「お前,この頃電話の回数が多いな」
「んなっ!?」
昼休み,学食でのことだ。葉麻の件で,聖志は飛島に確認を取ることにした。
「な。何の話?」
思わず吹き出しそうになった彼は,慌てて口を塞ぐ。もちろん聖志は回避運動を取っていた。
「電話の回数の話。昨日彼女が言ってた。無言電話が多いって」
「ちっ,バレたか…」
飛島はばつが悪そうに足を組み替え,肘を付く。
「無言電話はするな」
「だってよぉ…」
ま,ありがちなことだが,喋る勇気がない。聖志の目の前では結構フランクに喋ってたのだが,それは聖志が隣にいたから葉麻が安心していたのかもしれない,と思ったりしていると,電話をかけても喋れなくなるそうだ。
「ま,電話をかけるのはお前の自由だが,相手にも同じ回数だけ,電話を取るという作業がいるようになると言うことを忘れるな。かけるのは別に構わないが,言うことを整理してからだな」
「…ああ,今日はかけない」
彼は箸をカチカチ鳴らしてそう言った。
「そうか」
―――これで大丈夫だろう。
あれから,飛島は彼女と廊下ですれ違ったりすると,9割近くの確率で声をかけている。それは聖志が見た限りだが。
「…ところで」
飛島は最後にお新香を口の中へ入れると,新しい話題を提供した。
「ん?」
「話変わるけど,前北先生ってホントに死んだのか?」
今朝の朝礼で,校長自らそう発表したのだ。
前北靖子―――1年生物の教師だった―――は,数時間前に聖志が遺体を確認済みである。
「…さあな。今朝はテレビを見てないし」
「そうなのか」
聖志は嘘は言っていない。
一息付くと,聖志は立ち上がった。
「聖志,お前先生と仲良かったんじゃないのか?」
「なんで?」
「だって,いつだったか,呼び出されてたじゃん」
―――こいつ,覚えてたか。
あれは確か,大嶋校医が襲われた次の日辺りの出来事である。大嶋校医を助けたにも関わらず,彼女に関しての情報を根ほり葉ほりと聞き出そうと言う魂胆で呼ばれたのだ。
「ああ,あれか。進路の件でな」
「進路?」
「知らなかったのか? 前北さんは進路指導部だったんだ」
「へぇ,そうだったのか」
2人は食後の満足感に浸って教室へ向かう。
昼からは学校幹部,つまり校長と教頭,全教師が事情聴取される。ま,当然と言えば当然だが高崎署が久しぶりに動いたのだ。しかし,恐らく大したことはできないだろう。前北を殺害したという確固たる物証がないのだ。
そして,大嶋校医にも同様に事情聴取がなされる。一番の友人と言うから,これもはずすことはできない。
更に事件前日に長瀬宅,つまり,前北が殺害された場所へ訪問していた中央学院広報部の5人のメンバーもいずれ事情聴取の対象となる。これはさすがに学校内の最高機密として扱われるだろう。
午後の陽の当たる,自分の席に座り,肘を付きながら事後処理の大変さを考える聖志。
「何考えてるの?」
聖志の行動を読んでいるかのように,いいタイミングで現れる舞。
「色々とな。どうした?」
「うん…今日,集まるから」
彼女はショックを受けたらしく,声にいつもの元気がない。表情も沈んでいる。
―――ま,昨日の今日だからな,仕方ないな。
「分かった。多分昼からの授業はないだろ。ほかのメンバーにも連絡しておいた方がいい」
「うん」
彼女は力無く頷いて,教室を出た。その背中は,今にも倒れそうだった。
聖志が考えたとおり,午後からの授業は急遽中止され,教師は全員会議室に集まった。下の階には高崎署の刑事数名と,警備員が数名来た。
彼は,誰もいなくなった教室から,会議室のある東校舎をぼーっと見下ろしている。
「あれ? ほかの奴らは?」
一番に入ってきたのは森安。
「まだ。相当参ってるみたいだな」
「…ああ。昨日の今日だからな」
そう言う森安もいつものテンションがない。
「星野も午前中の授業に身が入ってなかったみたいだぜ」
「…そうか。仕方ないだろ。昨日あれだけ話していた人間がいきなりだからな」
「ああ…」
「森安,1年の連中を頼む。このままじゃいつまでたっても始まらない」
「分かった」
彼は鞄を手近な机に置くと,再び廊下へ戻っていった。
考えて見れば不幸な話だ。結婚してわずか1週間で殺害される。しかも旦那は出張中。
恐らく近いうちに長瀬が呼び戻され,またもや事情聴取の対象となるだろう。現状では最も犯人に近い人物になる。しかし,彼は出国という最強のアリバイがある。
となれば,次に怪しいのは前日に長瀬宅を訪問している自分たち5人なのだ。警察もそう判断するだろう。もし例の包丁から,メンバーの中の誰かの指紋が検出されでもしたら,全員が共犯である疑いも出てくるかもしれない。
―――俺達は第2候補か…。
「聖志…」
複雑な気持ちでいると,舞がようやく入ってきた。
「そんなに気を落としてどうする」
「だって…聖志は何ともないの?」
「俺は…身内が逝ったのを2回も見たからな」
2回も経験のある彼は,身近な人物がいなくなることの寂しさを多少軽減することができる。
「……そうだったね…」
「自慢にもならんが。…彼女も不本意だっただろうけど,そんな舞は見たがらないはずだ」
聖志は柄にもないことを言ったことを,自分で驚いた。
「…そうだとは思うんだけど…」
「なら,もちっとしっかりしろ。部長のお前がそんなのでどうする」
「…うん。そうだよね」
そう舞が答えると,図ったように森安が2人を連れて入ってきた。
案の定,高倉も葉麻も沈んでいるが,ある程度回復しているようだ。
「それで,どういう集まりなんだ?」
森安が分かり切った疑問を投げる。
「ま,簡単に言えば…疑われないための,口合わせだな」
聖志は,舞が言い出そうとしたのを制してそう言った。
「口合わせ…? そんなことをすれば余計に疑われるんじゃないのか?」
「曖昧なところだけさ。それ以外は妙な細工をしない方がいい」
聖志の経験上の分析だ。この仕事に就いた当時に星野警部について回り,色々な事情聴取を聞くうちに,こういう結論にたどり着いたのだ。
「じゃあ…舞が電話してきたところから始めよう」
彼女が聖志の家に電話してきたのは,6月20日の午前。
「……確か,9時頃…かな?」
落ち着きを取り戻した舞が,微かな記憶をたどりながらそう言った。
「あのとき,いきなり行くって言い出したけど…前北先生に承諾を取った?」
「…え? 違うけど…旦那さんよ」
「電話でか?」
「うん」
「どこへ掛けた?」
「えっ…前北先生の家に決まってるじゃない」
「番号は?」
「……35−5542」
「なるほどぉ」
聖志はそう言ってメモ用紙にその番号をメモる。
「で,そのあとに,誰のところに掛けたんだ?」
「多分わたしのところだと思うんだけど…」
葉麻がそう言った。
「時間は?」
「9時8分です」
「…いやに正確だな」
聖志は少し不審に思った。
「ええ,うちの電話って,液晶にデジタル時計が出るんです」
「ほほう…9時8分ね。じゃ,その次は?」
「それで最後よ。佐紀ちゃんのところで」
「じゃあ,最初から行ってみよう」
舞は,記憶をたどって最初から言った。まずは長瀬に承諾を取る。時間は8時52分。次に森安の家,次に高倉。次に聖志。最後に葉麻宅。聖志にかかってきたのが9時ちょうど頃だったので,一軒につき3分前後の時間を要したと思われる。
―――と,廊下から誰かの足音が聞こえる。
特にやましいことはないのだが,全員声を潜める。
パタパタパタ…
その気だるそうな足音はだんだんこの教室に近付き,ドアの前で止まる。
ガラッ
「あれ? お前等まだいたのか」
幸か不幸か,入ってきたのは藤井だった。
「藤井先生…」
「どうしたんですか?」
高倉が尋ねる。
「どうしたもこうしたも…見回りに行って来いって言われたんだけど」
やはりめんどくさそうな顔でそう答えた。
「もう帰った方がいいんですか?」
「ああ。この校舎は閉められる。残ってるのはお前等だけだぞ。…何してたんだ?」
最後の一言は,聖志に向けての言葉である。
「…極秘会議」
都合のいい言葉を思いついた彼は,そう答えた。藤井の方もそれを予想しているだろう。
「そうか…じゃあ,あと10分ぐらいで閉められるから,早く出るように」
「はい」
そんなわけで,全員学校の外へ出た。聖志としては,藤井に状況を聞きたかったのだが,みんながこんな状態なので取りあえず一緒に下校することにした。
まだ2時前後なので外は明るい…と思いきや,暗い色の雨雲が空を覆い始めている。
聖志は正面玄関を出ると,無意識に会議室の方を見やった。今頃は恐らく星野警部と,ほか数名の刑事が全員の前に立って事情聴取をしているだろう。もちろん,藤井も例に漏れず,教師側の席に座っているだろう。
―――さて,警部は誰に目を付けるんだ?
「聖志,どうしたの?」
舞が後ろから声を掛けた。
「何でもない。行くか」
「え,ちょっと!」
いきなりきびすを返した聖志。
5人は駅を目指して歩く。少し元気を取り戻した舞がたまに口を開く程度だが,それなりの会話が続き,暗い雰囲気は紛れた。
「じゃあ,西原」
駅前通りの大きな交差点まで来ると,森安が軽い挨拶をした。
「ああ」
聖志は後ろを振り向かずに軽く返し,帰途についた。
国道からマンション街に入り,3分くらい歩くといつものマンションにたどり着く。ロイヤル高崎4号棟。
―――付けられてる!?
いつもと違う気配を背後に感じた聖志は,とっさに後ろを向く…が。
―――気のせいか…?
滅多に気のせいなど感じない聖志だが。
―――最近疲れてるのかな…?
そう思い直してマンションに入る。エレベーターに乗り,14階のボタンを押す。
ゥィイイイイン…
数秒間の移動のあと,14階に降り立ち,奥までスラッと延びている廊下を歩く。4号棟の正面には住宅街の道路を挟んで隣の3号棟が向かい合って建っている。
ブレザーの内ポケットからマスターキーを取り出し,鍵を開ける。
「ふぅ」
着替えもそこそこにキッチンにあがり,ビールを空けながら一息付く。
テーブルに置いた鞄から,さっきメモった情報を再度確かめる。
―――長瀬宅は35−5542か。確かめる必要があるな…。
恐らく舞が言ったことは事実であろう。彼女が長瀬に直接,広報部の訪問の許可を取ったことである。しかしはっきりとしないのは,本当に自宅に電話したのか,あるいは離れに電話したのか,または専用回線にかけたのか。
現時点ではどこに電話してたとしても大した差はない。結局前北教諭は聖志達が来ることを知っていたからだ。だがこの,前北教諭が聖志達が来ることを知っていた,ということを知っているのは聖志達だけである。
つまり彼女の言い分は確実性が薄く,舞が自宅ではなく専用回線,もしくは離れに掛けた可能性が大きくなるのだ。仮に実際に本宅に掛けたとしても,長瀬が首を横に振ればそれで終わりである。死人には口がない。つまり,証拠を握っているのは長瀬だけである。
何が言いたいのかというと,舞が犯人に仕立てられる可能性である。彼女のアリバイが曖昧であるので,彼女の行動の信憑性にも影響が出てくるのだ。
彼女が広報部のインタビューを敢行すると偽って,前北を集団で殺害するという仮説も立てることができる。しかし,ここでの救いは彼女の動機がないことである。
では,この広報部の5人の中に動機がある者がいたとすればどうだろう。彼等はたまたま広報部員であって,前北教諭と直接関わりのある者はいない。
しかしここに,唯一関わりのある者がいる―――聖志だ。
大嶋校医を救出したときの件で少しばかり関わった。結婚式にも参加したことになっている。が,これは警察側も確認済みであるので動機にはつながらない。
つまり,証言の信憑性に関わらず,動機の点では誰も犯人とはなり得ないのだ。
で,どうして聖志がこの点で疑問を抱いたのかというと。
―――なんか隠してそうな気がする。
そう思ったからである。
いずれ彼女から話を聞かなければならないだろう。しかも近いうちに。
「はぁ」
空になったビール缶をゴミ箱に投げ,気だるそうに立ち上がる。―――と,妙に片づいたキッチンを見渡す。
―――そうか,美樹がいるんだった。
ゴタゴタ続きだったのですっかり家のことを忘れていた。いつもなら洗ってない食器などが数枚あるのだ。聖志は改めて美樹がいることに気付いたのだった。
脱ぎ捨てたブレザーと鞄を掴み,リビングに戻る。グロックと防弾チョッキをはずし,寝室の奥のロッカーに仕舞う。携帯を充電器に置いてから,ブレザーのポケットに入っているメモ帳を取り出す。左利き独特の走り書きでさっきのメモが書かれている。
聖志は早速パソコンを立ち上げるため,リビングへ向かう。
―――ピンポン。
と,何年かぶりに,玄関のチャイムが鳴った。
聖志はリビングの壁についている玄関先のカメラを覗いた…と。
―――………………。
取りあえず玄関に向かう。
ガチャ…
「や,やっほー」
舞は右手を軽く挙げて,ぎこちない笑みを浮かべた。
「やっほーじゃない。取りあえず入れ」
「あ,…うん」
玄関を閉める。
「で,どうしたんだ?」
彼女をリビングに通すや否や,そう尋ねた。
「うん…今日のことなんだけど…」
「ああ」
聖志は聞き逃さないように心の準備をする。
「あの,私ね…」
「うん」
「あの,ね」
やはり歯切れが悪い。
「なんだ?」
「…あの日,旦那さんに許可を取ったって言ったじゃない」
「言っていたな」
「あれ,嘘」
「…何が,嘘なんだ?」
「家に掛けたってこと。…ホントは分からないの。自宅かもしれないし,別の場所かもしれない」
「で,何で嘘付いた?」
彼は特に怒る風でもなく,先を促した。
「……わ…私が…」
舞は泣きそうな顔で,一生懸命何かを伝えようとしている。
「犯人だと思われるかもしれなかったからだな?」
「…う…ううっ…」
聖志がそう言うと,舞は泣き崩れた。非情かとも思ったが,彼は真実を知らなければならない。
「泣くことはない,お前が疑われることはないからな」
「……聖志…信じてくれる…?」
「ああ」
彼は舞の肩を抱いた。
「少しは落ち着いたか?」
テーブルにホットミルクティーを置き,聖志は言った。
「あ,うん」
ソファに座った彼女は,いつもの元気を取り戻したような笑顔を見せた。
「…聖志,何で怒らなかったの?」
「嘘のことか?」
「うん」
彼はパソコンの前に座り,例の番号で検索を開始する。もちろん国際電話系列も。
「なんとなく,そんな気がしてた」
「…あのときは信じてなかったの?」
教室での会話で,彼女が自宅に掛けた,と言ったことである。
「いや,そうじゃない」
「いつから,そう思ったの?」
「そうだな…お前が後を付けてきた時かな」
聖志は些か意地悪な返し方をした。
「何だ,知ってたの」
彼女は苦笑い混じりに言った。
「俺を尾行するとはな」
「尾行って言うか…」
「分かってるさ」
彼女は聖志に直接伝えることがあった。しかし彼女は聖志の家を知らない。そしてこの行動を起こしたのだ。
「明日,もう一回全員集めた方がいいな」
「わかってる」
―――ピピッ
壁のデジタル時計が午後4時を知らせた。
「…ねぇ」
「ん?」
聖志は振り向かずに言った。
「また,来てもいい?」
「…俺の答えは分かってるんだろ?」
「まあね。…でも,少しでも期待したくて」
舞自身も彼の答えは分かっていた。彼が舞に住所を言わなかったことも,電話番号を教えなかったのも,その答えになっているからだ。
「じゃ,また来てくれる?」
「…そうだな,気が向いたらな」
それを聞いた彼女は少し微笑みながら鞄を持った。もちろん彼には見えていない。
「それじゃ私,帰るね」
「そうか」
彼はパソコンの前から立ち上がり,彼女を玄関前まで送る。
玄関先で,座り込んで靴を履く彼女の背中を見た聖志は,
―――舞は,俺の正体を分かっているのか…?
確固たる根拠があるわけではないが,そんな気がしないでもない。
そんな彼の気持ちはいざ知らず,靴を履いた彼女は立ち上がり,
「じゃあ,また明日」
と,彼女はいつもの笑顔とともに言った。
「ああ」
彼もまた,いつもと変わらない返事をした。