粋されたんだぞ…と言っているように彼は聞き返した。

「いくらお前が抜粋されたと言っても,ただのコネかも知れないぜ?」

「…」

俺の言葉を聞くと,彼は考えた。少し冗談が過ぎたかと俺が思う間もなく,

「じゃあ少しの間だけ個人行動にしよう」

「ぅあ?」

思わず変な返事をしてしまった。

「お互いに個人行動さ。パートナーなしの方が効率いいかも知れない」

「ちょっと待て,冗談だ」

「いや,いい機会だ。それに単独行動時のデータも採取できる」

―――こいつめ…。

確かにそういう機会も必要かも知れないが,聖志が意地になっている可能性が高い。ここは年上の俺が一肌脱がねば。

「確かにいい機会かも知れないが,俺が実戦で失敗するかも知れない。その時のサポート役はやっぱりいるんだ」

どうだっ,俺が折れて尚かつ聖志が必要であることをアピールしたぞっ!

「心配なら本部長に言って誰か付けて貰え。俺は単独行動するから」

聖志はシミュレータ席を立つと,そのまま部屋を出て行ってしまった。

―――ま,そりゃお前なら単独行動もできるかもな。

俺は彼の背中を見送りながら素直にそう思った。

―――…だが,シミュレータと実際は違う。そう言ったのはお前だろ?

 

2日後,俺は普通に学校への勤務だ。当然聖志も学生としての義務を全うしにやって来る。

ブオオオオン!

午前7時50分。

心地いい吹き上がりを感じながら俺は愛車を駐輪場に止めた。フルフェイスメットを脱ぎ,グラブを外す。秋の清々しい風が少し火照った顔を冷やす。

―――ホンダVFR750F−2。

年式としては多少寂れ,今ではとんと見かけなくなったが俺は気に入っている。

コイツを手に入れてからというもの,自動車がうざくて仕方ない。助手席に乗るのなら別にいいのだが,あのめんどくさくて気を遣わなければならない物体を俺自身が運転するなんて考えたくもない。まあ雨の日はちょっと苦労するが…渋滞が無関係だし,何よりあの風を切って走る快感,まるでマシンが手足のように自由自在に動く感触。車じゃ絶対味わえないだろう。まあゆくゆく車の免許も取らされると聞いたが…それも仕事の内だ。

正面玄関から校内へ入り,職員室へ到着する。いつもの面々に挨拶をした後職員会議が始まる。はっきり言って俺に関することなどないに等しいので適当に聞き流しておく。

俺は今年4月からこの高崎市周辺を含む範囲の捜査官として配置された。勿論学校含め周囲の人間は知らない。現在の主な任務は聖志のサポート。いざとなれば盾となれとまでは言われてないが…

―――君の腕を信頼してのことだ。

そう言って本部長が俺の肩を叩いたときの目は,そんな訴えがあったような気がする。何故そこまで聖志を可愛がるのか俺にはまだ分からないが,いつか分かるときが来るのだろうか。まあ俺よりは頭が切れそうなのは何となく分かるが。

職員会議がそつなく終了し,1限目の授業に向かう。化学の担当だが,俺が化学を教えるということになってしまっているのに気付いたのは,指示が来て数日が過ぎたときだった。まだ1週間近く余裕があったので必死で勉強した。あんなに勉強したのは……いつ以来だっけ?

そんなどうでもいいことを考えながら西校舎にある1年生の教室へ。

―――今日は1−Fから…。

1年F組は聖志が所属している…とは言え,聖志がまともに俺の授業に出るとは思えない。そう,彼は言う所の態度の良くない学生だ。他にいないわけではないが,彼はかなり極端だ。出る授業が決まっており,当然彼が興味を持ったものだけだがそれらの授業は問題ないし,試験もそつなくこなしている。…つまり,俺の授業には全く興味がないってわけさ。ここだけの話,俺だって興味ない。

しかしその定理があるにも関わらず,

「おはよう,席に着けよ」

F組のドアを開け教卓に向かうと,窓側の席前から3列目が珍しく埋まっている。出席を取るときに聖志と目が合う。

「お前,なんでいるんだ?」

思わず聞いてしまった。それとともに教室が沸く。

「寝床が濡れてたから」

「お前,保健室で寝るんじゃないのか?」

「大嶋先生が煩い」

「あのな,あの先生はいいぞ。可愛さでは抜群だ」

「じゃあ先生が寝てれば?」

「ああ,そうする…じゃない」

軽い冗談を交えながら授業をするのがマイブームだ。例え笑えなくてもそれを入れることによってクッションになることが最近分かったのだ。

珍しく聖志がいる教室で授業が進んだ。聖志の学校での態度は恐らく悪い方に入るのだが,俺は聖志の教育係を命じられているわけではないので野放しだ。彼は彼なりにやっているようなので変な茶々は入れないことにしている。

チャイムと同時に,いつもとは多少の違和感がありながらも50分の授業を終える。生徒の声が響き,挨拶をする。

ふと視線を感じた。聖志以外の人間からは感じない,“仕事だ”の視線。俺には上からの連絡がなかったので,どうやら本当に単独での行動を開始するようだ。

―――面白い,お前の働きとくと見せて貰う。

散々言いやがって全く…という気持ちもなきにしもあらずだが,彼の好きにさせてみてどういう結果が得られるか,という楽しみもある。

そういう訳だったので俺は傍観者を決め込んでいたのだが,昼休みに入ってすぐに本部長からの電話連絡が入る。一応人目に付かないように体育館脇へ移動し,こちらから掛け直す。

「藤井ですが」

「ああ,早速だが…」

本部長は挨拶もそこそこに任務内容を話し始める。…と,よくよく聞いてみると。

「つまり,聖志の援護をせよと?」

「ああ」

「ですが彼は単独行動では…」

「無論,君は彼に気付かれないように援護しなければならない」

「どうしてそんなに回りくどいことを…」

「君も分かるだろ…彼の単独行動によって,どれほどの成果を上げることができるかを測ることができる。よって君は彼の生死が関わるときにしか援護をしてはならない」

―――縁の下の力持ち…いや,もっと見えない所か。

確かに生死以外の部分を彼に任せる訳なので純粋に近いデータが出るかも知れない。同時に俺の支援力も試されるというわけだ。だが彼の行動は時にパートナーである俺でさえも裏を掻かれることが多い。当然ながら俺には知らせてくれるのだが,完全に対応しきれない場合もないではないのだ。

「それで,彼の任務とは何です?」

「ある人物の調査だ」

「…調査,ですか」

直接銃撃戦に繋がるものではないが,こういう組織の調査対象は並の人間ではない。例えて言うなら○○組の××とか,△△議員事務所の☆☆議員秘書など,それはもう濃い影がありそうな奴らばかりだ。

―――んなことできるのか,あいつ?

「まあレベル的には大したものではないが,彼も調査は初仕事だ。腕試しにはちょうどいいだろう。君の出る幕はないかも知れないが,一応指示しておく。銃は自宅に送ってある」

「…分かりました」

こうして俺は無理難題を本部長から言い渡された。

 

放課後。

悩む藤井をよそに,聖志は午前の授業中に指示された任務内容を確認していた。

ターゲットは最近ネット界で話題持ちきりのハッカー。犯罪者ではないが,JSDO的資料としてその人物を特定しておきたい,とのことだった。

―――…大丈夫かな?

一抹の不安を抱きながらも与えられたからには任務を遂行しないと本部長の信頼を得られず,また功績も挙げるチャンスを自ら放棄したことになる。

久しぶりにPCを起動させ,ターゲットがよく出没するらしい,指定されたUG系チャットに入る。

“ベルリンの壁”

なんだかよく分からないサイトだ。お決まりで背景真っ黒のサイトかと思いきや,かなり明るい配色がなされており,タイトル通りベルリンの壁の背景画像と,よく分からないクラシックが流れている。コンテンツはいくつかあり,メインのチャットと掲示板,管理人のプロフィール,お決まりのプロキシサーバ情報などがある。初心者もかなりいるような会話が繰り広げられている。

様子見のつもりでメンバー入りするといきなり,

「初顔だな」

ある一人が自分に話しかけてくる。ハンドルネームは“ex”と書いてある。

「いい部屋あるって聞いたもんでね」

聖志がそう答えると,彼は1対1で話すよう促した。

―――まあ,こういうもんか。

「君もそういう人か?」

「駆け出しだけど」

「アレは経験と慣れだ」

別に“ハッキング”の文字を出していないのだが,相手はかなりの技量を持っているようで,あの銀行はどうだとか防衛庁は…などと,体験談やら推測やらをどんどんぶつけてくる。

「そんなにべらべらと喋って良いのか?」

「別に,悪いことしてる訳じゃないし。変な機関に目を付けられた程度さ」

―――コイツ,本人だ。

聖志は一発で確信した。しかもJSDOに察知されたことを分かっている。

「変な機関って?」

「警察に付随する感じの所みたいだな。まあどうでもいいけど」

…字で見ると,ほんとにどうでもいい感じがするな。だが恐らくコイツはJSDOの存在と,どういう組織なのかを把握している気がする。

「君は学生?」

聖志は何気に身分を確認するが,

「人に身分を聞くなら,自分から言えよな」

相手はそう言い返してきた。こういう所はしっかりとしているようだ。

「学生さ。中央学院ってとこ」

「電車使って?」

「いや,歩いてる」

つまり,身分証明と住所特定をしたわけだ。

少し言葉が詰まりしばらく待ったあと,

「なるほど,君ほど正直な奴は初めてだな」

当然,技量の差がこれだけ少なくて,という言葉が略されている。

「君はかなりの技量持ってるからな,下手な嘘は吐かないさ」

またもや会話が止まり,

「直接会わないか?」

―――は?

「急だな」

「いいだろ? 興味沸いたのさ」

このチャンスを逃す手はない。聖志はexをターゲットだと確信していたのだ。しかも,調査するなら直接会うのが一番だ。いくら何でも自分が調査員だとは分からないだろう…。

そう踏んだ聖志は,

「分かった。いいぞ」

「じゃあそうだな…田先駅でいいだろ?」

田先といえば,聖志の住んでいる場所から駅2つ先だ。

―――コイツ,案外近くにいるのか…それとも合わせただけなのか?

とにかくこの任務はexの行動を把握することである。別に悪いことをしているわけではないので逮捕やら拘束やらするわけではない。だが十分に警戒する必要はある。

その後,次の土曜に会う約束をすると彼は会話を抜けてしまった。

だが聖志はこの時重要なことを忘れていた。

―――どうしてexが聖志にピンポイントでコンタクトしてきたか。

 

次の日,とりあえず俺はシルバーのコルト[i]をいつものジャケットの内側に忍ばせて勤務した。実銃を持って勤務するのは初めてではないが,やはり気持ち緊張するものだ。

―――彼の命は君に預けてある。

本部長からの再三の言葉だ。

正直そこまで信頼されるのもプレッシャーだし,どうやら本気で他の応援はない。まさに自分の腕が試されるのと同じなのだ。恐らく聖志は昨日から任務に入っているはずなので,彼から目を離してはいけない。

…本部長も無茶なこというよな…。

護衛任務なら護衛相手の行動を知っていて然るべきなのに,その聖志に行動内容を尋ねられないのだ。逐一本部長に報告するわけではないし,行動内容を知るのは本人かもしくはパートナーだけだ。聖志は自由に動けるが,俺はそうはいかない…なんて効率の悪い任務だ。

…ん,待てよ?

本部長は,聖志に自分の任務を知られてはいけない,と言っただけで別に聖志の任務内容を確認してはいけないと言ったわけではない。つまり,聖志にバレなければそれでよいのだ。

そうとなれば彼に聞くしかない。授業を適当にやり,昼休みまで待つ。

そして昼休み,俺は手早く買った昼食とともに,ようやく慣れた学院内を歩く。聖志は大体屋上か体育館脇に出現するはず。当然ながら屋上は立入禁止なのだが,どこで手に入れたのかスペアキーを持ち出し,しかもその合い鍵を作りやがったのだ。学校教師としては注意するべきなのだが俺は目をつぶっている。

―――いた。

ソーラーシステムの向こう側,ツタの絡まる屋根の下に木の椅子とテーブルがあり,空中庭園を演出してる。所詮飾りだが,見た目は映える。その向こう側のフェンスの下に彼はいた。秋の風に吹かれながら,屋上の視界が最も良い所でくつろいでいる。しかも職員室の辺りからは完全に死角だ。

「今日のメニューは何だ?」

俺はそう言いつつ聖志に近付いた。

「いつもと同じさ」

それを聞きつつ,彼の隣にしゃがみ込む。

「何か用か?」

「一応,どんな任務を負ったか知っておきたいからな」

彼に直球で尋ねる。

「今回は単独行動だって言っただろ。お前が知る必要はないぞ」

「それぐらい聞かせろよ。単独行動は上からの命令だし,俺が割り込めるわけ無いだろ」

紛れもない事実だ。それを確認した彼は,

「ハッカーの正体を探れだとさ」

と,暗号で返してきた。

「お前な,日本語で言ってくれ」

「言ってるだろ」

「ハッカーって何だよ?」

俺がその疑問を口にした瞬間,彼はパックコーヒーのストローを口に付けたまま固まった。

「ん? おかしなことを聞いたか?」

「…いや。ハッカーってのは凄い技術を持ったコンピュータエキスパートのことだ」

「…あ,そういや聞いたことあるな。パソコン使って他人の住所調べたりする奴等だろ?」

映画やらで聞いたことがある。

「お前な,どこで聞いたかしらんが…まあいいか。あるハッカーがいるから,そいつの正体を調べろとのことだ」

聖志はハッカーの説明を省いた。―――面倒なのかよ。

「進み具合はどうだ?」

「週末に会うことになった」

「…正体が割れたじゃないか」

「会っただけで正体が割れるか,俺は奴のことは何も知らないぞ」

「会えるなら知ったも同然だろ」

「バカか,影武者をよこしたときはどうするんだ?」

―――なるほどそうか…そこまで考えが及ばなかった。

「そこまで正体を隠すか?」

「そこまでしてるから,今まで正体がばれてないんだ」

―――まあ確かにそうかも知れないな。

「それで,お前の任務は何だ?」

聖志が鋭い切り返しをしてきた。

「…俺はフリーさ」

少し言い遅れたのはジャムパンにパクついていたため。

「そうか,今のうちに休暇を楽しんでおけ」

―――やたら口調が強いな。

まあいつも通りと言えばそうなのだが,何か突き放した感が伺える。まあこんなガキに心配して貰わなくても大丈夫…というか,コイツ心配だ。

「そうだな,そうしよう」

―――それが,そうも行かないんだな。

俺は残りのパンを口に詰める。

その間,沈黙が辺りを占めた。心地よい秋風が吹き抜ける音だけが耳を支配する。特に気まずくもない,俺達の間に流れる沈黙の時間。無駄口は叩かない聖志と話があまりうまくない俺が並ぶと,当然の状況だ。だがこの状況を気にしないのが俺達。

「どこで会うんだ?」

「田先らしいが」

「そんな近くか? この辺の人間じゃないんだろ?」

「それを調べに行くんだ」

「まあ,油断はしないことだな」

俺はさりげなく言うと,立ち上がった。

「ああ」

 

―――2日後,田先駅。

予定通り俺は聖志のあとを付けてきた。

―――この歳になってストーカー紛いじゃねーかよ…。

まあ任務なので仕方ないが,是非ともこれ以降は勘弁して欲しいものだ。何せ聖志はやたらと勘が働くから,下手な行動をすれば俺の正体が割れる。

土曜昼間ということで駅構内はかなり人出が多い。聖志はそんなに背が高い方ではないので,うっかりすると人混みの中に紛れて見失いそうだ。ホームから改札に降り,駅前バスロータリー付近で聖志は携帯を取り出した。どうやらそいつとコンタクトを取っているようだ。聖志はしばらく話し,その後黒いタクシーに乗り込んだ。それを見た俺は急いでタクシーを探すが…ない。

―――とっとと追わないと分からなくなるぞ…。

今回は何もサポートがないのでここで見失うとまずい。そう思った俺は無意識にロータリー横の駐輪場に目をやる。…1台のバイクを発見。その向こう側では黒いジャケット姿の男が自販機に向かっている。当然キーはささったままだ。

―――ホンダのシャドウスラッシャー[ii]…年式は2000か。

ち,若いのがこんないいもの乗りやがって…。

ここは権力を行使して…もとい,緊急事態にて拝借しよう。…てなわけで。

俺は風の如く素早い動きでその黒いバイクに近付き,右側から無理にまたがりつつメットを装着。

ブオオオオン!!

「おい,何して…」

男が自販機で何を買おうか悩んでいる隙にアクセルの具合を確かめると,一瞬でクラッチを繋ぎ,

キキッ,ブオオオオオオオオオオオン!!

たらたら文句を言う一般人の声を掻き消し,一気に加速。黒いタクシーを追うため車道に出る。自分のマシンとは排気量が違うので加速は思ったほどではない。だがこの座り心地は気に入った。他人のものだが一人悦に入る俺。

―――やっぱいいねぇ,バイクは。

まあ一応任務なので爆走はせずにタクシーを追尾すること20分弱,小さな埠頭に出た。タクシーは倉庫街の手前で止まった。俺はとりあえず手近の倉庫の陰に隠れ,バイクを止める。聖志を降ろしたのか,タクシーは走り去って行った。

―――こんな所で待ち合わせとは…ハッキリ言って埠頭なんてドンパチ場所じゃないか。よく刑事ドラマであるし…。

まあ俺の定番の予想図はおいといて,聖志の居場所をつかまないと。タクシーが止まっていたあたりを見ると聖志は再び携帯を取り出し,なにやら話しながら移動を開始した。俺は内ポケットのコルトを確認すると気配を消しながらその後を追った。

 

―――こんな所に呼び出すとは…。

半分予想,半分驚きで倉庫街を見る。

“D5番倉庫だ”

電話でそう答えた声は明らかに変声器を通したものだった。まあハッカーだし,ハッカーと名乗って置いて実際に会うにはそれ相応の警戒を抱くものなのだろう。念のためにグロックを持ってきたが,使う機会がないに越したことはない。

マガジンをチェックすると後ろのホルダーに入れ,倉庫の間の狭い道を歩き始める。海からの風が狭い通路を吹き抜け,その風音と無人の静けさが昼間にも関わらず不気味な雰囲気を作り出している。

―――ジャリッ。

ガラスの破片と砂が混じった道を歩くこと数分,ようやくD5番倉庫を発見した。

割れた窓ガラス,立て付けの悪いドア,錆び付いた鉄板など,見たところどうやら稼働していないらしい。ここにいるといっていたはずだが…。

―――まさか中か?

そう思っていると,

「西原か? 中に入ってくれ」

と,誰かが呼びかけた。

そのとき,俺はためらいなく倉庫の中に入った。

―――しまった!

そう思ったときには時遅し。

こちらの正体が割れていることに気付かなかった。

「のこのこ出てくるとはな,JSDOも大したことないな」

咄嗟に腰のグロックを握るが,

「9パラでは俺を倒せない」

さらりと言いのけた奴が目の前の闇から出てきた。西日に照らされている光線状の砂埃を遮りつつ…。

―――こいつ,どこまで知ってる!?

数メートル前に立ち止まったが,奴は丸腰だ。

―――なるほど,こちらの銃弾を知ってこその装備という訳か。

「あんたがexか」

「そうさ」

答えた奴は身長170前後,少し太め。見たところ機動性は低い。

「何で俺の名前を知ってる?」

「有名だぜ,あんた」

彼は西日差し込む窓の方に立ち位置を取りつつ話す。

「JSDO2級捜査官・西原聖志だよな」

確かによく知っているようだ。自分の名前を呼んだあたり,恐らく普段から情報に接していたのだろう。それに携帯している銃弾まで知っている…。

「…長官に抜粋されたんだって? よほど優秀なんだろうな」

「当然だ。俺がここまで来た理由は何だと思う?」

その言葉を聞いた途端,彼は腰に手をやった。

―――こいつ,何も知らないな。

俺の頭脳がそう判断した。

「もう,知ってる言葉はないか?」

「……くっ…なめやがって!」

だが俺が犯したミスは,奴の動きを放置したことだった。奴は地面の砂を蹴り上げ,一瞬視界を塞いだ。

―――ちっ!

グロックを構えながら反射的に横に飛んだが,あろうことか奴と同じ方向に飛んでしまった。奴の銃口がこちらを向く。

―――早い!?

完全に素人だと決め掛かっていたため,こちらの予想を遙かに上回る速度で対応された。

―――やられる!

バスウン!!

一発の轟音のあと,

ドサッ

両名が砂の中に落ちる。

俺がトリガーを引いたっきり,それ以上の銃声はしなかった。

「聖志!」

…ん?

聞き覚えのある声が。

 

「無事か!?」

俺は窓の外から聖志を確認する。倒れた敵を確認すると,窓から中へ飛び降りる。

「藤井…」

「怪我はないか?」

「あ,ああ」

颯爽とした俺の登場に聖志は面食らっている。まるで正義の味方の登場シーンだ…って,そのままじゃないか。

とりあえず聖志は無事なようなので,その向かいに横たわっている奴を確認する。

「ぐぐ…」

狙い通り右腕に一発。

―――ほっ。ハッキリ言って怖かったぞ,おい。

「あんた,俺のこと知らないだろ」

聖志が立ち上がって奴の前まで来る。

「…」

「たまたま情報が手に入って,こいつを誘き出して遊んでやろう…ってなところか」

「…」

聖志の追及に黙りこくった所を見ると,図星だったようだ。…と,聖志が彼の右腕を見る。

俺は携帯で高崎署に連絡する。

程なくしてパトカーが来た。容疑は銃刀法違反の現行犯。

「一流ハッカーが形無しだな」

奴が連れられていくのを見て,聖志が隣で呟いた。

「仕方ないさ。…さて,俺らも帰るか」

「ああ」

とりあえずシャドウスラッシャーを持ち主に返しーの,謝礼金を渡しーの,頭を下げーので盗難事件は避けられた。

「…お前,犯罪者になる気か」

「しゃーないだろっ!」

駅の駐在所でそんな話をし,高砂巡査の笑いを誘った。

「…で,今回の任務は俺の護衛だった訳か」

「ああ」

帰りの電車の席に座って開口一番,そう聞かれたので素直に答えた。

「何で黙ってた?」

少々不機嫌そうだが,

「そりゃお前,黙ってたほうが格好いいだろ」

向かいのクロスシートに座る聖志は俺の答えに多少呆れ気味だが,

「なるほど,確かにな」

彼はそう言いながら窓の外に視線を移した

―――素直じゃないな。

まあ聖志ぐらいの年頃なら当然だが。

多分俺をないがしろにしたことを少しばかり後ろめたく感じているのだろう。あまり俺にダメ出しをしない。いつもなら…

「だが,あれはやりすぎだ」

「ん?」

「狙う場所が悪い。怪我を負わせてどうする」

ダメ出ししやがった…。こいつめ。

「仕方ないだろ,あんな一瞬で銃を弾き飛ばすなんて無理だ」

「…まあな」

また視線を逸らす。夕日で染められた景色を眩しそうに見つめていた。

だが,こいつならやる。銃の腕は悔しいながら及ばない。多分奴の腕を貫いたのは俺の銃弾ではなく,聖志のものだろう。奴は背後にいた俺からの奇襲に驚いて咄嗟に飛んだのが聖志と同じ方向だっただけだ。俺も確かにトリガーは引いたが,手応えはなかった。

―――やっぱり,俺はサポート役だな。

 

東高崎駅着。2人揃って改札を通るなんて久しぶりだ。

駅舎を出て駅前通を2人で歩く。相変わらず変な沈黙が漂ったままだ。

「夕飯食っていくか?」

しょうがないので俺が口火を切ってやった。

「…いや,課題があるからな。とっとと帰る」

相変わらず聖志は俺を見ない。

「そうか。じゃあ俺は食って行くぞ」

「ああ」

「また明日な」

まあ急ぐことはないだろう…。

「…待った」

「ん?」

「俺のサポート役なんだから,銃の腕を上げておいてくれ」

ようやくまともに顔を見て,言うことはそれか。

「ハハっ,そうだな。努力するさ」

だが聖志は,言い訳がましい俺の言葉にも清々しい笑みを見せた。

 

 

 

 

 

 

○あとがき

読んでくださってありがとうございました。Verdadeal番外編です。本当は5000ヒット記念作として書き始めたのですが,ネタに詰まりあれよあれよと6000ヒットを突破してからの完成となってしまいました(大汗。

Verdadealの中で一番人気の藤井君を主人公に選んで書きました。多少おふざけキャラなんですが,個性出てたでしょうか。意見・批判は掲示板に書いてくださると今後の参考に致します。

また気が向けば番外編書きますので。ではでは〜(^.^)/~~~



[i] コルト380オート。彼の愛銃。

[ii] ホンダ・シャドウスラッシャー 2000年式の400ccバイク