―――PM11:53。
聖志はいつものようにコンピュータの前に座り,データの確認をしていた。侵入されたはずはないが,念には念を入れて。
ピリリリリリ…
と,携帯の呼び出しが。
「はい」
「聖志か?」
「ああ」
「藤井だ。お前,明日から新宇部学園へ行くことになっていたな」
「そうだが」
今日の午前中にそこへ行って来たのだ。
「あれは中止になった」
「へ?」
聖志は拍子抜けした。
「なんでだ?」
「さっき本部から連絡が入ったんだが…その宝探し君が中央学院に転入するそうだ」
中槻氏のことである。
「…そうなのか。それは面倒が減って俺としては問題ないんだが…。その情報を本部はどこから入手したんだ?」
「そんな上のこと,俺が知るわけない」
「…そうだよなー」
それはつまり,JSDOの情報部の最高機密情報を知っているということに等しいのである。
「とにかく伝えたからな,間違えるなよ」
「OK」
つまり,いつもと変わらずいつもの学校へ行けばいいのだ。
―――しかし,上も大変だな。
考えて見れば,一度転入届を出しているはずなのに,それを1日以内に取り消さなければならないのだ。
「あ,それと」
「え?」
「前北靖子殺害の第1容疑者って言えば分かるな?」
「ああ,長瀬だ」
「彼が殺られた」
「へ?」
長瀬は事件当日に中国の方へ会社の関係で出張していたのだ。それ以降連絡が途絶え,警視庁から国際指名手配を受けていた人物である。
「殺られたってことは,他殺か」
「ああ。遺体が発見されたのは中国。凶器は発見されなかった」
つまり,犯人は国外で長瀬を殺害したのだ。
「…そうか。それじゃあ,前北を殺害した犯人は事実上いなくなったのか?」
「さあな,長瀬の殺害犯と前北の殺害犯がつながっている可能性は否定できないな」
「それはわかる。長瀬を殺害した犯人は今のところ分からないのか?」
「今のところは何とも言えない。それは情報部からも何も入っていない。お前なら目星ぐらいはつくんじゃないか?」
「ま,この流れから行けば…何となく」
「だろうな。じゃあ,明日学校で」
「ああ」
―――6月27日。
いつもとは違う,学校の南側の道を歩く。以前より5分ほど距離が短縮された分,駅までの距離が5分長くなってしまった。
昇降口に着くと,毎朝立っている教師に一応挨拶をする。いつもは教頭が立っているのだが,今日は何故か英語の瀬戸教諭がいる。
立ち去り際に,
「西原,今度の期末は中間のようにはいかないぞ」
とささやくように言う。
「朝からそんなこと言うもんじゃないでしょ」
聖志は苦笑いしながらそう返した。実際,期末試験が迫っているのだが,昨日事件が起こったお陰で何もできなかったのだ。本当は,今日は休日にして試験勉強をした方が良かったのかもしれない。
「はぁ」
彼はため息を付いた。
「どうかしたんですか,先輩」
隣を見ると,偶然にも葉麻がいた。
「ああ,期末前だと思うとね…」
「きっと大丈夫ですよ,先輩なら」
彼女は微笑んだ。
「さんきゅー,葉麻」
「あ,先輩。おはようございまーす」
葉麻の後ろから元気な声を出したのは高倉。
「おす」
「ね,知ってます? 転校生が来るって」
「へ?」
唐突の質問に聖志は驚いた。内容に驚いたのではなく,情報伝達の早さに驚いたのだ。
「学年は分からないけど,宇部学から来るって」
「そうなの?」
「うん,昨日友達が言ってた」
「そうか…その友人ってのは宇部学園の生徒か?」
「そう。それにね,その子昨日事件に巻き込まれたらしいんです」
「事件?」
彼は取りあえず聞き返す。
「そう。誘拐事件」
「誘拐事件? 今朝ニュースでやってた…?」
「そうそう。誰も被害者は出てないらしいけど,結構大変だったみたい」
―――偶然ってあるんだな。
高倉が今言ったのは昨日,美樹とその友人が誘拐まがいのことをされた事件のことを言っているのだ。と言うことは,高倉と美樹の友人がつながっている可能性が出てきたのだ。
取りあえず彼はその関係を頭の隅に置きながら教室へ向かう。途中保健室を覗いてみるが,数名の保健委員以外は来ていない。どうやら大嶋校医はまだ来ていないようだった。
4時間の授業をいつものように適当に流す。あと4日で期末試験だというのに,彼自身もあきれるほど落ち着いているのだ。自信があるわけではなく,単にやる気が起きないのだ。
そんなこんなで昼休み。
「聖志,久しぶりな感じね」
教室で,売店が空くのを待っているところに舞が現れた。
「そうだな。…どうかしたのか?」
「知ってるかもしれないけど今日ね,転校生が来たの」
彼女はそう言いながら,空いている聖志の前の席に座る。
「名前は?」
「中槻君。宇部学から来たらしいんだけど」
「ほほう。一度会ってみたいものだな」
本音を言った。
「…それがね,彼って何か近付き難い雰囲気があるのよ。話しても返事をしてくれるかどうか…」
「実際に話したのか?」
「そう言う訳じゃないけど」
「…今,教室にいるのか?」
「え? ホントに会うの?」
聖志の質問に彼女は少し驚いた様子。
「顔ぐらい見ておこうかと思って」
「じゃあ,行こ」
舞は聖志を促した。彼等は隣の教室へ向かい,廊下から教室の様子を見る。
「…いた。あの黒板の前にいるのが彼」
数人の男子生徒と喋っている…と言うか,その輪の中にいるものの,そんなに発言はしていない。周りの奴らの話を聞いて時々表情を変えている,と言うのが正確である。
ここから見る限りでは推定身長172p,スポーツタイプのがっちりした体型である。もちろん宝探しにもってこいの体型でもある。この学校内にいる時点ではただの生徒だが,依然正体不明であるのは変わりがない。その辺りは藤井とともに正体を暴くという作業をしなければならない。
「ね,そろそろ学食行こう?」
「あ…ああ。そうだな」
データを整理していたときに急に彼女が腕を引っ張ったのでバランスを崩しかけた。と,その瞬間,中槻の視線が一瞬こちらを捉える。
“見つけた”
聖志には中槻がそう呟いたように見えた。
「お前が学食なんて,珍しいな」
いつもの定食を平らげながら聖志が言った。
少し時間をずらしたので,学食はそれほど混んでいない。
「そうね…。今日はたまたま時間がなくてお弁当作れなかったの」
「そうか」
『寝坊した』と言わずに『たまたま時間がなかった』と言う辺りが舞の特徴である。
「それで,どう?」
「…別にこれと言って感想はないが…」
中槻を見た感想を,舞が聖志に尋ねているのだ。
「あえて言うなら…面白そうだな」
「え? 彼が?」
「ああ」
もちろん彼の性格を言ったのではない。
程なくして彼等は学食を出た。真夏の太陽が彼等の頭上を襲う。
「俺は行くところがあるから」
聖志は校舎に入らずに,体育館の方向へ足を向ける。
「分かった。…あ,今日は会議だからね」
「ああ」
広報部会である。例によって期末テストの結果を校内掲示板に張り出すのだ。これは教頭の意向で,生徒にはもちろん,一部の教師にも不評を頂いている。今時何でそんなことをするのか,その意図がつかめない。生徒に言わせれば,ただの嫌がらせじゃないかという意見もあるが,教頭自身が言うには,進学校としては当然のことである,だそうだ。
「そんなこと俺に言うなよ。所詮俺達は上からの手と足なんだよ」
いつものように体育館裾の階段で,藤井との会話だ。先ほどの掲示板の件で少々文句をたれたのだ。
「ま,それは置いといて…例の件だが」
「ああ。さっきこの目で見た」
「そうか,俺も一応見た。…ただの高校生のようにも見えるが…現にお前という犯罪まがいの奴がいるからな」
「詳しい情報はないのか?」
「今のところは全くない。これから数日間で彼の正体を暴かないとな」
藤井はそう言って煙草を投げた。
「それと,今日は大嶋さんは来てないのか?」
聖志は今朝彼女を見なかったことを思い出した。
「今日は見てないな…」
「連絡は?」
「…聞いてない。それも気になってたんだが…」
「……そうか」
聖志は何か起こりそうな感じを覚えた。
「それと,これは偶然かもしれんが,教頭もいない」
「教頭が?」
「ああ,ここ2,3日」
大嶋校医を襲ったと思われる最有力候補である。しかし,彼に対する物証がないので,未だに検挙できないままである。
「教頭はどこへ?」
「校長が言うには,修学旅行の下見だとか」
「旅行か。…行き先知ってる?」
「知るわけない」
―――キーンコーン…
体育館の向こうの方でチャイムが鳴った。昼休みがあと10分の合図である。
「じゃあ,俺は行くから」
「ああ」
2年生の教室へと続く渡り廊下を歩いていると,前から葉麻がこっちへ来る。
「あ。先輩」
「よう。2年に用事があったのか?」
「あ…はい」
彼女は少し言いにくそうに言った。
「ん? どうした?」
「あの…飛島さんは,確か先輩と同じクラスでしたよね」
「ああ」
「放課後,教室で待っててもらえるように言ってくれませんか?」
「分かった」
「お願いします。それじゃあ」
「ああ」
彼女はそれだけ聖志に頼むと,去っていった。
―――さて,どうなることやら。
他人の恋愛に興味はないが,飛島となると少し事情が違う。以前に平本に撃沈しているだけに,今回のがうまく行くか,少しばかり興味がわいてきたのだ。
教室に入ると,いきなり飛島がいた。窓際で連れとたまっている。
「おい,謙太郎」
「何だよ,下の名前を使うな」
「葉麻からの伝言があるんだが」
「なにっ?」
聖志がそう言うと,飛島は聖志の背中を押して廊下へ出る。
「で,彼女なんて?」
「そのまま伝えるぞ。放課後,教室で待っててもらいたいんだそうだ」
「あはは,そうかそうか」
大方の予想通り,彼は浮かれている。
「ちなみに今日は広報部会だから,帰りは4時半ぐらいだ」
「オッケー」
彼はそう言い残すと,るんるん気分で教室へ入っていった。
―――明日が楽しみだ。
と,次の瞬間,
『連絡します。2年C組星野さん,至急職員室前まで来てください。繰り返します…』
ブルルル…
校内放送が放送されるのと,ブレザーの内ポケットの携帯が震えるのが同時に起こった。
聖志は慌てて屋上へ上がる。
「はい」
「聖志か,俺だ」
藤井の,いつにない焦った声。
「どうした?」
「星野警部が襲われた」
「なに!?」
「荷物はそのままでいいから,取りあえず現場に行くぞ」
「分かった,昇降口で」
「OK」
聖志は携帯を仕舞うと,そのままの足で昇降口へ走った。
予定通り昇降口へ来ると,藤井が体育館裾から手招きをしている。聖志はそれに従って職員用駐車場まで行く。
「これをかぶれ」
藤井は黒いメットを聖志に手渡すと,手慣れた手つきでバイクを起動させる。
「しっかり捕まれ!」
「分かった」
そう言い終わる前に,藤井はバイクを発進させた。
正門の前を通ると,タクシーが横付けにされているのが見えた。
―――時速120qで疾走すること約10分。
その現場に到着すると,既にたくさんの警官と一台の救急車が駆けつけていた。
「棚丘!」
「あ,西原さん」
聖志は彼に状況説明を促した。
星野警部はかねてから数名の警官とともに大嶋水穂宅を警備していた。今日は早朝から入れ替わった星野警部が先ほどまで警備を担当していた。
星野がいたのは大嶋宅の目の前のマンション,つまり自分の家があるマンションの空き部屋から家の周りを観察していた。ちょうど正午になったとき,大嶋が家を出た。と,その数分後に男の叫び声が聞こえたらしい。それを聞きつけた星野は,使命を全うすべく大嶋家に突入した。しかし驚いたことに異常は全くない。星野自身がその目で大嶋淳次を見ているからこの情報は間違いない。彼は自分の勘違いかと,大嶋宅を出た瞬間,何者かに後頭部を殴られた。本人は頭のどこを殴られたのかは覚えていない。
第1発見者はなんとJSDO捜査官の伊野坂である。彼は中槻の一件で新宇部学園の方へ派遣されるはずだったのだが,それが中止になったため,本部長が星野の保護役として今日送り込んだばかりなのだ。彼がいた場所は星野のマンションの駐車場に止めた車の中である。JSDOの所有車であるので確実な情報である。残念ながら犯人は取り逃がしたが,格闘した際に犯人の持ち物である血液を奪ったのだ。DNA鑑定にかければ一発で犯人が特定できる。
「現在星野警部は市立病院の集中治療室で治療中です。それには内田刑事が同行しました」
「俺達は行き辛いな…」
藤井は呟いた。
「少し時間をずらした方がいいと思います。今はご家族が病院の方へ行ってると思いますから」
「分かった」
「それと,大嶋水穂と大嶋淳次は現在自宅の方で厳重警戒中です」
「無事なんだな?」
「はい」
「それなら心配ないな。棚丘,引き続き任せる」
「了解しました」
敬礼すると,取りあえず聖志は藤井とともに学校へ戻ることにした。すると,
「西原さん」
「伊野坂,大変だな」
藤井が彼の肩を叩く。
「ええ,配備されていきなりですから。今から高崎署行きです」
「ご苦労様」
「お互い様です。では中槻の件,よろしくお願いします」
伊野坂は聖志にそう言って敬礼した。
「ああ」
2人は軽く挨拶を交わした。
学校の授業が終わると,聖志は病院へ行くために早めに支度をした。
取りあえず自宅に帰り,車で行くことにした。
「あー,先輩!」
そう考えたとき,教室を出た廊下で呼び止められた。
「どうした,高倉」
「さっき星野先輩が…」
こういうことには耳が早い彼女である。
「そうみたいだな」
「何かしたんですか?」
「俺は知らない」
聖志は取りあえずそう言った。
「そうだ,それより佐紀知りませんか? さっきまで教室にいたのに」
「彼女は放課後用があるって言ってたけど」
「え,そうなんですか。佐紀ったらひとこと言ってくれてもいいのに」
そう言う彼女は少しも怒った風ではない。さすがに3年間親友をやっているだけのことはある。
聖志は病院のことを思い出し,さっさと去ることにした。
「先輩,何で黙って帰ろうとするんですか」
―――ちっ。
さり気なく帰ろうとしたのだが,彼女にばれた。
「駅まで一緒に行こうよ」
高倉はそう言って聖志の腕を引っ張る。
「悪いな,最近引っ越したんだ。駅とは逆の方向だ」
「嘘? どうしていきなり?」
「ま,色々あるのさ」
「…ああ,なるほどね」
彼女は納得したらしい。声のトーンが少し落ちるのは,あの時のことが脳裏に蘇っている証拠である。
「けど,大変ですね」
昇降口まで来た彼等は上履きを脱ぐ。
「何が?」
「だって,いつもあんなことしてるんじゃないの?」
「それはそれ。もう慣れた」
「…なんか違うな。ホントに高校生なんですか?」
「お前,俺がそんなに老けて見えるのか?」
「そうじゃなくてぇ…」
そんなこんなで正門前まで来ると,藤井がバイクにまたがっていた。
「あ,せんせー」
「よう」
黒革の手袋をしながら答えた。
―――こんな暑い日に手袋とはな…。
「先生,星野先輩って何かしたんですか?」
生徒の悪い癖で,誰かが呼び出しを食らうと,何かしら悪いことをやらかしたように受け止められてしまうのだ。
「ああ,彼女のお父さんが怪我をしたんだそうだ」
「なんだ,そうだったんですか」
「お前な,何でそんなにがっかりするんだ?」
聖志は呆れて言った。
「べ,別にがっかりなんてしてないよ,ねー」
「俺に振るなよ」
急に振られた藤井は少し困ったようだ。
「お前等ももうすぐ試験なんだから頑張って勉強しろよ。じゃあ」
と,藤井はメットをかぶる寸前に聖志に目で合図をした。聖志は高倉の後ろで浅く頷く。
「さよなら」
高倉が挨拶をし終わる前に藤井はバイクを発進させてしまった。
ブロロロロッ!!
教師にあるまじきでかいバイクは轟音とともに去った。
バイクが正門を出ると,辺りは急に静かになる。
「さて,俺も帰るか」
「先輩,家に行っていい?」
いきなり彼女はとんでもないことを言い出した。
「ダメ」
「どうして?」
「…あのな,今日もあの時みたいになるかも知れないんだ。それに,今日は用がある」
「ゴメン,冗談」
彼女は慌てて言った。
「…お前,何かあったのか?」
彼女の様子が少し気になったのだ。何だか空調子のようにも見える。
「え…あ…ちょっと」
「言ってみろよ」
「え…」
彼女は少し考えたが,
「こんなことで悩んでも仕方ないと思うんだけど…佐紀がね,最近誰かと付き合ってるんじゃないかって思って」
―――高倉は知らないのか?
「それで…何か,離れて行ってるような…取り残された気がして。ただそれだけなんだけど」
そう言って彼女は少しおどける。
「葉麻がそう簡単にお前から離れるか。それはお前が一番よく知っていると思ってたが…」
「そうだよね…親友だもんね」
彼女は表面が明るいだけに,不意にこんなことを言うと妙に小さく見える。
「…ありがとう,先輩。やっぱり言って良かった」
「ま,役には立てないが」
「そんなことないよ。ありがとう。じゃあ」
彼女は笑顔で答えた。
「ああ」