―――6月23日。
やはり,物の流れというか,警察にしてみればごく当然というか,事情聴取が執り行われた。
一日の授業が全て終わってすぐに会議室に集められた。
遅ればせながら,聖志は会議室のドアを開ける。
「遅れてすみません」
聖志は取りあえず謝辞を述べ,頭を下げた。
「構いません。適当な場所に座ってください」
会議室の面々は,ドアを開けて目の前の黒板の近くに,聖志の言葉に応えた内田刑事,星野警部の補佐,棚丘警部補。今日は警部自身は来ていない。娘との接触を避けたかったのか,それとも,何か別の仕事があったのか。それと,窓際に腕を組んでいるのが広報部顧問の藤井。表情はいつもと変わらない。
四角に並べられた長い机に座っているのが広報部のメンバー。窓際に森安,葉麻。廊下側に高倉と星野。聖志は空いていた葉麻の隣に腰掛けた。と同時にメンバーの表情を見る。
―――幾分,暗さが減ったか。
「では,まず自己紹介をさせていただきます。高崎署の棚丘です」
「同じく内田です」
2人はきっちりと礼をする。
「これから質問することに,正直にお答えください」
この言葉から,約1時間ほど個人個人の行動をこと細かく聞かれた。もちろん聖志も例外ではない。
棚丘は半年ほど前に昇進し,今の地位についた。警部補としてはかなり若く,学業も優秀だったと星野から聞かされている。事実,星野警部の片腕として,これ以上いないパートナーだそうだ。
「…大体のところは分かりました。皆さん,ご協力ありがとうございました。もしかすると,またお話をお伺いするかもしれませんので,そのときはご協力をお願いします」
棚丘がそう言って締めくくろうとすると,森安がおもむろに手を挙げた。聖志は目だけをそっちへ向ける。
「あ,森安さんですね,何か?」
「あの,結局のところ,先生は誰かに…?」
彼の意味するところは,他殺であるか,と言うことだ。
棚丘は一瞬だけ聖志に目線を飛ばし,
「…今のところはそういう方向で捜査を進めています。まだはっきりしないところが結構ありますので,この回答でご容赦願います」
―――さすが。
部外者に対する適切な回答である。
「他には…?」
棚丘は全員を交互に見るが,質問は出ない。
「では,これで失礼させていただきます」
「では」
藤井は教師らしく,教室のドアを開けて見送った。
それを見届けると,一同がホッとため息を付いた。いくら学校でとはいえ,警察の方々に囲まれるのはいい気分ではないようだ。
「じゃあ,帰るか」
そう言って立ち上がったのは森安。
「…もうこんな時間!?」
舞は腕時計を見て驚いた。
―――PM5:54。
「じゃ,みんな。お先ね」
そう言って慌ただしく教室を出る舞。なんか用でもあったのか。
「先輩,またねー」
「うん」
それにつられたみんながそれぞれの鞄を取って会議室を出た。
「麻由美ちゃん,先に帰って。私用事があるから」
「そう? 分かった。じゃあね」
会議室を出た葉麻はゆっくりした足取りで暗くなった廊下を歩く。聖志はその後をついてぺたぺたと昇降口へ向かう。
―――彼女が一番引きずってるのか?
葉麻の背中を見ながら聖志はそう思った。
「…先輩」
「ん?」
「どうして,先生は殺されたんですか…?」
顔をこちらに向けずに彼女は尋ねた。
「…」
しばらくの沈黙のあと。
「あ,分かりませんよね,ゴメンなさいっ」
誰にも分かるはずのない疑問を口にしたことを悟った彼女は,振り返って笑顔でそう言った。10人が10人とも作り笑顔だという笑顔で。
聖志にはそれが痛々しく思えてならなかった。そして悔しいのは,聖志自身がどんな言葉も掛けてやれないことだった。
葉麻を駅まで送ったあと,聖志は自宅へ戻った。
玄関のノブを握ると,軽く回る。
―――帰ってるのか。
午後6時半なので当然である。
ドアを開け,靴を脱ぐ。
「美樹,帰ってるか?」
リビングに入った彼は開口一番そう言った。
「あ,お兄ちゃん。お帰りなさい」
彼女の顔をまともに見るのは2日ぶりである。
「お兄ちゃん,星野って人から電話があったよ」
「男か?」
「うん」
「分かった」
そう答えると,寝室へ入って着替え,2分後には出てきていた。
早速星野にダイヤルする。それと同時に周波数の切り替えもする。
「お兄ちゃん,お買い物行って来るね」
「待った。俺も行くから少し待ってろ」
「…うん,分かった」
彼女は少し微笑んで台所へ向かった。
「こちら星野」
「どうも。西原です。先ほどは電話をくれたそうで」
「あ,そうだ。さっき電話に出てくれたのは誰だ?」
「妹の美樹。数日前からここにいる」
「そうか」
取りあえず彼は美樹の存在を知っているようだ。
「で,何かあったの?」
「ああ,さっき大嶋水穂のところへ行って来た」
1週間前から学校へ出てきている。
「ほほう。で,収穫は?」
「親友だけに情報を持ってるかと思ったんだが…」
警部の声が沈む。
「あまり欲しい情報がなかった,と」
「ああ。この数日間のアリバイもある」
「え? 彼女は一人暮らしのはずだが…」
「それが,この1週間は彼女の父親が来てるらしい」
「父親が…」
「ま,その辺りの情報はあとで送るから。こちらも忙しくてね」
「OK。じゃ」
「失礼します」
最後はきっちりと挨拶をして別れた。
―――大嶋の父親か…。
大嶋校医の父親は,聖志の記憶の上では,重い病気を患っていたとなっている。しかし,娘の家に行くことができるならそれほど大したことはなかったのか…。
「お兄ちゃん,早く行かないと,スーパー閉まっちゃうよ」
聖志の思考の中に飛び込んできたのは美樹の声だった。
「あ,悪い」
―――しかし,この辺りにスーパーなんてあったか?
多少首をひねりながら玄関のドアに鍵を掛けた。
5分ほど掛けて駅前通りに出てきた。初夏なのでまだ暗いとまでは行かないが,そろそろ夕闇が空を覆ってきている。
「よくスーパーなんて見つけたな」
「うん,帰るときに偶然」
駅前通りを駅まで行かずに,2つ目の交差点を左へ曲がるとそれはあった。スーパーと言ってもそれほど大きな物ではない。
タイムサービスを狙っての主婦やら,学校帰りの学生やらでその通りは埋め尽くされていた。美樹はその中を,小さな体を更に小さくしながら進んでいく。
やっと店内に入ったときには,かなり品数が少なくなっていた。美樹はそれを適当に,聖志が押しているかごの中に放り込む。本当にこれでいいのかと思うくらいたくさんの物を入れる。
程なくして,店内に閉店のアナウンスが流れる。
「―――うん,こんなところかな」
一通り店内を,ほとんど駆け足で回ってレジまで来た。心なし彼女が肩で息をしている。
「美樹,後は任せて先に行ってろ」
「え,でも…いいの?」
「ああ,そのために来たんだから」
「うん,分かった」
彼女は頷くと,レジの向こう側へ行った。
美樹は亡き母に似て,少し体が弱い。彼女もその辺りは分かっていると思うが,何かに気を取られるとそれを無視してしまう傾向にあるようだ。
「お兄ちゃん,重くない?」
帰り道。
駅前通りを抜け,いつもの住宅街に戻ってきた。
「そう見えるか?」
「…そうじゃないけど」
スーパーで買い物した袋が聖志の両手にぶら下がっている。
辺りはすっかり暗くなり,星空が顔を覗かせていた。
「美樹」
「え?」
「学校は…楽しいか?」
「え,急にどうしたの,お兄ちゃん」
「…何となく」
「楽しいよ。友達も増えたし」
彼女は笑顔でそう言った。偽りのない笑顔だった。
「そうか」
彼は心底安心した。彼女はその性格から,対人関係をうまく維持できないように思えたが,心配する必要はないようだ。
「お兄ちゃんは? 楽しい?」
「え?」
突然の振りに,聖志は少し戸惑った。
「…そうだな…大変だ」
「大変なの?」
「…ああ,いろいろとな」
文字通りである。今や中央学院は警察沙汰になっているのだから。
「勉強ならわたしが見てあげるよ」
彼女は微笑んでそう言った。
「お前な」
「ふふっ」
聖志を見上げて笑う彼女。愛らしい彼女の笑顔の中に,亡き母の顔が映ったような気がした。