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───6月29日。

「…本当に画家になるつもりのようだな…」

午前2時,聖志はアイスコーヒーを飲みながら呟いた。

石津美沙子の調査である。JSDOのデータベースから検索して,出身校と年齢から割り出すと,彼女の個人データが出てきた。

彼女は聖志と同じ中学を中退したあと高校に通いながらバイト生活をし,その資金で専修学校へ進学するつもりらしい。高校は横浜の美術高専で,その成績を以て某美術系専修学校への推薦入学も決定している。この学年で進路が決定しているということは,かなり有望視されている証拠である。

とるるるる…

データを眺めていると,いきなり電話が鳴った。こんな時間にかけてくる人物は絞られる。

「はい」

「俺だけど」

藤井である。さっき頼んだばかりのことを早めに済ませようとするとは,珍しく気が利いている。

「取りあえずデータを検索して見たんだが…」

「どうだ?」

「確かに団体じゃないな,今は」

「…てことは,過去にそういうことがあったのか?」

「ああ。JHSって所に所属してたみたいだ」

「ジュエリーハンターズだな?」

JHSは宝探しを趣味以上のことと見る者達がチームを組んで世界中の色々なところの有名遺産を探り出すようなことをしている。

つまり,宝探しが好きな者の集団。

「そうだ。なんと去年まで南米にいたそうだ」

「…国際人だな」

「多分今回あの遺跡に目を付けたのは,その集団のネットワークの情報からじゃないか?」

「だろうな。それがオンラインかどうかは分からないが」

「一応彼のプロフィールを言っておこう」

「ああ」

───本名,中槻政雄。

まずこれに驚いた。偽名だと思われていたこの名前は,実は本名だったのだ。個人データに載っている,中槻政彦というのが偽名だったのだ。しかし,警視庁データに偽名を載せるとは,なかなかやり手であると考えられる。

彼の学籍は,本当かどうかは疑わしいが,一応日本の学校名が並んでいる。しかし去年まで南米にいた事実はどうなるのか。

「そんなもんは知らん」

藤井に聞いても分かるはずもないが,その情報が正しければこれはまた調査を要する。

「ちなみに銃の所持は認められていない」

「違法か」

「どうやらそうらしい」

恐らく裏ルートあたりでJHSにそういう武器を提供するネットワークが存在するのだろう。JHSはその存在が世間では薄い。それだけに,謎の多い組織である。

「…OK,取りあえず分かった。詳細の方は俺が追々調べるとしようか」

「そうしてくれ。もうパソコンを触るのはごめんだ」

「だろうな。じゃ」

「明日,長瀬宅で」

「分かってる」

聖志は言って電話を切った。

───それで,彼と石津はどうやって知り合ったのか…?

次にその疑問にぶつかる。聖志は再びディスプレイに向かい,両方のデータを見比べるが中槻と石津の共通点は見つからない。

本当に些細なことかも知れないし,中槻が偽証したとも考えられるのだ。しかし,そうすると偽証する理由が見つからない。もし彼が聖志の友人関係を網羅していれば,あるいはそうする意味があるかも知れないが。

取りあえずそのことに拘っていてもしょうがないので次の作業をすることにした。考古学研究所のコンピュータにネットを通してアクセスする。

───アクセス権がありません。

やっぱり出てきた,関係者以外立入禁止の警告である。

予め用意しておいたプログラムを介してプロテクトを通り抜け,内部データにアクセスする…が。

“内部データにアクセスできるのは,関係者だけです。あなたのIDを入力してください。”

またまた厄介な文が出てきた。機密保持によく使われる,IDを入力するタイプである。しかも,こういうプロテクトは入力ミスをすると警察へ連絡が行く仕組みになっていることが多い。

聖志は一旦内部データから抜け,そのプロテクトを抜けるためのプログラムを作ることにした。

 

───とある部屋。

彼はカットされた電源を入れ,全ての機材を起動させる。念のために扉には鍵をかけ,内部の光が漏れないように細工する。

フローリングの床を軋ませてコンピュータの前に座り,手慣れた手つきでキーボードを叩く。

ネットワークから研究所の内部データに入り込み,

“内部データにアクセスできるのは,関係者だけです。あなたのIDを入力してください。”

それを見ると,彼は一枚のフロッピーディスクをポケットから取り出し,ドライブに挿入する。

“人物照合完了しました。”

この後,内部データのメニュー画面が出てくる。上から順に,閲覧,データ登録,データ削除,パスワード変更と並んでいる。彼はそのメニューの上から3つ目にカーソルをあわせ,決定するとサブメニュー画面に変わった。

一部削除,全部削除と左右に並んでおり,彼はキーボードの方向キーの右を押し,決定する。

“警告:データを削除します。削除するとデータが全てなくなります。(Y/N)”

もちろんバックアップデータなどあるはずもない。ここで彼がYキーを押せば,この世から研究所のデータが全て消えてしまう。

彼は口元を歪ませた。…と。

ブルルルルル…

コンピュータの横に置いた彼の携帯が鳴っている。

彼は一旦キーボードから手を離し,携帯に答えた。

 

───AM2:47。

聖志は取りあえずフロッピーディスクに今出来たばかりのプログラムをコピーし,ネットを経由してさっきの研究所のデータにアクセスする。

先程と同じようにアクセス権の確認を通り抜け,ID入力画面になる。

聖志は早速プログラムを実験しようとした…が。

“人物照合完了しました。”

「え?」

思わず声を上げてしまった。

プロテクトを解く前から通ってしまったのだ。

───どういうことだ?

彼は不審に思った。パソコンがたまにイカれているとこういう現象が起きたりすることもあるが,研究所の機密のためのシステムがこんなことを起こすはずがない。

そう思いながら画面を見ていると,メニュー画面が出た…と思ったら,いきなり画面が変わり,

“警告:データを削除します。削除するとデータが全てなくなります。(Y/N)”

と,データを削除する最終確認がなされている。

───なんでこんなことになるんだ?

聖志は画面に表示された文を読み,瞬間的にNのキーに手を伸ばす。

 

ようやく打ち合わせが終わり,携帯を内ポケットに入れる。

そして,さっきから放ってあった画面を見る。やはり,先程の警告が表示されている。

彼は指定に従ってデータを削除すべく,Yのキーを押す…と,同時だった。

ピピピピピピピ…!!

Warning!! There is another user in this program!!”

Warning!! There is another user in this program!!”

けたたましいビープ音とともに,赤い文字で画面の上から,いっぱいにこの文章が表示された。

 

「なに!?」

Nのキーを押した瞬間,セキュリティシステムが働いた───つまり,侵入がばれたのだ。

聖志は慌ててパソコン本体に接続されている回線を手で引っこ抜く。ばれた場合はこれが一番確実なのだ。たとえ警察でも逆探知は絶対に出来ない。

聖志はアイスコーヒーを飲み切って一息つくと,今起こったことをもう一度よく思い出した。

───どういうことだ…?

少し焦ったせいか,夏の夜のせいか分からないが背中に汗をかいていた。こんなに焦ったことは最近なかった。ただ単に研究所のコンピュータにアクセスしていると,いきなりメニュー画面が飛ばされて,次にはデータ削除の画面が出た。

聖志はそれを解除するべく操作したところ,システムセキュリティに発見されてしまったのだ。

───待てよ…。

彼はさっきの英文を思い出した。

大きなビープ音と共に,画面いっぱいに広がった文字は,

Warning!! There is another user in this program!!”

───他にあのコンピュータにアクセスした奴がいるのか? しかも同じ時刻に,同じタイミングで?

しかし,それでないとさっきの言葉の意味が分からない。偶然にも他人が,同じ時刻に同じ目的で同じデータにアクセスしたとしか考えられない。それならばパスワードが勝手に解除されていたわけも分かる。先に聖志ではない人物が正規にパスワードを解除したから,聖志がもう一度アクセスしたときにはパスワードが解除されていたのだ。

恐らくあのセキュリティは,同時に2人以上の人物がアクセスしたことが判明すると,不法侵入と見なす物らしい。つまり,あのコンピュータに合法でアクセスできる者は,ただ一人。

───所長の大嶋淳次か。

恐らく彼自身以外にアクセスできる者を排除したシステムであろう。もしIDが複数の人間に漏れたとしても,所長自身が現役の頃は毎日常駐していたはずなので,セキュリティシステムが働くように設計してあったのだ。

しかし,ここで疑問が起きる。

IDを知っているのが所長だけであったとすれば,さっきアクセスしていたのは彼自身になる。しかし,所長自身は現在大嶋の家で療養中である。大嶋宅にパソコンがあって,そこからネットを経由していたとすれば疑問は解消されるのだが…。

聖志は徐に立ち上がり,電話の受話器を取る。そして手慣れた手つきでダイヤルする。

数回呼出が鳴ったあと,

「こちら高崎署刑事課」

「…西原だが」

「ああ,西原さん」

「内田か?」

「はい。どうされたんですか?」

「ああ,今現在,大嶋宅の警備は誰がやっている?」

「今ですか…」

聖志は時計を見ると,AM3:25。

「多分,星野警部と長江がいると思います」

「星野が復帰したのか」

「はい,ほんの数時間前に」

「OK,分かった」

「では」

聖志は次に,星野の携帯にかける。

「こちら星野」

「西原だ」

「どうかされたんですか?」

「今,大嶋宅はどのような状態だ?」

「…どのような状態かと申されましても…特に変化はありません。異常なしですが」

「今,何処にいる?」

「私は向かいのマンションです。長江が大嶋宅に入って警備しています。周囲は警官が4人,警戒中です」

「…そうか。動きはないんだな?」

「はい」

しかし,彼は外から見ているので,中の様子までは分からない。

「大嶋宅にパソコンはあったか?」

「パソコンですか…。私が見た限りはそういった類のものは見あたりませんでしたけど。しかし,私が見たのはリビングルームとキッチンルームだけです。他の部屋にある可能性はありますね」

「…そうだな,OK。ご苦労さん」

「では,また」

聖志は電話を切った。

───確認は不可能か…。

大嶋宅の中にいる長江に連絡すればいいかと思ったが,いくら刑事とはいえ,大嶋宅の全てを知っているわけではないだろう。それに,そんなことをするとプライバシー侵害で訴えられることになる。

つまり,この疑問を解くには大嶋に直接聞くしかないのだ。

しかし仮に大嶋淳次があのコンピュータにアクセスしていないとすれば,一体誰がなんの目的であれに侵入したのか。しかも正規の方法でアクセスしているところを見ると,IDも大嶋淳次のものを知っている,あるいはデータを持っているということである。

IDの入手方法として考えられるのは,大嶋水穂を経由してデータを聞き出す,というルートである。まさか大嶋淳次自身が赤の他人に教えるわけはない。仮に教えるとすれば,次期所長になる可能性のある水穂だけである。そして彼女は校長かあるいは教頭に実際に拉致されているので,そのときに聞き出したものだとすれば入手方法は辻褄が合う。

もう一つルートがある。大嶋淳次を直接強請る方法である。しかし,彼を強請ることは不可能に近い。大嶋宅に来る前は病院の個室にいたのだから,面会するにしても確認されてしまう。その時点で警察が動くはずである。大嶋宅に移動したときは,病院から直接タクシーで来たので犯人が介入できる時間はない。

となると,やはり大嶋淳次よりは水穂を拉致したときに聞き出した可能性が高い。しかし,水穂が拉致されたのはかなり前である。そのときから犯人は考古学研究所のデータの存在を知っており,なおかつ隠滅する手だてを取っていたようだ。

実際に警察があのときに動いていれば何らかの情報を得られたのだが,物証が何もないと言っていいほどなかったので恐らく警察も相手にしなかっただろう。たとえ調査をして校長もしくは教頭を同行したとしても,しらを切れば物証がないのでそれまでである。

だが,現段階で確認できることはない。近々大嶋自身に聞いてみないと分からないのだ。

───次の作業に移るか。

聖志はパソコンのディスプレイを見ながら,背後のテーブルから次の作業に必要な資料を取ろうとすると,手がテーブルに達する前にちゃんと手に収まった。

───ん?

資料が宙に浮くわけがない。聖志は不思議に思って後ろを見る。

「美樹!」

「びっくりした?」

「あ…ああ。どうしたんだ?」

資料のことより,彼女がそこに佇んでいたことに驚いた。

「…なんか大きな音がしたから…」

恐らくさっきのビープ音だろう。そのあと考え事をしていたので後ろに気付かなかった。

「ああ,起こしたか。悪かったな」

「ううん,まだ寝てなかったから」

彼女は本気で寝てなかったようだ。

「まだって,もう3時だぞ」

「…でも,今日から試験だし」

「…そうか。でも,無理すると痛い目を見るぞ」

「大丈夫だよ,5時間ぐらい寝たし。お兄ちゃんよりは寝てるよ」

痛いところを突く。

「…ま,そうだな。でも,ほどほどにな」

「うん,ありがとう。それじゃ」

「ああ」

───それにしても,よくやるな。

試験勉強など確実に一夜漬けでやる聖志にとって,1週間ほど前から勉強をしているまともな高校生を見ると何故か不思議に思う。本来ならば聖志も試験なのだが,マスコミのおかげで学校が休校になったのだ。

それにしても,マスコミの素早さとしつこさには舌を巻く。何処であろうと出現しては目標が現れるまでずーっと待っているのだ。確かに国民には知る権利があるが,マスコミの方で操作された情報を国民に与えるのはどうかとも思うが…。

ま,その辺りは警視庁に任せるとして,こちらはこちらの仕事がある。

次はの仕事は前北の遺体と長瀬の遺体の共通点である,死因とその周りの状況の調査である。これに関しては聖志はプロではないので鑑識課の者に協力を仰がなければならないが,ある程度は考察できる。

まず前北の場合だが,殺害されたのは6月21日午後4時から午後9時までの5時間。場所は長瀬宅のリビング,死因は絞殺だそうだ。第1発見者は隣の主婦だった。その人物の証言によると,回覧板を回しに来たときに,長瀬宅の庭の方から人影が道の方へ動くのを見た,ということだ。この証言の裏はまだとれていない。恐らくそれを見たのはその主婦だけであろう。もちろんその人影が長瀬であるという可能性は否定できないが,肯定もできないのだ。彼は前日に中国へ出張している。それは彼の勤めていた銀行からの証言と一致している。出国手続きもある。言ってみると,長瀬が前北を殺害した可能性は極めて低いのだ。そうなると,前北を殺害した人物を他に調査しなければならない。詳細は警視庁の方が捜査しているはずだが。聖志が思うところ,教頭もしくは校長,あるいは逮捕された5人の内の誰か,その辺りに限定されそうな気がしているが,今のところ全く手掛かりはない。

次に長瀬の件だが,これは聖志が直接見たわけではないので現場の詳しいことは分からない。

警視庁によると殺害は6月25日午後10時から6月26日午前2時の間,長瀬の直接の死因は絞殺。第1発見者は地元の住民。道路に横たわっている所を発見された。発見されたときには辛うじて息があったらしいが,その地点から病院まではかなりの距離があり,救急隊が来るまでに息を引き取ったそうだ。その隊員から中国警察を経て警視庁に連絡され,今に至る。

この二つの事件の共通項は,両方とも絞殺にも関わらず,絞殺以外の殺害が出来る凶器となりうるものが近くにあるという点。もう一つは本当に絞殺かと思われるほど血痕が多いということ。前北の時はそうでもなかったが,長瀬の場合は尋常ではない。が,鑑識課の出した結論は絞殺。ただの偶然で片付けるには,奇妙に思えてならないのだ。

しかし,これを確かめる術は今のところない。もう一度現場と周辺を調査する必要があるようだ。

───取りあえず,こんな所か。

聖志が時計を見ると4時。

───少し早いが,切り上げるか。

 


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